挿話38 彼方からの伝言

 夜よりもなお暗い闇。

 すっぽりとローブをかぶったその男は、闇に紛れて道を急いでいた。

 男の足は町から離れ、旧街道のほうへと向かう。わざわざひとけの無い旧街道へ向かうのは、理由があった。盗賊達から身を守るというよりは、人に見つかるのを極端に恐れているようだった。世界の光からも闇からも身を隠し、背を向け、男はこそこそと暗い道を行く。


 メモにあった場所は、暗い森の中にあった。

 かつては小さな教会があったが、現在は廃棄されている。昔は近くにダンジョンがあったらしいが、いまは魔物ですら目を背けているらしい。気に掛ける者は誰もいない。忘れ去られて久しい場所だ。教会までの道は、草が生い茂り、獣道のようになってしまった。空を覆う木々は不気味に垂れ下がり、月の光をも拒絶している。そんなところをそっと歩く。遠くで魔物か何かの声が聞こえた気がして、男はよりいっそう身を縮こませた。露に濡れた草が男のローブを撫でていく。その先に、件の教会はあった。

 石造りの教会は、光も闇もなくそこに突っ立っていた。

 外観だけが浮かび上がる。窓の向こう側に、ぼうっと小さな灯りが見えた気がした。

 魂の抜けた教会に、邪悪なものが乗り移ったようでもある。

 ごくりと息を呑む。

 思えばどうしてこんな危険なところに、ひとりで来てしまったのだろう。彼はほとんどひとりで行動しない。大司教のひとりである彼は、たいていは教会の若い神官が付き添う。こうしてひとりで、まるで監視の目から逃れるようにやってきてしまったのは、何故なのか。自分でも、どうしてこれほど後ろめたいのかわからなかった。


 確かめるだけだ。

 この先に何があるのかを、この目でほんの少し確かめるだけ。

 それさえ終われば、きっと自分は日常に戻れるはずだ。彼は自分にそう言い聞かせるように、強く念じた。

 男が廃教会を前に立ち竦んでいると、突然その古い扉が開いた。

 思わず肩がはねる。


 蝋燭を持った若い男が一人、中から出てきた。

 見覚えのある、丈の長い、銀で縁取りがされた深い紺色の衣服。黒みがかった灰色のズボン。腰に巻かれたゆるやかな白い布。そしてなによりも――その銀色の髪と、その合間から覗く黄金色の瞳。あの日見たままだ。

 ちりん――と鈴の音がした。どこかに鈴を持っているのだろう。


「ようこそ、ロダン様」


 鈴の男の声に、ロダンと呼ばれた男は狼狽えた。


「わ、……わしは……」

「貴方ならきっと、来ていただけると思っていました。さあ、こちらへどうぞ」


 鈴の男は先導するように、古びた木の扉の中へと入っていった。

 ロダンは息を荒くしたまま、その後ろへとついていった。中は放棄されたままの状態で、やや荒れていた。椅子だけはそのままだが、所々壊れたり蜘蛛の巣が張っていた。灯りの類は一切無い。小さな教会は、かつての女神の威光は無かった。

 鈴の男はまっすぐに祭壇へと向かう。どうするのかとじっと見ていると、不意に男が祭壇に触れた。


「こちらです」


 触れたばかりの祭壇が音をたてて真横に移動した。その下から穴が現れ、地下への階段が続いていた。男はなんの躊躇もなく階段を降りていく。まるでロダンはついてくると確信しているようだった。

 僅かばかり後ろ袖を引かれるような思いに駆られながら、ロダンはその先へとついていった。


「暗いのでお気を付けください」


 暗く、狭い通路の中に足音が反響する。

 奥へと続く壁のくぼみには真新しい蝋燭が立てられている。


 ――もしも。もしも異教や邪教の類であるのなら……。


 女神聖教会の人間として、悠長に見学などしている場合ではない。


「この世界は――」


 不意に鈴の男は、そう口にした。反響した言葉が耳を通って脳に直接入り込んでくるようだった。


「四人の精霊――あるいは四柱の神が作られた。そんな伝説めいた、魔術師の戯言が真実だったとは。まさか貴方も思わなかったでしょう」

「まさか! セラフ様がそうおっしゃるなら……」

「女神セラフがこの世界を作ったと信じていた貴方には、受け止めきれなかった」


 その言葉に、思わずどきりとする。


「僕にはそう見えます」

「な……」

「わかりますよ。それに加えて、いままで敵であったはずのブラッドガルドまでもが、その神の一柱などと言われてはね」


 その瞳がぎらりと光ったような気がする。


「大体、あれだけ好き放題にしていたブラッドガルドが神として復帰するなんてありえないでしょう。……それに、女神も女神だ。あれだけ敵対しておきながら、情けをかけるなど」


