56-6話 王道展開からは遠すぎる
「ところでリク。……そろそろ、いいのではないですか?」
エントランスに誰もいないのを確認すると、オルギスが急に居住まいを正した。
「なにが?」
「いえ。ここまで来てなんとなく思っていましたが……宵闇の魔女の正体を、あなたは知っているのでは?」
「……えっ」
思わずギクリとする。
周囲を見回し、誰もいないことを確認する。むしろ、誰かいたら良かったのだが。耳の後ろで、本当に誰もいないぞ、と聞こえた気がした。ハンスも来ていたらしい。わざわざ言いに来るとは、こういう時だけ困ってしまう。
いまや迷宮の主は「宵闇の魔女」と呼ばれる者であり、ブラッドガルドを一度は解放した人物らしい――ということは周知の事実になりつつあった。ただしそれについて、「魔女」との邂逅に同席したアンジェリカも口を閉ざしていたし、リクもまた何も言わなかったことで、セラフも黙っていた。
「……そして、それは貴方の既知ではないのでしょうか」
リクは思わずアンジェリカとセラフを見たが、どちらも目線で訴えかけてきた。
ということは、オルギスが自分で気が付いたということだ。リクが頭を掻いて困ったように息を吐き出すと、シャルロットとナンシーも自分をじっと見ていた。
「……まあな」
どこから話すべきかと、リクは悩んだ。
*
「……つまり、その……リクの幼馴染みが、ブラッドガルドと出会い、知恵を授けていたと?」
三人は思った以上に困惑していた。
知り合いであるということに気付きはしても、まさかそこまでとは思い至らなかったのだ。思い至っていたら既に何らかの能力持ちの可能性すらある。
「ああ。『神の実』がなんなのかはまだわかんねーけど。でもたぶん、俺の世界にあるものなんじゃないかと思う」
「で、でもどうして……! そんな、魔力が無い人間が存在することもそうですし、そんな人間がどうやって封印を……!」
オルギスの問いに、セラフが首を振った。
『そこが私にもわからないの。ひょっとすると、それだけが偶発的な事故だったのかも……』
「そんなことは信じたくないけどね。こっちでも『不備』がなかったかどうかは確認してるわ」
アンジェリカが頷いた。
本来、封印に穴を開けて、なんらかの恩を売っておこうと画策した魔術師がいないとも言い切れない。ただその目論みは、いまや完全に破綻しているわけだが。
『扉は閉じたはずだったのだけど……もしかするとそれで戻れなくなって、迷宮に取り込まれたのかも……。まさか、闘いが終わったあともこちらの世界にいるなんて思わなくて……』
申し訳なさそうに言うセラフ。
「扉の場所はわかったのか?」
『ええ。変異したブラッドガルドが迷宮じゅうに……えーとその、詰まってたでしょう?』
その言い方はどうなんだと誰もが思ったが、誰も他に的確な言葉が出なかった。
軟体化して詰まっていたのは事実だ。
『そのせいで迷宮の魔力が通路分だけ押し出されていたの。倒したあとの一瞬だけ、通路を通ってシバルバーまでまっすぐに繋がった。その一瞬に、奥深くにそれらしい魔力があったから、閉じておいたんです。またすぐに迷宮の魔力に私のほうが押し出されてしまったけど。……なんだか変わった魔力だったけれど……』
「ふうん?」
その変わった魔力というのを、誰も深く考えなかった。
なにしろこの世界ではたいていのことは魔力でなんとかなるし、反対に他の魔力に弾かれてしまうのも不思議なことではない。
「し……しかし、私がアンジェリカと封印を探ったときも、魔女は呪文も無く魔法を使っていたと……」
「ああ……、それな……」
なんとなく予想はついていた。
リクとしては、瑠璃がちょっとしたイタズラ心のために技術を見せびらかしたのだろう、と踏んでいた。ブラッドガルドがまさかゲームをしていたとは露ほどにも思っていなかったが、過程はともかく対戦ゲームの音声であるとあたりをつけていた。
