79話 今川焼きを食べよう

「あら。こんなとこに出しっぱなしじゃない」


 瑠璃の母の手によってつまみあげられたのは、テーブルの地域情報紙だった。


「えっ! ……あ、ああ、友達だよ! たまたま見てたんだ」

「ふうん?」


 とっくに期限が過ぎ、誰かが読み込んだ形跡のある古い地域情報紙をまじまじと見てから、ソファにコートをかけた。テレビではこれからの冬に向けて、商店街に今川焼きの店がオープンしたという話をやっているところだ。それなのに、イチゴやチョコレートの特集の組まれた地域情報紙は時期が一年ほどずれている。


「そこに置いといて。私の部屋持ってくから」

「まだ使うの?」

「うん、まあね。それより早く着替えてきてよ。今日は私が夕ご飯だよ!」

「ほんとに作ったの? やだ、ママ感激しちゃう……」

「さっきラインしたでしょ」


 あっさりと言うと、再びキッチンに消えていく。


「んー。そうだったかしら」


 などと言いながら、古い地域情報紙をテーブルに戻す。とっくに処分していてもおかしくない雑誌だ。まあ何かに使っているのだろうと思って、彼女は脱いだばかりのコートと鞄を手に、部屋に戻った。

 そのあいだに瑠璃はキッチンを抜け出し、慌てて地域情報紙を自分の部屋に放り投げておいた。ブラッドガルドが忘れていったものだ。定期的に持ってきては、チョコレートのページを見せてくるのでたちが悪いのである。


 着替えを済ませた母が戻ってくると、キッチンではまだ瑠璃が卵と格闘していた。

 香りからすると、きっとオムライスだ。きっとややぐっちゃりとしたできあがりだが、母はにんまりと笑った。きっと父親の分はラップに包まれて冷蔵庫に入るのだろう。そう思うと、今日はこの時間に帰ってこれたことを幸運に思った。

 その話は後でたっぷりとするとして、まるで気にしないように話をする。


「そういえば瑠璃ぃ、今川焼きってどこかに売ってたわよねえ?」

「えー? 今川焼き?」

「さっき、テレビでやってたのよ。商店街に新しくオープンしたって。今川焼き、久々だと食べたくならない?」

「あー。たまにはいいかも」


 冷蔵庫からケチャップを取り出しながら、瑠璃は振り返る。


「そういえば今川焼きって全国で名前が結構違うみたいよ」

「そうなの?」

「そうよ~。子供の頃は大判焼きって呼んでたもの」

「それ本当に一緒のもの?」

「一緒よ」


 湯気のあがるオムライスをキッチンから渡す。


「ちょっとぐちゃってなったけど……」

「いいじゃない! そういうものよ」


 にっこりと笑い、母はそう言った。







「そういうわけで今日のおやつは今川焼きです!!!」

「は?」


 何がそういうわけなんだ、といういつもの顔をされる。片側の一房だけいまだにリボン混じりの三つ編みになっているせいか、顔がよく見える。あいかわらず陰鬱で機嫌が最悪な表情をしている。だいたいいつものことだ。


「お母さんたちのとは別に買ってきたやつだよ」

「当たり前だ」


 そこに関してはきっちりしている。


「それに私だってたまにはあんこの入ったお菓子食べたい」

「ああ?」


 あんこと聞いて余計に機嫌が悪くなった。

 理由はたったひとつ。

 つぶあんが駄目なのだ。


 ブラッドガルドはつぶあんをいまだに拒絶する。

 それというのも、豆が甘いという事実をまったく受け入れないからである。ブラッドガルドのいる異世界では、豆というのは基本的に塩で味付けをしたり、ソースに絡めたりするものであって、砂糖と絡めるものではない。ゆえに、豆が甘いという事実を受け止めきれなかったのである。こしあんのようにすべて潰されて原型がなくなっているものならともかく、甘いものの中でつぶあんだけは拒絶し続けてきた。


 なお、「つぶあんが苦手」と瑠璃が言ってしまったがばかりに、つぶあんの存在しない異世界では話が二転三転し、「つぶあん」なるものが豆の種類だとか聖剣であるとか、つぶあんではなくツヴァンではないかとか、もはや修正が効かないところまでいってしまった。かろうじてリクとヴァルカニアの一部の人々だけは真相を知っているが、こうなると即座に訂正できるものではない。


 そういうわけで、ブラッドガルドは目の前に出された丸い焼き菓子に対して敵対心に似た何かを感じているわけである。


「まあ、そうにらむなよ~。最近だとカスタードとかチョコレートとか中に入ってるから、そっちがブラッド君用で」


 瑠璃があっけらかんと言うと、ブラッドガルドの後ろで渦巻いていた何かがスン、と急激に収まった。こういうときの反応は早い。


「私のはつぶあんにしたけどね。食べてみる?」

「ふん」


 ブラッドガルドは鼻を鳴らした。

 瑠璃のものを易々と奪えない葛藤がそうさせているようだ。


 瑠璃はといえば、さっさと箱に入った中身を取り出して紙皿の上に盛った。自分のところにつぶあんを置き、残りはみんなブラッドガルドの前へと滑らせる。ブラッドガルドはそれを当然のように引き寄せて、一番上に乗った一つを手に取った。


「……イマガワヤキ?」

「うん。今川焼き」


 言いつつ、まだ少し温かい今川焼きを手に取る。こんがりときつね色に焼き上がった円柱形から、ふわっと香ばしい香りがした。そのまま口の中に入れる。ややもっちりとした柔らかな生地だ。控えめな甘さもある。そのままかじりつくと、しっとりとした内側から、甘いあんこが顔を出した。


「美味しい!」


 こぼれそうなほどたっぷりと入ったあんこに、瑠璃は思わず顔を綻ばせる。


「……で?」


 ブラッドガルドは口元についたチョコレートクリームを舌で舐め取りながら、じとっとした目でその様子を見る。


「おう。どっから聞く? 名前がいっぱいあるとこ?」


 ブラッドガルドの目線がますます微妙になる。


「……それは……、同じ材料なのに形状によって名前が違う、というものではなくてか」

「じゃなくて、まったく同じものなんだけど名前だけ違うみたいな」

「ほう」

「えっとねえ、まず今川焼きでしょ。大判焼き、回転焼き、御座候、あじまん、おやき、太鼓焼、車輪餅……」


 はじめはごく普通に聞いていたブラッドガルドの表情に、次第にあきれと「どこまで続くんだそれは」と言いたげな空気が混ざり始めた。


「どこまで続くんだそれは」


 そしてとうとう口にも出た。


「いやもっとあるけど」

「もういい。なぜ名前が違うんだ」

「もともとは今川焼きが最初だったみたいなんだけどね」


 口の中のあんこをお茶で流しこみ、瑠璃は続ける。


「『今川』は、東京の神田堀ってとこにかかってた今川橋のたもとで売られ始めたのははじまりみたいだよ。ただ、店名も売り出された年代もちょっとわからないみたいだけど。江戸時代にはもう川柳にも登場してたみたいだけど、丸形をしてたって以外は材料もちょっとわかんないみたい」


 スマホで説明を見ると、今でいうときんつばのような形だったのかもしれない、と続いていた。


「明治に入ってからも人気になって、有名な小説家で夏目漱石も作品内で触れてるみたいだね」

「だが、そのわりにはやたらと名前が違うだろうが」

「うん。割とよく見るよ。お店で普通に売ってるってのもあるし、縁日の屋台で売ってたりとかね」


 だがどうして名前が違うかとなると、瑠璃は首をひねった。


「今川焼きだと、今川橋の近くじゃないと意味がわからないし……。形状とか作り方とかで名前を変えたんじゃないかなあ。大判焼きの場合だと、大きいほう、つまり「大判」って意味で楕円形で作ったみたいなんだよね。だから大判焼き。だけどそのあと形が戻っても大判焼きのまま呼び続けられた的な」


