5話 ビスケットを食べよう

 ブラッドガルドはビスケットを手にしたまま、じっと瑠璃を見つめた。

 そういうことはそれほど珍しいことでもない。


「何? どしたの?」


 さくりとビスケットをかじりながら尋ねる。

 表面にぽつぽつと穴の開いた、昔からよく見るタイプのビスケット。食感はさくさくしていて、ほんのりと表面についた塩が舌を優しく撫でていき、甘みを引き立てている。

 素朴な味は、ついつい手が伸びてしまう。


「貴様、ここ最近手抜きだな」

「手抜き!?」


 言うに事欠いて第一声がそれだった。


「似たような物しか持って来んではないか」


 グサーッと言葉がナイフになって突き刺さる。

 ここのところいつか言われるんじゃないかと思っていたけれど、事実言われると「バレた」という気分になる。


「しょうがないじゃんテスト前なんだから~~」

「なんだそれは」

「え……テストってその……知らない?」

「貴様が何のテストを受けるというのだ」

「ああ、そういう」


 たまにこういう時がある。

 言葉を知らないのか、それとも向こうの言葉が足りないのか。


 そもそもなんで言葉が通じてるのかもよくわからないけど、それは置いといて。


「そりゃまあ学生というか学校の生徒だからいろんな……うーん……いろいろなことの基礎知識、かな?」


 学校でやることはあくまで、基礎知識ではないだろうか。

 そう思ったのは、ここに来てからだ。


「文章の読み方とか計算もそうだし、過去にどういう歴史あったかとか――、ほかの言語の基本を知っておくとか。最低限知っておくといいことをやってるって感じかなあ」


 ちょっと前までそんなこと思いもしなかったのは事実だけど。

 でも、お菓子の由来もそうだけれど、単に「こういう理由で作られた」というだけじゃない歴史が絡んできたりする。

 そもそもこういうことを文章で読み解くこともそうだし。

 もっと資料をあさろうと思えば、誤訳の可能性も考えて英語なんかでそのまま読む必要もあるんだろう。とはいえそこまでじゃなくても、ネットでの検索の仕方から、本当はもっと図書館での資料の探し方っていうのも身につくと思う。