 鈴の音がする。紡がれた言葉がねっとりと、得体の知れないものがロダンの心の中に侵入してくるようだった。だが、抗えない何かがあった。


「ひどい裏切りだ――そう思いませんか?」

「そんな――ことは……」


 その言葉によって、ロダンの中では言葉にならなかった――あるいは、あえて言葉にしていなかった本音を、解体されていくようだった。


「しかしですね」


 不意に男が足を止めた。

 ロダンも続いて足を止め、視線をあげる。


「四柱がこの世界を作った……というのは、『正確』ではないのではないか。僕らはそう思うんです」

「……正確ではない? どういう意味かね?」

「四柱の力がちょうどぶつかりあう場所には、現在なにがありますか」

「……世界樹、か?」


 それくらいは聞いたことがあった。

 火、水、土、風。四つの精霊の力がぶつかる場所に立つのが世界樹だ。


「そうです。世界樹はエルフたちの故郷。しかし、火の神ブラッドガルドの力が弱まっていたことで、その均衡は長らく崩れていたようなのです」

「力が弱まっていただと? いったい何を言っているんだ?」

「もちろん、ブラッドガルド自身は零落した神とはいえ、強大な力を有していました。しかし、その傲慢さから火の権能を奪われた事さえ認めなかった彼は、火龍としての力は極端に弱まっていたのです。しかし存在はしている……ゆえに、世界樹もずっと不安定な状態にあったのではと推測しています」

「……な、なぜ、そんなことがわかるんだ」


 ロダンは目に見えて動揺していた。

 りぃん、と鈴の音が鳴る。

 教会の内部事情が知れていたとして、それ以上のことまで知っているような気がした。それとも実際に調べ上げたのか――ぞくりとする。


「ははは。僕も、ブラッドガルドには煮え湯を飲まされたのです。だから、あいつに関する情報は片っ端から当たっていましたよ。僕らには僕らのやり方があるんです」

「……」

「その中で、僕らは奇妙なものを見つけました」

「奇妙な……もの?」

「それは、ひとつのメッセージでした」


 鈴の男は踵を返し、蝋燭を掲げた。

 その向こうの行き止まりになった箇所には扉があった。人除けの魔法がかけられているらしい。


「それは不安定になった世界樹の隙間を縫い、地上に出てきたものと思われます。きっといままでも何度か現れたんでしょう。これまでは小さかったからか、それとも噴き出してきたものが、ようやく僕らでも認識できるほどに溜まったのか……」


 扉へと近づくのを、ロダンは見つめる。


「僕らですら信じられなかった。闇よりもなお暗い暗澹。世界の中心――そこに、四柱が口を噤んで語らない、封じられた何かがいるとしたら……」

「そ、そんな馬鹿な! それこそ――」


 荒唐無稽だ。


 そう言う前に、男の手によって扉が開かれた。目を見開く。ふわふわとあちこちに浮く魔力によって灯りがつけられた、広い空間が広がっている。

 魔力は原始的なもので、何者かによって灯されていた。

 中央部分は一段下げられ、そこに奇妙な文様が描かれていた。魔血印のような文様だったが、いかにも原初的だった。かといって、四人の精霊たちを現すどの印とも違う。


「こ……れは……!? そ、そんな馬鹿な……ことが……!」


 ロダンは今度こそ膝をついた。

 抗いようもなく、そして疑いようもなかった。

 知らぬ間に沸き起こってくる感情は、女神セラフに跪いた時と同じか、それ以上の何かだった。畏怖か恐怖か敬拝か、そのどれでもある奇妙な感情。逆らってはいけない。女神セラフへと抱いた畏怖が、一瞬でがらがらと音を立てて崩れ落ちるのを聞いた。いままで女神セラフへと抱いていたそれは、まやかしだったと心から思ってしまった。


「わかるでしょう。貴方なら」


 自分こそがこの世界の主であり、四柱の神に閉じ込められたことを示す――まさに星の女神とも言うべき存在からのメッセージに等しかった。

 ロダンは膝をついたまま腰を曲げ、手をつき、自分でも無意識のままに土に額をつけていた。


 ――そうです。貴方には星の女神の為に働いてもらいますよ。

 ――そして何よりも、姉さんの為に……!


 鈴の男はロダンの背を見ながら、小さく微笑んだ。

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