ヴィーンでの勉強と苦難の日々5
当時、仕事を見つけることは私にとって困難ではなかった。というのも、私は熟練工ではなく、ただの補助労働者であり、ときには臨時雇いとして日々のパンを得ていたからである。
その際、私は足元からヨーロッパの塵を払い、志を持って新しい世界に生存の基礎を作り、新しい故郷を獲得しようとする人々と同じ立場だった。
彼らは職業や地位に関係なく、どのような仕事であろうとも恥ではないという考えのもとに突き進んだ。私もまた、そのように新しい世界へと飛び込み、切り抜けようとした。
何かしらの仕事はいつもあるものだということを私は知った。しかし、同じようにそれが簡単になくなるものだということも知った。
日々の不安定さが私にはやがてこの生活のもっともつらく苦しい面の一つだと思えた。
熟練労働者は未熟練労働者のように頻繁に首を切られることはない。しかし、彼らもまた、このような運命から逃げられるわけではないのだ。
彼らには仕事がなくなり、パンが食べられなくなるかわりに、工場閉鎖やストライキという道があった。
ここでは不安定さが経済全体に影響していた。
自分勝手に想像したり、実際にあったりするのだが、たやすい労働と短い労働時間にひかれて大都市に出てくる若者、しかし、たいていは大都市のあこがれているだけの若者は、まだある程度は確実な稼ぎを得ている。
彼らは新しい役職に見込みがないならば、古い役職を捨てようとしない。
結局、農村の労働力不足は大きく、失業率は非常に少なかった。
だが、大都市に行く若者が農地で働くものよりも素質が悪いと思うのは誤りである。反対だ。経験によると故郷から離れた若者がもっとも健全で、もっとも実行力に富んでいる。
だが、このような「移住者」はアメリカ移民だけでなく、未知の大都市に行くために故郷を捨てようと決意した男もいる。
彼らもまた運命に身を任せる覚悟はできていた。
たいてい彼らはいくらかの金を持って大都市にやってくるので、不幸にして長い間仕事が見つからなくともすぐに絶望することはない。しかし、健全な働き場所を短期間で失うと困ったことになる。
特に冬は不可能ではないにしてもとても困難だ。
はじめの数週間は何とかなる。彼らは労働組合金庫から失業手当をもらい、何とか切り抜けるのだ。
だが、最後のお金も使い果たし、失業手当も停止したとき、大きな困窮がやってくる。
そうなると彼らは空腹を抱えてうろつきまわり、着の身着のままで零落し、その上肉体的にも精神的にも毒された環境の中に沈んでしまうのだ。
その上宿もなく、そしてこれが冬であったときは(こういう場合がしばしば普通なのだが)悩みはさらに大きくなる。
ついに彼らは何かの仕事を見つける。しかし、結局は同じことが繰り返されるのだ。
二度目はそれと同じようなものでも、三度目はもっとつらいかもしれない。
こうして彼らは次第にいつまでも続く不安定さに平気に耐えるようになる。ついにはこの不安定さが習慣になるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます