挿話13 世界樹の下で

 まっさきに姿を隠したのは、小さな光のような精霊たちだった。

 その様子に、小さな村に緊張が走る。


「ニンゲン……」

「ニンゲンだ」

「いや、あれは……ニンゲンなのか?」


 耳の長いエルフたちから困惑した声が出た。


 何しろ招かれざる客は、並のエルフよりも美しかったからだ。

 エルフは美しい。基本的にみな整った顔立ちをして、長い耳を持っている。

 そんなエルフたちからすれば当然見分けはつくが、それでも当惑の色を隠しきれないのは事実だった。


 客人は長い髪を持ち、その容姿は彼女自身がエルフと言われても信じてしまいそうだった。だが彼女の耳はエルフのように尖っておらず、丸みを帯びていて、それが人間であることを証明している。

 表情は不審の目を向けられてもあくまで穏やかで、エルフのほうがその様子にたじろく始末。

 雪の化身のごとく真っ白な髪は、光に照らされきらきらと輝いていた。





 木をくりぬいたカップを差し出されると、ひときわ老いて髭と髪に覆われたエルフが言った。


「こんなものしかなくて、申し訳ありませんな……女王陛下」

「期待はしておりませんよ。長老」


 細い目が開かれ、にこりと笑う。


「世界樹殿は何かをもたらしましたか?」


 四つの精霊の力がぶつかる地に生える世界樹は、すべてのエルフの故郷である。

 そのエルフたちのもとには、世界樹より言の葉がもたらされることがあった。

 世界の動きや変化、それらを呟くように、贈り物のようにエルフへと告げられる。ゆえに彼らは故郷からほとんど出ようとしない。もちろんエルフの中にはその厭世的な空気を嫌って外に赴く者も少なくないが、そういった者たちは「世界樹の言葉」を知らされる前の若い世代が多い。

 そうして、世界樹の言葉はエルフたちによって静かに、隠れるように受け取られてきた――ほんの五十年ほど前までは。


「いったい外では何が起こっておるのですか?」

「封印されたはずのブラッドガルドが、何者か――宵闇の魔女、の手助けを受けているということです」

「……なんと」


 長老と呼ばれたエルフは首を振った。


「恐ろしいことですわ。わたくしなど、恐怖ですくんでしまいそうです」


 女はその言葉とは裏腹に、微かな笑みをたたえて言った。


「あなたがたは何か知りませんこと? 宵闇の魔女、と言われる者について」

「私も長いこと生きておりますが――。人間の事情にはどうにも疎いようでしてな」

「……そうですか」


 つまりは、精霊の間で知られた存在ではない、ということだ。


 これも当然だ。

 何しろ「宵闇の魔女」とはゲームのキャラクターである。ブラッドガルドが調査をからかうために、たまたま聞かせた対戦ゲームの音声だけのキャラクターなのだ。しかも、これまた偶々対戦した相手が使っていたというだけである。


 だが異世界の人々にとって、そんなことは知る由もない。

 知っていたとして、他ならぬブラッドガルドがそんなことをするはずがないという思い込みは、ますます状況を混沌とさせていた。


「世界樹様のお言葉をすべて理解するのは困難でしょう」

「そうでしょうね。いつぞやの『運命の風に運ばれ、大地の子が降り立つ』――この言葉ですら、後から当てはめるのがやっとでした」

「どのようになりましたか?」

「大地の子とは勇者殿のことではないかと。勇者殿の名前である『リク』は、彼の故郷では大地や陸上を示すと聞き及びました。で、あれば――風に運ばれた大地の子とは、勇者どののことでは、と。すべては勇者殿のお名前、いえ、お名前の意味が判明したあとに理解したものです」

「ままならぬものですな」

「ええ。ですが、先に知っていると知らないとでは反応は違うものですよ」


 女はにこりと笑った。


「それで――世界樹殿は何かおっしゃいました?」


 続きを促す様子に、長老は息を吐いた。


「……『落ちた夜の欠片は、古き蛇を殺す』」


 長老がそう言ってから、しばし沈黙が続いた。


「それだけですか?」


 ようやっと女が、目をじっと見ながら言った。


「はい」

「夜の欠片……」


 衣擦れの音がした。


「なんのことでしょう。勇者殿のように名前を意味するのであれば、お手上げですが……」


 女は指先を唇に当てる。


「可能性のあるのは……宵闇の魔女。そして、古き蛇とはブラッドガルドのことでしょうか。確か、本性は……本来はドラゴンだとか」


 勇者殿が倒した時の姿は実に恐ろしいものだったようですが、と続けた。

 だが、それは異常な回復によって自らの正しい姿を保てなくなったものだ。


「蛇、に関しても様々な意味がございますな。蛇は良い意味でも悪い意味でも使われますゆえ」

「ええ、そうでございますね……。毒や恐れ、脱皮から転じた知恵や生命。ネズミを喰らい、地を這う彼らは大地を育む象徴だった……といいますね。ああ、ここにも大地。古き蛇が勇者殿でないことを祈ります」