 『回転焼き』もたぶん作るときに回す動作があるからかな、と続ける。


「あとはお店の名前で呼ぶとかね。前に愛知に住んでた友達の話だと、お店の名前で『御座候』って呼ぶ人もいたみたいだし。地域によっても完全に別れてるわけじゃなくて、二種類くらい呼び名があるとこもあるみたいよ。御座候ももともとは広島の会社なんだって」

「……」


 ブラッドガルドは既に二個目を口にしていた。カスタードだったらしく、一瞬中身のカスタードを凝視してから、再び口に入れた。


「海外にも日本のお菓子代表みたいな形で出店されてて、台湾なんかだと『日式輪餅』『車輪餅』とかの名前で売られてるみたいね」

「ほう」

「あと最近だとニューヨークとかにも出店してて、鯛焼きにソフトクリームのせて食べてるみたい」

「は?」


 急に鯛焼きなどというわけのわからない言葉が出てきたことに、ブラッドガルドは耳ざとく反応した。


「鯛……?」

「この形じゃなくて鯛の形に焼いたやつが鯛焼き」


 それでもまだ何を言っているのかわからない表情をしていたので、瑠璃は画像を探し出してスマホで見せた。鯛かと言われると微妙だったらしいが、以前の若あゆよりはまだそれなりに理解はできたようだ。


「……これは……」

「鯛焼きも今川焼きの一種らしいよ」

「……まあ、そう、だろうな」


 形状は違うが、小麦粉の生地の中にあんこを入れたお菓子という意味では同じだ。


「これは今川焼きとは違って、ちゃんと作った人までわかってるんだよ。東京にあった『浪花家総本店』ってところの初代の人だね。神戸清次郎って人」

「ほう」

「今川焼きを始めたけど駄目だったとか、そもそも焼き物の菓子をはじめるときに焼き型に鯛を選んだって話だね」

「なぜ、鯛……?」

「『めで鯛』から」


 真面目に言う瑠璃に対して、ブラッドガルドは真顔で見返した。


「縁起物に繋がるし、そもそも鯛って高級品だったから、それを真似たっていうか模したら繁盛したみたいよ」

「ふん。いろいろ思いつくものだ。どうせ他にもあるんだろう」

「うん。クリームを変えたり、お好み焼き風にしたりとかいろいろあるよ。一時期は白い鯛焼きとか流行ったみたい」

「白い鯛焼き?」

「タピオカで作ってもっちもちにしたやつみたい。なんか、めちゃくちゃ流行っていろんなところにお店ができたみたいだけど、その分ブームが終わるのも早かったっていう」

「一過性のブームに乗って」

「それはそうだけどブラッド君がそこまでこっちの事情を理解できるの毎回びっくりするよね」


 腐っても異世界の迷宮の主であり、異世界の邪神にそこまで現代日本の事情を理解されるのもどうなのか、と瑠璃は思ってしまう。

 そうしてしまったのは瑠璃自身なのだが。


「いまはどこにもないのか?」

「うーん。一回くらいは食べてみたいけど、売ってるのかなあ……。売ってるとしても、白い鯛焼き単品では無いんじゃないかなあ。普通の鯛焼きや今川焼きのお店は普通に見かけるんだけどね」

「ふん。我はチョコレートが入っていればなんでもいい」

「そういうとこほんとぶれないなあ……!?」


 瑠璃は、そうだ、と思い出して、部屋に戻る。それからすぐに戻ってくると、去年の地域情報紙を持ってきた。チョコレートとイチゴの特集が組まれた、まだ時期的には早いものだ。


「昨日、忘れてったやつ。もう要らないなら処分するけど……」

「要る」


 ブラッドガルドは手を差し出すと、雑誌を受け取った。

 それから表紙を少し見つめたあと、思い出したように瑠璃を見た。瑠璃は気がつかないようにしながら、あんこの入った今川焼きの残りを口の中へと迎え入れた。

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