28話 きみとさいかいしよう

 マンションの一室。

 瑠璃は玄関の鍵を開けると、扉を開いた。


「ただいまー」


 誰もいない中へ向かって声をかける。中に入ってかちりと再び鍵を掛けると、靴を脱いで隅のほうへ揃えた。いつもの帰宅風景だ。

 廊下を歩いて居間にたどり着くと、冷房のスイッチを入れた。低い音が唸りをあげて仕事を始める。家の中はすっかり蒸し暑くなっていて、心地良くなるにはもうしばらく掛かりそうだった。

 荷物を放り投げると、キッチンで手洗いとうがいを済ます。


 そして再び自分の部屋に戻ると、制服を脱ぐ。

 着替えた瑠璃は、最終的に――手に入れたツルハシを装備した。


 地下鉄駅二つ隣の「ホームセンターナカバヤシ」なるダンジョンで買ってきた……もとい手に入れた伝説装備だ。ということにした。


 瑠璃は毎日のように鏡の前に立ち、同じ時間に扉を開けてきた。そのたびに見える石壁にそろそろ辟易してきたところだ。

 この数日、石壁を破壊しようとしたり、ふて腐れたり、寝たり、一人でお菓子を食べたり、ぼやっとしたりしたが、どうにもならなかった。一人で菓子を食べても飽きるだけだし、何しろ石壁は石壁はどれほど破壊しようと元に戻ってしまう。だからツルハシなんか正直役に立つのかどうかすらわからない。


 が、やらずにはいられないのだ。


 何もしないより何かしたほうが圧倒的にマシなのだ。

 好きにしろと言われたのだから、好きにしている。


 それだけだ。


「……よしっ!」


 意を決して、鏡の扉に手を伸ばす。

 今日の瑠璃は髪を縛り、シャツにジーパンと、およそ色気もへったくれもない格好をしていた。そこに安全帽をかぶり、軍手を革手袋のごとくキュッと嵌め、ツルハシを片手に扉を開いた。


 ぎぃ、と扉が軋む。

 その先は――。


 暗かった。


 瑠璃はひとつ瞬きをしたあと、指先を前に向けた。鏡は指先をゆっくりと呑み込み、やがてなんの障害もないままに迎え入れた。瑠璃はそのまま鏡の中を通り抜けて、目の前に現れた人影の顔を見た。

 人影は無言のまま瑠璃を見下ろし、長身から来る圧迫感と威圧感を与えてきた。


「遅い」


 その不機嫌な第一声は、何をどう考えてもブラッドガルドだった。


「我を待たせるな、小娘」


 瑠璃は一瞬ぽかんとした。

 それからブラッドガルドを頭からつま先まで見つめたあと、視線を顔に戻す。手に持ったツルハシが手から滑り落ちて、がらんと音を立てた。安全帽を外す。


「……なんだその珍妙な姿は?」

「な、なんで。どうやって」

「あ? ……壁に埋もれていたからな、壊して固定しただけだが」

「……」

「……ぐっ!?」


 ブラッドガルドの口からおよそ普段は出ない呻き声がした。

 不意に頭を後ろに反らした瑠璃が、無言でそのみぞおちに頭突きをかましたのだ。さすがにその行動は予想外だったらしく、総じて低いダメージレベルに対して声が出たらしい。

 さすがにたたらを踏んだりはしなかった。

 代わりに埋まったままになった瑠璃の頭を、無言で見下ろしていた数秒間。誰もブラッドガルドの顔を見ていなかった。だからそのとき彼がどんな顔をしていたのか、彼自身も含めて誰も知らない。