いたのだが、まさかゲームキャラです、とは言えない。
その横から、アンジェリカが口を開いた。
「あれは結局、ブラッドガルドの幻覚魔法みたいなものでしょ。彼女から目を離させるために、一番遠い性質を利用したみたいな」
「遠い性質?」
「結果的にそうなっただけかもしれないけどね。彼女らしくなければなんでもよかったのよ」
「どういうことだ?」
横からナンシーが尋ねる。
「まず、本来の彼女には魔力が無い。でもアタシたちは、強大で邪悪な魔女を探そうとしてしまった。あとは、その……まあ、そういうことね……」
アンジェリカがやや気まずそうに気を遣ったことに、仲間たちはなんとなく意図を悟った。少なくとも色艶のある声から受けるイメージとは真逆ということだ。
「あの……それでひとつ、気になったことがあるんですけど……」
シャルロットが手をあげる。
「なんだ?」
「えっと。いまの現状、冒険者さんに損がないように見えないですか? イベントとか、チケットとか、必ずメリットがあるっていうか……。第三階層の強い敵に捕まっても、第二階層に戻されるだけだし」
おずおずと、皆の顔色をうかがいながら続ける。
「そ、そのうえ、ブラッドガルドの死体は浄化されてるじゃないですか。魔女、というかルリさん自身、ブラッドガルドを騙して、リク様に倒させようとしたんじゃないかなって……」
期待をこめた目だった。
そんな彼女を見て、アンジェリカはつとめて冷静に言った。
「可能性としては、ありえるわね」
「だったら……!」
「でもそれは、あくまで都合のいい解釈としてね」
『ひとつ、あるのは』
セラフが声をあげた。
『まず、迷宮が彼女の性質や願いと無関係に、いままでの経験や楽しい出来事、思い出や記憶を材料にしている可能性があります』
魔力が無いということは、性質を迷宮がくみ取れないことでもある。
その代わりに経験や記憶が反映されている可能性だ。
『でもこの迷宮はあまりに複雑です。浄化が続き、魔法生物が現れ、使い魔までもがいて……。……そして、これほど迷宮に影響を及ぼすほどとなると……」
「……彼女自身にも、制御できない魔力が存在している……」
オルギスが引き継いだ言葉に、誰も反発しなかった。
「魔力があるとするなら、おそらく瑠璃の中だ。……確かに瑠璃には魔力が無い。けどそれは、中身の見えない箱のようなものなんだ」
『ええ。そしてそこにあるのは間違いなくブラッドガルドの魔力ですね』
予想されていたことでもある。それほど驚きはなかった。
「ということは、迷宮はいま……二つの力が拮抗していると。今後何か恐ろしいことが起こる可能性がありますね」
オルギスが頷いた。
迷宮の主を討伐すれば解決するという、いままでのような単純な話ではない。しかも迷宮の主がいまどんな状況なのかわからない。本来なら、使い魔たちは進入者を排除しようとする。だが現状はどうだ。助け出すべきなのか、敵対すべきなのかすら解らない。それを確かめるには、とにかく底に行かないといけない。
『ですが、一言に魔力といっても、生半可なものではないはずです。それこそ、……。そう……心臓部のような』
全員がピリついた。
セラフが言っているのは、いわゆる魔法生物でいうところの核そのものを隠したと言っているに等しい。それが何を意味しているのか、自分で言っている意味を、本当にセラフは理解しているのか――そう思わざるをえない。
――あの子……。
緊張感を持つ仲間達を尻目に、アンジェリカはゆっくりと思考に沈んだ。
リクをぶん殴った時の彼女を思い出す。
彼女はこちらの世界では弱者だ。魔力も持たず、力も無い。コネも無ければ勇者でもない。だが、代わりにこの世界に無い技術を持ちこみ、魔力も隠れてしまう。ブラッドガルドがそんな瑠璃を利用したというのは、ある面で言えばそれはきっと事実だ。
――けど、もし……。ブラッドガルドが……、彼女に……。