 女はほう、と息を吐き、木杯を持ち上げた。

 静かに口元へ持っていき、唇を濡らす。


「……いくら世界樹様でも、大地の御子のことを古き蛇と揶揄することはないでしょう」

「ええ、ええ、わかっておりますよ。ですがお許しくださいな、いくら蛇が大地の象徴であっても、人は手も足もない姿に恐怖するのです。それに、魔物の蛇もおりますから」


 加えて言うなら、ブラッドガルドが蛇の魔術を好んで使うのは有名だった。

 農村以外というより、女神の信者にとってはとっくに悪の象徴ですらある。


「そんな蛇の意味はどんなものがありましょう?」

「嫉妬、妬み、執着、未練……そしてドラゴン……」

「まあ……恐ろしい。新たな勇者が迷宮の主を打ち倒してくだされば良いのですが」


 女は恐ろしげに口元へ指先をやる。

 

「それともやはり、魔女が……新たな迷宮の主へと成り代わるのでしょうか」


 口元は悲しげだが、薄く開けられた目は笑っていない。その頭の中で何が渦巻いているのか、長老にすらわからない。


 話を変えるように、長老は口を開いた。


「……もうひとつは、『古き蛇』そのもので蛇の皮のこともあります。蛇は何度も脱皮をするゆえ、そういう表現がございます」

「皮……ですか? そういえば、あなたがたの神話には似たようなものがございましたね」

「太陽の話ですな」


 エルフにとって、四大精霊は神に等しい。

 彼らの中に神々の話はゆるりとその形態を少しずつ変えながら受け継がれてきた。


 かつての地上は、火の神がその身に纏って独り占めしていたので、暗く冷たく、人々は苦しんでいた。困った人々は風の神へ祈り、哀れに思った風の神が一計を案じた。

 地下深くにいる火の神のもとへと赴くと、酒で酔わせてしまったのだ。

 ぐっすり眠っている隙にその皮を剥ぎとり、地上へと持ち帰る。そして光が隅々にまで行き渡るように空へ乗せた。しかしあまりに強すぎたので、半分の時間は休息の時間となるよう、昼と夜ができた。


 女神の神話においても風の神が女神に置き換えられたものがあり、おそらく元となった根っこが同じであると言われている。

 もはや古すぎて、エルフですら追えない時代のことだ。


「別の解釈では、皮を取られた火の神は月となり、永遠に追いかけ合っている。そういうものもありましたね」

「博識でございますな」

「いいえ。いいえ……あなたがたに比べれば、わたくしの知識など赤子同然にございますよ」


 女は首を振る。


「わたくしは、母や祖母があなたがたを保護したことをうれしくおもっているのです」


 にこりと笑いかける姿に、長老は小さく息を吐いた。


「世界樹殿も肝心なことは教えてくださりませんが、こうして期待していることには変わりありません」


 それは、ある種の予言だ。

 世界樹がもたらす言葉は曖昧で、こうしてたった二人の間でさえ解釈が分かれてしまう。世界樹の近くに住むエルフの、更にごく一握りしか知らぬ情報。それが表に出てしまえば、どんなことになるかわからない。

 迷宮戦争の時だってそうだ。世界樹のエルフたちは動けずにいた。

 あのとき、死の呪いから逃れたエルフは人間から疑惑の目を向けられ、排斥された。特にそれは魔術国家ドゥーラの島国が顕著だった。だが、世界樹のエルフは島国の同胞を見捨てるしかなかった。

 言の葉を受け取るエルフを絶やしてはならなかったのだ。


「……そうですな。あなたがたに保護されなければ……」

「そう落ち込まないでくださいな。ええ、ええ、わたくしはあなたがたをこそ高く評価しているのです。あなたがたはわたくしの庭の賢人。保護に値する存在です」


 女の口元が上品に上がる。


「わたくしはただ、あなたがたと今後ともいいお友達でいたいのです」


 その笑みは、とても柔らかだった。

 しかし、エルフをつなぎ止めている、あるいはその首を繋いでいる鎖がそこにある。


「……光栄ですな。女王陛下」


 長老は胡乱な気持ちになりながらも、感情を乗せぬまま言った。

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