挿話34 とある司祭の記憶
列席していた多くの神官が、驚きをもって大聖堂を出た。
その表情は様々だ。正しい答えを手に入れた者もいたし、安堵の表情を浮かべている者もいた。反対に、狐につままれたような者もいたし、困惑したままの者もいた。その感情と同じように、各々が考えることが多々あった。
簡単に言ってしまえば、ブラッドガルドとの戦争は休止状態に入った、ということだ。
女神聖教の者にとって、女神セラフの言葉は絶対である。
全世界に散らばる神官たちへ通達事項があり、バッセンブルグにある大聖堂で突如集会があると言われたときは、誰もが緊張感をもって集まった。二度にわたるブラッドガルド討伐は、結局のところ失敗に終わったのではないか――誰もが薄々そんなことを考えていたからだ。不安と憤りを胸に集まった神官達に告げられたのが、戦争休止である。
まさかそう言われるとは意外だった。
血気盛んな者は負けを認めたようなものではないかと憤ったが、女神がそう決めたと言われてしまってはなんとも言えない。あとはもう、個人的にブラッドガルドを相手取るしかないのだ。
それに、敵――相対するものであることには変わりないと言われると、逆に安堵の表情を浮かべる者もいた。ブラッドガルドをも信仰しろと言われるのではないかと、勘違いしかけた者もいたからだ。
今後も相手の力を抑え、注視していく必要があると告げられると、神官たちは決意を新たにした。
とはいえ女神の意図とは違って、勇者と女神の偉業がやや強調された側面もあった。勇者が一度ならず二度にわたって懲らしめたことで、ブラッドガルドがようやく太陽を手放し、話を聞く気になった――そんなような内容に差し替えられていた。
そこそこ事実ではあるが、少なくとも関係者は口を閉ざすだろう。
なにしろその事実からは、魔女の存在がすっぱり隠されているからだ。魔女を隠すという点では、勇者と教会上層部の意見は一致していたのだから。かたや魔女が異世界から来たことを、かたや教会の名誉のためにという意味では違っていたが。
くわえて、これは一般信徒に対する表向きの説明に過ぎない。教会にとって都合の良い説明になるのは当然と言えば当然だが、無用な混乱を避けたのだ。若干疑問の残るものではあるが、神話としてはこれくらいのほうが混乱が起きないだろうという配慮だ。じっさい、神官だけでなく、ほとんどの信徒はそれを信じた。
しかし一定以上の権限を持てば、ある種の『真相』を知ることになる。
女神がいかなる存在なのか。
魔女は何をしたのか。
とはいえそれも異世界の人間に受け止めやすく改変された『真相』だ。教会にとっては魔女は魔女である。しかしそれだけでも衝撃を与えるには充分だった。
*
「あっ、ロダンさま!」
「ロダンさま、お帰りなさいませ!」
馬車から降りて庭に足を踏み入れると、若い神官たちが声をあげる。
「大変だったでしょう。王都の聖堂はどうでした?」
「ああ。ただいま……」
「……ロダンさま?」
「少し疲れた。部屋で休むことにするよ」
気を使う神官たちになにを答えたのかもよく覚えていない。ロダンは自分の部屋へと戻ると、疲れたようによろよろとベッドに座り込んだ。
ロダンはバッセンブルグの王都近くにある、コルトー大教会という比較的大きな教会を任されている大司祭だ。年の頃は四十代で、髪をすべて剃った頭に、ちょこんと帽子を乗せている。白いローブの上からは黄緑色のマントを羽織っている。厳しいが真面目な信徒であり、コルトー地区では評判が良かった。
コルトーの大教会はバッセンブルグの中では中心的な教会のひとつで、ロダンは司祭の中でも数人しか任命されない、いわゆる大司祭と呼ばれていた。
ゆえに――ロダンもまた、『真相』を聞かされたひとりだった。
敬虔な信徒たる彼にとっても、女神の言葉は絶対だった。
降臨されたと聞いたときは、はじめこそ疑ったことを恥じた。勇者を選んだのだと聞かされたときは、彼の無事を一心に祈った。ブラッドガルドへの積極的な敵対から注視に切り替えると聞いたときも、それを受け入れた。
だが、ロダンは他ならぬ女神の言葉を受け入れることが出来なかった。
神学者たちにとっても意見の割れていた天地創造についてのある種の真実。
光の女神が、かつて風の鳥であったという事実。
くわえて、ブラッドガルドが――邪神と成り果てたとはいえ――かつては火の龍などという神だったというのなら。
この世界が女神という絶対的な存在ではなく、魔術師の言うような四人の神々によって作られたと証明されてしまったようなものだ。
だが大部分の神官は、それで納得したようだった。
自分達が信仰するのは、あくまで光の女神セラフ。かつての姿がなんであろうと、いまが真昼の空――つまり光を司る女神であることは変わらないし、むしろその権威が証明されたようなものだ。
だがロダンは違った。
たとえ古い話だとしても、神が他にもいることを認めるわけにはいかなかった。
何度蘇ろうが、女神の選んだ勇者が倒していればどんなに良かったか。だがそれは、ブラッドガルドが空虚な存在に成り果ててなお、太陽を奪おうという願望に迷宮が反応し、世界の均衡が崩れ落ちそうになっていたのを止めるためだ。ブラッドガルドが現状を受け入れたというのなら、これ以上身内をむやみに犠牲にする必要はない。まさかそんなことが起こるなど誰も思っていなかった。女神でさえ。
しかしそれを成したのが、あろうことか――魔女とは!