「なんだかわかんないけどむかっ腹が立つ!!」

「そうか」


 ブラッドガルドは子猫の怒りでも受け流すかのように言った。

 所詮は子猫。威嚇も爪も恐れるものではない。


「……ところで小娘」

「なんだよ。チョコレートなら絶対あげないからね」

「それについては異議がある……が、その前に貴様には決めてもらうべきことがある」


 何、と瑠璃が尋ねきる前に、ブラッドガルドはその首根っこを掴んだ。猫のようにつまみあげると、ぐるりと後ろを振り向く。


「奴の命をどうするか決めろ」

「は?」


 瑠璃が強制的に視線を向けられた先には、薄汚れて傷だらけの鎧を着た白金色の髪色の青年がいた。

 槍にしがみつくように立ってはいるが、口元は驚愕で開いたまま。目は見開いていて、あきらかにその表情には戸惑いが見える。

 戸惑いたいのはこっちのほうだった。


 周囲には沈黙が降り、瑠璃には混乱が満ち、疑問符が飛び出した。


「……ど……、……どちらさまですか……?」


 引きつりながらようやく言葉を絞り出すと、再び沈黙が降りた。





 青年はしばし戸惑っていたように見えた。

 それは瑠璃の姿にもそうだし、ブラッドガルドの瑠璃の扱い方についてもそうだった。とにかく今の今までの光景のすべてに戸惑っていて、言葉を無くしていた。

 瑠璃はといえば「見られていた」という羞恥よりも、ブラッドガルドが放った言葉のほうに意識が持っていかれていた。


「そいつが誰なのか当ててみるか?」

「えっ……わかんない。ブラッド君の部下?」

「違う」

「じゃあ勇者?」

「勇者は黒髪だと言っただろうが。……正解は迷宮へ調査しにきた教会騎士団の一人で、我に殺してくれと宣った奇特な小僧だ」

「わかるはずない……っていうかホントに何なの!!?」


 さすがにおののく瑠璃。


「っていうか部屋も違うくない!? どこ、ここ!?」

「ああ。我が復活した後の話だが――」

「それ話の頭で気軽に流していいやつじゃなくない!?」


 そしてツッコミも追いつかなかった。

 そんな「近くに新しくコンビニできたんだけどさあ」というようなノリで復活した話をされても困る。


「なん……なんなの!? きみたちはもうちょっと自分の命を大事にして!?」

「たち、とはなんだ。こっちの命を勝手に天秤に乗せているのは向こうだ」


 とはいえ、この強引さはブラッドガルド以外の何物でもない。

 片手でブラッドガルドの胸のあたりをがつがつと叩くと、微妙な表情を受ける。


「簡単に言うなら、我に殺されないならと貴様に命を託して暇を潰していた」

「最初から最後まで一ミリも状況がわかんない」

「大体、この我にわざわざ殺してもらおうなどと傲慢もいいところだ。気分が一気に悪くなった。……」


 ブラッドガルドは、それに、と言いかけた口を噤む。


「あと、単純に貴様が他人の命をどうするかに興味があったのでな」

「そういうとこだよ!!!」


 迷惑もいいところだ。


「で、だ。奴の命をどうするか決めろ」


 ブラッドガルドは同じ事を言った。

 瑠璃はハッとして、そういえばもう一人いたことを思い出す。


「えっ、いやそりゃ……」


 すべて言い終わる前に、青年はようやく驚きから解放されたように小さな声をあげた。やや苦しそうに膝をつき、槍を横に置く。近くには傷ついた兜が置かれていた。彼のものだろう。

 瑠璃はびくりとした。


「僕……いえ、私はカイン。……カイン・ル・ヴァルカニアと申します」

「は、はあ。これはどうもはじめまして……。瑠璃です。萩野……、ルリ・ハギノ?」


 ブラッドガルドはその気の抜ける挨拶に、微妙な視線を向ける。

 瑠璃が黙ったのは続きを話してくれると思ったからだったが、カインは少し意外なように当惑してから、すぐさま気を取り直した。


「私……は、教会の探査団として派遣され……ここに参りました。本来は封印の調査という名目でしたが、……迷宮の主の復活を前に撤退を余儀なくされました。一度は地上に戻ろうとしたのですが、とある事情によって私は一人ここに残されたのです。自棄になった私は……。……私は」


