ヴィーンでの勉強と苦難の日々8

 一度次のようなことを思い浮かべてほしい。


 二部屋からなる下の住居に、労働者の七人家族が住んでいるとする。五人の子供の中には男のことがいる。三歳としておこう。


 この年のころは最初の印象が子供の意識にのぼってくるころだ。頭のよい子なら年をとってもこの頃の思い出が残っているものである。


 場所の狭さと過密さが家族の関係をまずくしている。こうして往々にして争いと不和が起こるのだ。


 人々は一緒に生活しているのではなく、むしろ押し合って生活をしている。広い住居にいるのならちょっと離れることによってすぐに仲直りすることができる些細な対立も、ここでは果てしなく、いやな争いに発展するのだ。


 子供の場合は我慢できる。彼らはこういう状態ではいつも喧嘩をするが、互いにすぐに忘れるものだ。しかし、この争いが両親の間で毎日のように行われると、徐々にではあるが、ついに子供たちにもよくない影響を及ぼす。


 この互いの不和が父親の母親への暴力となり、泥酔の虐待となってあらわれるのだ。こういう境遇は知らないものは想像することすらできない。


 六歳にもなればこの小さな子供にも、大人でさえも恐ろしいと感じる事態がわかってくる。道徳的に毒され、身体的には栄養不足、小さい頭は虱だらけでこの幼い『市民』は小学校へと行くのである。かろうじて読み書きだけは覚えるだろうが、ほとんどそれがすべてだ。


 家庭では勉強の話題すら出ない。そればかりではなく、両親は教師と学校について、それも子供たちに向かって悪口を言う。そして子供たちを跪かせ、道理をわきまえさせるよりも、無作法な言を吐くことのほうがはるかに多いのだ。


 この男がその他に家で聞くこともすべてまた、この時代の人々の尊敬を集めることにはならない。ここでは人類に関してよいことは何もかも放置され、制度は非難されることなく、教師をはじめとして国家の元首に至るまで攻撃される。宗教だろうが、道徳だろうが、国家や社会だろうが、何もかもみんな対象になるのだ。すべてを誹謗し、淫猥な方法で、きわめて下品な考えの中に引き込む。


 この若者が十四歳で学校を卒業すると、知識や技能から来る愚行と、年頃の不道徳が結びついた厚かましさなのかと、どちらが甚だしいのかわからない。


 この頃から早くも神聖なものはなくなり、同じように偉大なものは何も知らず、かえって低劣な生活については鋭く感じ、この人間はこれから歩んでいこうとする生活の中で、どのような地位につくというのか。

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