あのときのことを思いだそうとする。思い出すだけで恐怖で足が震えそうになる。こんなにも沸き起こる恐怖が邪魔だと感じたことはない。短い時間ではあるが、あのとき微かに抱いた違和感の正体は、きっと至極単純なことなのだ。それでいて突拍子もなさ過ぎて、きっと誰も気が付かないし、誰も信じない。当のブラッドガルドですら、気付いていない可能性がある。
ちらりと視線を向ける。
仲間たちがいて、女神がいる。そしてリクがいる。
――……ごめんねみんな。もしそうなら、私は……。
そのときだ。足音がひとつ、響いてきた。
誰か他のパーティが来たのだろう、と踏んで振り返る。一団が降りてきていた。
「お、第二エントランスについたぜ」
「ええ。ありがとうございます!」
そのなかの男のひとりは、護衛されていたようだった。
何かの依頼だろうかと、視線を戻そうとしたときだった。
「……リク様? 勇者リク様じゃないですか? こんなところに!」
パーティと別れた彼が、興奮したように声をあげた。
「あのっ、あの、握手お願いします!」
「え、お、おう?」
呆気にとられたまま、リクが出した片手を、勢いよくぶんぶんと上下に振った。
「あっ、これは申し遅れました。僕はギルド員のマークと申しまして!」
「ギルドの?」
「いったいどうしたんだ? ギルドの駐在員がこんなところにまで……?」
ナンシーが横で首をかしげる。
「いやあもう! 聞いてくださいよ。ギルドは大変なんですよ。冒険者は戻ってこないし、依頼は受けてくれないし!」
「……あー……」
なんとなく理解はできた。
ハロウィン・タウンが休憩所としては破格の場所であるため、第一階層から街にまで戻らない冒険者が多々発生しているという。そのため、ギルドは定期的な人員の確保や依頼を受けるべき冒険者がいないらしいのだ。
そのせいか、この期に乗じてモグリの冒険者が多数出たり、迷宮内で出される「依頼」の把握が完全にできないなど、ギルドは頭を抱えていた。
「極論ですけど、ハロウィン・タウンが使えるようなら支部にしてしまえって意見もありましてね……さすがに迷宮内に支部なんて怖くて無理ですよ。でも、この迷宮の目玉が……モノがモノですからね」
「……まあなあ」
「とにかく、冒険者の照合だけはやっておきたいんでしょ。第二階層でのイベント発生時に、違反行為に走った冒険者の話も聞いてますし、モグリの冒険者も調査しないと……。そ、それでとにかく、ハロウィン・タウンまで降りてきたついでに、僕が斥候として第三階層で使えそうな場所を探してたんです」
近寄ってきたパーティの一団が、気さくに笑いかけてきた。
「便利っちゃ便利だろ? 俺たちは登録抹消されるようなこともしてないし!」
ははは、と笑う彼らに、そうだな、とリクが頷いた。
*
「おいお前」
その声が自分に向けられているとは、クロウは思ってもみなかった。
「お前だよ、お前! そこの茶髪! 止まれ!」
振り返ると、三人組のパーティのリーダー格の男がうすら笑いを浮かべていた。
リーダー格の男が剣を持った剣士。残りの気弱そうな少女が癒し手、そして少し扇情的な格好をした年上の女が魔術師とあたりをつけた。
いったい何の用なのかと思っていると、剣士が続けた。
「お前、クロウって名乗ってるやつだろう? 所属ランクを答えてみろよ」
「……Cランクのクロウ」
「聞いたことがないんだよなあ!」
だからなんだ、という話だった。同じランクでも知っている奴と知らない奴はいるはずだ。
「ねえライツ、やっぱやめたほうが……」
気弱そうな癒し手が言う。
「大丈夫だって、ミイ。それに魔力にプロテクトをかけてる奴なんて、怪しいに決まってるだろ」
「まあ、そうね。いまも魔力が読めないし。それに彼、剣士でしょう?」
魔術師らしき女が横から言う。
やはりどこか何かを疑っているようだが、クロウにはますます読めなかった。
「つまり……なんだ?」