 ブラッドガルドに殺してくれと言ったのだ。

 瑠璃はやや言いにくそうに問う。


「……なんでブラッド君は殺さなかったの」

「意味がわからないからだ」


 即答される。


「そもそも、我は奴らを一度見逃した。それなのに殺してくれときた。意味がわからん」

「さっきと比べたらもっともな意見だ」


 確かにブラッドガルドから見ればそうかもしれない。

 自分を殺しに……あるいは敵視している人間が、逃げたと思ったら今度は殺してくれときた。


「まあ、見逃したといっても少々遊んでやったがな」

「それについては後で聞くとして」と瑠璃はカインへと視線を直す。「とある事情ってなに?」

「……それは……」


 カインが大きく息を吐き出し、瑠璃はようやく異変に気が付いた。


「えっ、ちょっとまって、このカインさん……って人……」

「ん? ああ。同じ探査団の親友、とやらに刺されたらしいぞ」

「ヴァアー!?」


 さすがに瑠璃の思考回路がパンクしそうだった。いやショートだ。


「ちょっ……ちょっと待って! とりあえずどうすればいいの!? 病院!?」


 ばたばたと近づこうとするが、ブラッドガルドが首根っこを持ったままなので、その地点に固定されていた。


「ブラッド君回復使えるでしょ!? なんとかして!?」

「……契約外だ。他を当たれ」

「はあああ!?」


 さすがに声があがる。


「わかったとりあえずカイン君はブラッド君を殺さないで、助けるから! あとブラッド君は回復!」


 カインは息を吐きながら目を丸くした。

 この状況でなぜ、自分よりもブラッドガルドのほうが立場が下だと思えるのか。


「だから契約外だと……」


 ブラッドガルドは言いかけて止まる。


「……小娘。こういうものは等価交換ではないか?」

「えっ、何急に!?」

「貴様と我とて、等価交換の関係だろうが」

「都合のいい時だけその関係出すのやめてくれる?」


 思わず真顔で言ってしまう。


「ともかく、こいつを回復させるだけの対価を求める、というのだ」


 ずい、とブラッドガルドの顔が近くなる。


「な、なにを?」

「砂糖」

「砂糖!?」

「砂糖を十ガロだ」


 カインの目が見開き、瑠璃の目はぽかんとしたままだった。


「えっ、なんで砂糖……十ガロって……何キロ……? 十キロ?」

「知らん。あとで教える」


 チラッと後ろを振り返ると、カインはやや苦々しい顔をしていた。砂糖十ガロがこちらの世界でどれほどの価値を持つのか、よくわからない。


「わ、わかった」


 砂糖とか何に使うんだろう、という疑問を持ちつつも、瑠璃は頷いた。

 ブラッドガルドは口の端をあげると、瑠璃から離れた。


「……いいだろう」


 その視線がカインへ向く。


「足りぬ分は小僧、貴様の自由を貰うぞ。とはいえ――それでも命を繋ぐ程度だ。後は知らん」


 それだけ言うと、あまりに簡単にカインへと指先を向けるブラッドガルド。その指先に魔力の光が集ったかと思うと、カインに向いた。

 一瞬びくりとしたものの、いささか楽になったのか、貼り付いたような表情がやや和らいだ。その首をぐるりと一周するように、奇妙な文様が浮き出たのと引き換えに。


「お、おお……すごい。魔法だ……」


 ただし何が起きたのかは瑠璃にはさっぱりわからない。

 感動でしばしぼやっとしている間に、カインが視線を向けた。


「……お手を煩わせました。しかし、なぜ……僕の命を繋いだのですか……?」

「えっ、なんでって言われても……、意味とか無いけど……。困るし……」


 この部屋で死んでも困るからだ。

 その『困る』自体にはたいそう多くの意味が含まれているのだが、瑠璃はその一言で済ませたため、まったく伝わらなかった。


「諦めろ、この小娘はこういうものだ」


 ブラッドガルドがしれっとした顔で言った。


「そして我は契約は守る」

「……。迷宮の主に……回復されるなど……。きっと信じてはもらえないでしょう」

「寝て起きたら何か持ってくるから! ゆっくり休むといいよ」

「え、あ、……はい……?」


 カインも困惑の表情をしていた。

 正直まだ瑠璃が何者か、何を考えているのかを完全に把握できていないのだ。主従というにはお互いがお互いに不遜すぎる。あまりに当たり前すぎて、カインはその答えに行き着かなかった。

 瑠璃は扉の向こうへと行こうとしていて、ブラッドガルドは眉を顰めていた。突然歩き出すと、その背を追う。


「……おい、待て小娘。我をすっ飛ばすとはどういう了見だ」

「なんでブラッド君までこっち来んの!?」


 ばたん、と扉が閉まる。

 二人の姿が消えたあと、カインは腰が抜けたようにその場にへたりこんだ。


 ――生きてる……。


 果たして生かされたのか良かったのかどうか。

 首元へと手をやると、そこに僅かな魔力を感じた。


 大きく息を吐くと、緊張の糸がぷっつりと途切れた。カインは意識を手放し、その場に倒れ込んだのだった。

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