第6話 「名も無き英雄」
アスカは7年前に俺に危ないところを助けられ、商人として活動を始めた3年前に再会。
アスカの働いていた店の位置は、俺の家から道路に出たすぐ近くにあったため、自然と挨拶を交わす間柄になる。
護衛や魔物退治で日々危険に身を置いていた俺は、行きと帰りに笑顔で声を掛けてくるアスカに心惹かれ、またアスカもかつての恩人との再会に運命を感じ、気が付けばお互いに意識する関係になっていた。
ただ俺は、ある日の魔物退治で負傷してしまう。魔物自体は倒したものの街までは戻れず、このまま死を覚悟していた。
しかし、そこに仕入れから戻ってきたアスカが偶然通りかかる。彼女が俺を医者の元へと運んでくれたことで、俺は一命を取り留めた。
その後もアスカは暇を見つけては俺の家に足を運び、健気に身の回りをしてくれた。それもあって俺達の距離はさらに縮まる。
怪我が治る頃には、アスカは俺に危ない仕事から身を引いて欲しいと望み、俺もアスカの傍に居たいと願った。俺達が結ばれたのはそのすぐ後の話……
なんて過去が偽装のために用意されていたわけだが、結果から言おう。
この過去が役に立つことはなかった。
何故なら出発してから目的地付近に到着した現在まで、道中で誰にも遭遇しなかったから。誰にも会わなければ、夫婦を演じる必要もない。
このような偶然が起こりえるのか? もしかして敵に誘われている?
なんて疑問を浮かぶはするが、あちこちで魔物による被害が出ていることは認知されている。街の外に出る人間が減っていたもおかしくはない。
それに俺達が向かっている方角は、過去の戦争で廃れた村や町もあり、人口が多い地域というわけでもない。
故に誰にも出会わなくてもおかしいという話でもないのだ。
ただ設定を考えたアスカからすると、それを使うことがなかったのは不満かもしれないが。
「うん? どうかしましたルークさん」
「いや……もうすぐ目的の村だが、結局誰とも会わなかったと思ってな」
「そうですね。色々と考えたのに無駄になっちゃいました。まあルークさんとふたりだけの時間が、たっぷりあったと思えば悪い気はしませんけど」
浮かんでいる笑顔にはプラスの感情しか見えない。
おそらく嘘は言っていない。
理由は、この何日かでアスカの性格を大分把握できているからだ。
アスカは不機嫌になっても無視をしたり、声を荒げたりしない。だが自分が満足するまでは会話をやめようとしない傾向がある。
ボクの機嫌を損ねたのはあなたなんだから、機嫌を直すのはあなたの務めですよね? と言わんばかりに。
ただ夫婦という設定を使うことがなかったのは、俺が問題というわけではない。
理不尽な怒りをぶつけるような真似はしないはずなので、設定のことに関しては無駄になったと言っているが、大して気にしていないのだろう。そう思いたい。
「ただ、その時間も終わると思うと悲しくなりますね……そういえば、ルークさんのコートってずいぶんとくたびれてますよね?」
「まあずいぶん長いこと使ってるからな」
「じゃあ今度ボクが新しいのをプレゼントしますよ。今回のお礼ということで」
「ありがたい話ではあるが、そういう話は帰り道でしてくれ。もうじき目的地だ」
どんな危険が待っているか分からないだけに気を引き締める必要がある。
それはアスカも分かっているのか、肯定を返事をすると適当な場所で馬車を止めた。人がいなくなって時間が経っているだけに、背の高い草木が生い茂って村の中に行くのは徒歩の方が早いからだ。
今回のために新しく作り上げた刀を腰に身に付け、馬車から降りる。
この刀の詳しい性能は時間があまりなかったこともって測れていない。だが少なくとも、これまでのものより断てる魔力量は上がっている。それだけでも十分な進歩だろう。
しかし、神剣を超えるまでの道のりを1歩分進んだだけ。
決して満足できるものではない。満足していいものではない。これからも精進しなければ。
「すみません、お待たせしました」
身軽な動きでアスカも馬車から降りてきた。
ただここまでの道のりとは違い、町娘の恰好から仕事着である黒騎士のコートに着替えてある。
腰には二振りの長剣。刀身は一般的なものよりやや細い。
この剣達は、二本一対の
形状こそ同じだが、それぞれの刀身は真紅色と薄氷色をしており、炎と氷の力を宿している。アスカから注文を受ける前に試験的に作ってみた双剣の魔剣だ。
両手で武器を扱うには技量が必要であり、また宿した能力が違う。
故に普通の魔剣よりも使い手を選ぶ得物だが、アスカなら問題ないだろう。
そう言える理由は単純。
ラディウス家の一件では剣を一振りしか使っていなかったが、両手に得物を持つのが本来のスタイルだと本人が言っていたからだ。
「どうかしました?」
「別に……前々から思ってたが、隠密活動する割に派手なコートだと思っただけだ」
「そうですか? 胸の紋章以外は派手な装飾はありませんし、そこまでないと思うんですけど。色合いだってルークさんの名残りで黒のままなわけですし」
俺がやる以前から似たような任務を請け負う人間は居たと思うのだが。