「なんだじゃないだろ。最近はモグリの冒険者が多いっていうからな。ギルドも大変だろうから、俺たちが発見してギルドの負担を減らしてやろうっていうんだよ」
「へえ……」
「お前、Cランクだっていうなら証拠を見せてみろよ。あるだろう? なにか」
クロウは微かに眉間に皺を寄せる。
「……お前はどうなんだ。そういうお前は。先に見せてみろ」
そう言うと、ライツは勝ち誇ったように笑った。
「俺も持ってないものをどうやって見せるっていうんだ? お前は知らなかった。そうだろ?」
クロウはため息をつきそうだった。
「どうだ? なんの反論もできないのか!」
そんな子供だましのような論調で言われても、クロウとしては困ってしまう。横にいる女が首をかしげた。
「待ちなさいよライツ。ねえクロウ、私たちはあなたの魔力プロテクトを信用できないってだけなのよ。一度でいいから外してくれたら、私たちも安心できるんだけど」
「断る。面倒だからな」
クロウは適当にあしらった。
「どうして? その言い方だと自分で外せるんでしょう?」
「馬鹿馬鹿しい。もういいか?」
「……待ちなさい」
魔術師の声がやや厳しいものを帯びた。
ここでは魔力を隠す、ということそのものが命取りなのだ。
ようやくここで、ひとつの事実に行き当たった。
単にこのパーティは、気に入らない者に突っかかってきているだけと思っていた。
だがこのパーティにおいて、本質のリーダーは別だったのだ。つまるところ、適当にあしらっていいタイプではなかったらしい。いまさら気付いてもどうしようもない。クロウが黙っていると、反対にますますライツと呼ばれた男はにやにやと笑った。
「いまので確信を持ったぜ、俺は。よっぽど自分の正体を暴かれたくないと見える。お前、ひょっとしてこの迷宮の使い魔なんじゃないか? あるいは、迷宮を狙ってきた魔人か」
クロウはいい加減、会話を打ち切りたかった。
踵を返して、歩きだそうとする。ライツはそれを止めた。
「待てよ。勇者より早いっていうから、どんな奴かと思えば……。いまのが命取りになったな。お前の正体、俺が暴いてやるよっ!」
ライツは勢いよく剣を抜いた。
「タカメ、奴のプロテクトを外せっ!」
「ええ!」
剣を構えて走ってきた男に、クロウは少しだけ振り返った。
ライツの剣はクロウの右頬の横を勢いよく通過していった。
「おらあっ、どうしたっ!」
上段からの切り下ろしを、横に避けて回避する。
改めて魔力プロテクトを感知したタカメが、目を見開いた。
「……え?」
「どうしたの、タカメ?」
「駄目だわライツ! このプロテクト、かなり頑丈で……。これっていったい……」
「へえ……?」
ライツが面白がっている間に、クロウは逃走の準備を進めていた。
プロテクトを剥がされても面倒なことになる。それは理解していた。この迷宮が死者を出さない作りになっていることも、面倒このうえなかった。それならまだ先輩冒険者に突っかかられて逃げたというほうが言い訳も立つ。まだ何もかもが早すぎる。
この先の通路をちらちらと見ていると、下のほうからなにかを感知した。
――来る。
位置を確認し、じり、と背後へ下がる。
そして、じりじりと下がったあとに一気に走り出した。
「待てっ!」
待てと言われて待つ奴などいない。
この程度の火の粉など、想定内ではあった。一気に加速して、予測した位置を通り過ぎる。所定の位置を通り過ぎたあとはもう、下から来るものに任せるしかなかった。
「待ってライツ! サメが来るっ!」
「うおっ! サメ!?」
後ろでは悲鳴が聞こえていた。この間に距離を取ればいい。後ろからはまだぎゃあぎゃあと聞こえているが、知ったことではなかった。
――……よし。
最高にわけのわからないギミックではあるが、クロウはこのときだけは迷宮のサメに感謝した。
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