 もちろん学校の授業だけでこの世のすべてがわかるわけじゃないけど、あくまで土台のひとつなんだろう。

 時折、その土台がすべてのような気になっている人がいたり、土台自体が要らないと思ったり……考え方はいろいろだけど、やって悪いことではないと瑠璃は思った。


「なんだ詰まらん」

「ええ……」


 そして一蹴されるのもいつものことだ。


「うんでも、テスト終わったらちょっと豪華なお菓子くらいは食べたいよねえ」


 きらっきらしたケーキと、ちょっと小洒落たカップに紅茶を注いで、庭園の見える部屋で。

 ……とは言わないからせめてカップでお茶くらい飲みたい。お茶会感も出る。


「持ってこれば良い話だ」

「そうは言うけど、ここテーブル無いじゃん」


 カップに淹れるなら置くところはほしい。

 もっというなら椅子もほしい。

 そもそも牢屋みたいなのが間違ってる。


 せっかく異世界なんて場所に来ているのに、来れるところといったら異世界のどの地点なのかさっぱりわからない場所で、しかも六畳くらいしかない。

 しかもしゃべれる人といったら封印されてる魔王みたいな迷宮の主だけ。


 そのうえ暗い。


「やっぱり物によってはお皿とか必要だし」


 ブラッドガルドは黙ったままビスケットを口にする。


「理解はしよう。……だが、言うほど必要か?」


 確かに現状、テーブルがなくてもなんとかなっている。

 無理に引っ張ってくるものでもない。


 瑠璃の部屋からなんとか持ってこられればそれでもいいと思うが、下の石畳そのものがずいぶんと欠けているから、持ってきてもガタつくのは明白だ。

 だからこそ瑠璃は、自分も手づかみでそのまま食べられるものを選んでいる。


「きみの国だか世界だかは料理も手づかみで食べるのがマナーみたいだけど、やっぱ物によってはスプーンとかフォークとかあったほうがいいと思うし」

「ふん?」


 鼻を鳴らしたが、どこまで理解されているかは怪しい。

 興味が無いだけかもしれない。


「それにさあ、この間のマドレーヌ買ったお店、ケーキもおいしそうだったんだよ!」


 瑠璃はきらきらと目を輝かせて言ったが、ブラッドガルドは口の端ひとつあげない。


「あと、私が言うケーキって、生地に生クリームとかイチゴとかでデコレーションしてあるやつだからね。きみなら手づかみでがっつりいけそうだけど、やっぱり物によっては食器があったほうがいいし。安定してたほうが食べやすいものとかもあるから」

「そんなものか?」

「この国のケーキよりもっといろんな種類があると思うよ。今思い浮かぶのってチョコケーキぐらいだけど」

「なぜ貴様はケーキの類を持って来んのだ」

「私いまがっつり説明したよね?」


 秒で忘れられても困るし、真顔で聞かれても困る。

 というか今それを説明したところだ。

 説明したよね???


「なに……チョコケーキ食べたいの?」

「なぜそういう発想に至ったのか理解しかねる」

「どう考えてもその発想にしか至らないんだけど、せめてテーブルはほしいっていうのは変わらないよ」

「ふん」


 とはいえ店によっては高いし。

 ということは黙っておいた。


 バイトでもしようかなあ、と少しよぎる。

 確か二年生より上になったら、一部のバイトが許される。このお茶会がいつまで続くのかはよくわからないけど。


「だが同じ物を持ってくるな。同じだと飽きると言い出したのは貴様だろうが」

「……い、一応ビスケットだから。クッキーとは違うものだから」


 言い訳のように言う。


「……ほう?」


 目が光った。

 さっきまで最高に興味がなさそうだったのに!


「では語ってもらおうか――違いとやらを」


 けどもひとつだけ思う。

 せめてもうちょっとシリアスなことにその台詞を使ってほしいと。


 まあどうせ、魂胆はわかっている。

 瑠璃で遊んでやろうというそういうあれだ。


 瑠璃はスマホを取り出すと、片手で検索をかけた。


「ビスケットの語源は”二度焼き”。フランス語の「ビスキュイ」だって。フランス語の1、2、3、って、アン、ドゥ、トロワ、っていうんだけど、ビスは二度とか二回っていう意味の言葉ね。接頭語とか副詞ってあるから単独では使わない言葉かも。後半のキュイが焼くって意味ね」

「ひとまず語源に関しては違うようだな」

「そうだね……」


 めちゃくちゃホッとする。


「もっと言うとラテン語の「二度焼いたパン」に由来するみたいだけど」

「……パンなのか?」

「んーと。もともとは、保存性とか携帯食に使うために二回焼いたのが元みたいだね。旅人とか、航海中の食料とか。それが、だんだんとパンの行程を経ずに直接作られるようになったみたい」


 スマホをスクロールさせていく。


「今あるビスケットの前身になったのが、フィンガービスケットっていう指みたいな細長い形のやつね。これは今でもビスキュイ・ア・ラ・キュイエール……つまりスプーンですくって作ったビスケットって意味で、他のお菓子にも使われたりしてるよ」