ロダンは大きく息を吐いた。
そもそもが、教会は混乱に混乱が重なっていた。
流浪の聖騎士であったオルギスが勝手な行動に出たことに端を発して、彼の行動や処遇については意見が割れていた。仲間が一人死んだという理由で謹慎処分にしたのもそのせいだ。だいたい、最高難度の迷宮に送り込んでおいて、生きて帰っただけでも僥倖だ。
だがその死んだ仲間――カインの存在も輪を掛けて混乱のもとになった。死んだはずの人間がヴァルカニアを奪還し、王国再建の名乗りをあげたのだから、愕然とするどころではない。特にカインがヴァルカニア王家の末裔だと知っている上層部の動揺はただならぬものがあった。
そもそもカインが調査団の一員となったあたりからおかしかったのだ。勇者の出現以降もカインの統治反対派は存在したから、強く後押ししたのだろう。くわえてカインの死を報告した団員は、いつの間にか行方不明になったという。それと前後して、オルギスはあっさり勇者について行くのを命じられた。
――なんてことだ。
女神の御心とは違う方向に走り出した教会。だがその女神は――。
ロダンがじっと自分の足下を眺めていると、コンコン、とノックの音がした。
ハッとして顔をあげる。
「どなたかな」
「失礼、大司祭さま。少しよろしいでしょうか?」
「少し疲れているんだ。急ぎでなければ明日に……」
返事をしてから、ふとロダンは疑問に思った。
この教会の中で、自分を大司祭さまと呼ぶ人間は果たしていただろうかと。むしろそれは神官ではなく、町中の人間から呼ばれるのがほとんどだ。そんな小さな違和感に、心のざわめきを感じた。
その引っかかりが、彼を振り向かせた。
ギョッとして、思わず声が出そうになる。
なにしろそこには、一人の男が立っていたのだから。
「……だ、誰だ?」
ただでさえ心の中が整理し切れていないのに、勝手に部屋に入られたとあっては不快でしかない。だがそれよりも、心臓の音が妙に強く感じられた。
男はロングコートのような、丈の長い、深い紺色の衣服に身を包んでいた。袖の先や前の合わせのところには銀で装飾がなされていて、それなりの身分が垣間見れる。下は黒みがかった灰色のズボンを穿いていて、衣服の上からは白い布のようなものをゆるやかに巻き、どこかの民族衣装めいても見える。
そしてそのやや派手にも見える衣服にも負けぬ銀色の髪。そこから覗く顔は鼻筋が通って整っていた。そんな男の中で、唯一黄金色をした瞳が怪しく光っている。
男は人好きのするような――だがどこか油断できない――笑顔で笑った。
「失礼。どうしてもあなたに……と思いまして」
「よ……用事なら……後日に……してくれ」
たらりと汗が流れる。
この突然現れた男に対して、いまや不快さよりも不安や恐怖といったものが沸き起こってきた。
ロダンは男から視線を逸らすように、顔をそむけて背を向けた。
「わしは疲れているんだ。だから……」
「……本物の女神に会いたくはないですか?」
男の放った一言に、ロダンは思わず動きをとめた。
「……なんだって?」
「『本物』の女神です。風の鳥でも光の女神でもない……そう、『本物』の」
「なっ……」
何を言っているんだ、とロダンは狼狽する。
「わ、わしが信じるのはセラフ様だけだ」
「そうでしょうか?」
ロダンが言いよどんでいる隙に、男は顔を近づけた。
美しい顔が近づくと、ぎょっとする。男はロダンの手をつかむと、その手の中に紙切れのようなものを潜り込ませた。
「気になるようでしたら、ここへ」
「……バカバカしい」
ロダンはそれだけ言うのが精一杯だった。
「ですが、あなたは来るでしょう。あなたの力が必要なのです」
男は見透かしたように言うと、来るときと違って扉を開けて、パタンと扉を閉めた。
ロダンは汗を垂らしながら、手に握らされたメモ用紙を見た。破り捨てようと、両手で掴む。だが何度か息を整えると、きょろきょろとあたりを見回した。そうしてテーブルの引き出しまでとってかえすと、引き出しの鍵を開けた。わずかな貴重品と重要な手紙しか入っていないところだ。
ロダンはそこにメモ用紙を放り込むと、慎重に引き出しを閉めた。
誰にも見られていないことを願いながら。
*
銀髪の男はまるでそれが自然とでも言いたげに、部屋を出て廊下を歩いた。途中ですれ違う神官たちは、彼のことなど目に入っていないように背後へ歩いていく。そのまま外へ出ると、庭の手入れをしていた神官たちとすれ違う。
「……あら?」
その途中で、ひとりの女神官が振り返った。
だが彼女も、男の姿は目に入っていないようだった。不思議そうな顔をする。
「どうした?」
他の神官が声をかける。
「え? ううん、なんでもないの」
首を振って、とりつくろうように笑った。
ただ、少しだけ不安を覚えるように顔を曇らせて付け加えた。
「いま……鈴の音がしたような気がして……」
女神官のつぶやきを背に、男は悠々と教会の外へと歩いていった。
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