 シャルロットっていうお菓子がそれっぽいけれど、持ってくるにはテーブルが必要だろうなあ、と思う。

 ものすごく何か言いたげな視線を感じつつ、次に移ったところで。


「……!?」


 続いて目に入ってきた言葉に目を見開いて絶句する。

 無視して続けようとしたが、気をそらすことはできなかったらしい。


「言え」


 命令口調で冷たい声が飛んでくる。

 せめてもうちょっと違うことで使ってほしい。


「えー……うん……日本語だと大体、クッキーとビスケットっていう違う呼び名があるんだけど……」


 ちらちらとスマホとブラッドガルドの間で視線が揺らぐ。


「英語圏だと特に区別はなくて、イギリスはビスケット、アメリカだとクッキー。さらにアメリカでビスケットっていうと全然違う形のものみたい」


 ケンタで売ってるビスケットがそれにあたるらしい。

 主な商品であるフライドチキンとポテトが印象としては強いけれど、そういえばあれも名前がビスケットだなあ、となんとなく思い出す。


「そうか。それで貴様どうされたい?」


 右手の指をぎちりと慣らしながら、鉤のごとく折り曲げる。


「やめて!! 強そうな敵キャラがやりそうなポーズやめて!?」

「意味がわからんぞ」


 大体ブラッドガルド自身がたぶん強そうな敵キャラだから始末に負えない。

 まあ実際負けてるしどこまで強いのかはてんでわからないけど。


「い、一応日本には定義があるの、定義が! えーと……」


 スマホを下にスクロールし、タップする。


「日本に入ってきてしばらくは外国人向けに作ってあったんだけど、柴田方庵って人が保存が効くことに注目して製法を習ったのが最初みたい。ビスケットゆかりの人だよ」


 この人が製法を報告した日が今のビスケットの日にもなってるくらいだから、結構な出来事かもしれない。


「それから八十年くらい経ってからの昭和四十六年……、一九七一年に「公正競争規約」で定義が決められたんだよ」

「なんだそれは」

「ものすごくざっくりいうと、特定の製品を扱ってる人や団体が、法律に基づいて、その製品の表示について取り決めた自主規制のルール、かな? ”この材料でこういう風に作られたものをビスケットと表示しましょう”って感じ。”こういう材料の商品にはこの名前は使えませんよ”っていうか。これを設定することで、不当な表示とか誇大広告、変な価格競争をなくそうってものね。加盟してない人たちは必ずしも従う必要はないみたいだけど」


 そこで言葉を切って文字を読む。


「……ふむ。ギルドの決まり事のようなものか」

「ギルド? って、あの……」


 中世とかにあったやつ? と一瞬思い出す。


「冒険者だの鍛冶だのの、同業の組合だ」

「冒険者ギルド!」


 職人はともかく冒険者ギルドなんて言われると、急にファンタジーを感じる。

 テンションが上がった瑠璃を無視して、ブラッドガルドは続ける。


「たとえば、の話――鍛冶ギルドの者たちが、百パーセント鉄だけで作った剣だけを「鉄の剣」と呼ぶ、というような取り決めだろう? 他に違う金属を足した場合、性能の良し悪しは別として鉄の剣とは名乗れない、というような」

「……多分そういうことだと思うけど、なんできみのほうが説明がわかりやすいの?」

「貴様が”多分”と言うな」


 ツッコミを食らったが、瑠璃は流した。


「それによると、手作り風で糖分と脂肪の合計が四十パーセント以上のものがクッキーって呼ばれるみたい」

「……手作り風、は必要なのか?」

「必要なんじゃない……?」


 改めて聞かれると自信がなくなってしまう箇所ではある。


「あ、なんかね。当時はクッキーは高級品って思われてたみたい。それで安価なビスケットと同じにされるのは困るっていうか誤認が生じるからっていう判断で出来た……って書いてある」

「また貴様らの祖先のせいか」

「いやほんとそれに関しては私は何も言えないんだけどね!?」


 そもそもクッキーがソフトビスケットという分類になっているのもどうかと思う。

 他にもビスケットの仲間はいろいろいるみたいだけど、そっちはそっちで食べたい。


 とはいえ、「ビスケットは安くて子供のもの!」って感じで、クッキーは安いものから高いものまであるような気がしていたが、まさかその程度の違いだったとは。

 瑠璃は感慨深くスマホをしまった。


「ところで小娘。結局同じものであったという事実はなんとする?」

「いろいろ違ったじゃん、成立の仕方とか……」


 クッキーの仲間だけど名前が違うから違うと断固主張したい。


「いや……」


 ブラッドガルドは急に目を細める。


「否、否――それよりも貴様――」


 声が鋭くなり、瑠璃を睨む。

 それよりも大事なことがあったというのか。


「こ、今度はなに?」

「我は”強そう”――ではない。強い。見くびるなよ小娘」

「そっち!?」


 でも実際見てないから仕方ないだろう。

 こればっかりは。

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