ただ俺が請け負っていた頃の上司はエルザであり、アスカの上司もエルザ。
俺が黒のコートを愛用しているのも色合いが自分好みということもあるが、エルザから支給されていたために着る機会が多かったからでもある。
そう考えると、アスカの言うように今の黒騎士の正装は俺が元になっていてもおかしくはない。
「それにルークさんの言うこの派手さは必要なんですよ。敵対者への警告や注意を引く意味でも、ボク達黒騎士の身分証明の意味でも。普通の騎士より政治絡みの任務も多いので」
「俺の時代より気を配ることが多そうで大変だな」
「大変ですけどやりがいはありますから。ボクの英雄がしていた仕事でもありますし」
尊敬や憧れを抱いてくれるのは嬉しいことではあるが、英雄と呼べるくらいなら先輩の方がマシだ。
魔竜戦役は人と魔物との戦争。
にも関わらず、俺は魔人などの生物兵器にされた者を除いても多くの人を殺した。その中には暗殺や虐殺じみた案件だってある。
人と人との戦争ならば、多くの命を奪った者は英雄だろう。
魔竜戦役の内容が違っていたならば、まだすんなりと《英雄》という言葉を受け入れられるのだが。
「なら落ちぶれた英雄を守ってくれ。今度居候をどこかに連れて行かないといけないんでな」
「それは是が非でもルークさんだけは無事で帰さないといけませんね。分かりました、ルークさんのことはボクが守ってみせます。でも女性から守られるのって男性のプライドが傷ついたりしません?」
「そんなプライドあるわけないだろ」
俺は英雄であっても名も無き英雄のひとりだったんだから。
それに……剣術も魔法も優れた騎士団長や、竜が相手だろうと余裕な顔で大剣を片手に向かって行く女王様が知り合いに居るんだ。
男は女を守るもの。
その意気込みがないわけではないが、自分より能力がある者を守ろうとしても邪魔になるだけ。素直に守られて、自分の身だけ心配している方が賢明だろう。
自己評価をきちんと出来ない者は、自分だけでなく周りの人間さえ殺しかねないのだから。
「それに今の俺は立場上は一般人だ。騎士に助けを求めるのは当然のことだろ?」
「それを言われたら何も言えませんね。さて、とりあえず村の方へ行きましょうか。何が起こるか分かりませんし、くれぐれも注意してくださいね」
一般人の護衛としては正しい発言かもしれない。
だが、どことなく俺を子供扱いしているというか……問題児の面倒を見る委員長的な雰囲気を感じるのは気のせいだろうか。
いや、気のせいだろう。そういうことにしておこう。
ここでそのことを質問しては、ようやく真面目になりつつある空気がまた和んでしまう。緊張のし過ぎもダメだが、何事にも多少の緊張は必要。気が抜けていては何か起こった時に対応できない。
俺とアスカは、いつでも腰にある得物を抜けるようにして村の中へと入る。
かつて魔物の襲撃があっただけに建物の多くは大なり小なり壊れており、雑草や蔓が茂っている。人の気配もなく、見た限りは廃れた村でしかないが……
「……静かですね」
「静かでないのも困るがな……ただ」
嫌な静けさだ。
何かが動いてる気配もなければ、誰かに見られている感覚もない。
しかし、微々たる音量であるが脳内で警鐘が鳴っている。
いわゆる勘というやつになるが、場数を踏めば経験が積まれる。その経験の蓄積によって生じる勘は、時として役立つものだ。
特に……今回のような何が起こるか分からないケースにおいて。
「警戒しつつ奥に進むぞ。何もないと決めるのは、一通り村の中を見てからだ」
「はい」
警戒レベルを一段階引き上げ、村の奥へと進む。
この村は基本は平地だが、奥に進むにつれて緩い傾斜になっている。そのせいか、奥に進めば進むほど建物の数は減っていくだが……
――おかしい。
廃墟の数を考えれば、ここに暮らしていた数が奥よりも入り口側の方が多いはず。
にもかかわらず、入り口側より奥側の方が整地されている。いくつかの建物に関しては、最近まで誰かが居たのではないか。そう思えるほど雑草などがないものさえある。
「――っ」
鉄が混じった腐ったような臭い。
戦場の跡地に漂うようなその悪臭は、過去に嗅いだことがあるものよりも濃度が高い。
それだけに微かに風で運ばれてきただけにも関わらず、嗅覚を大いに刺激した。
「ルークさん……」
「あっちからだな。行ってみるぞ」
「はい」
足を進めると、物置として使われていたような小屋が見えてきた。
その隣にはゴミ捨て場として使っていたのか巨大な穴が掘られており、そこには無数の人や動物の死体が転がっていた。悪臭の原因はこれだろう。
白骨化していないことから過去の魔物の襲撃で死んだ者達ではない。
腐敗の進み方は死体によってバラバラ。だが死体の山の頂上付近の個体は、最近殺されたもののように思える。
「……いくつかの死体、身体の一部が変異してますね」
「ああ……この村で奴らが活動していたのは間違いない。そして、実験が行われていた場所はおそらく……」
丘の頂上に鎮座している屋敷だ。
建物の状態が他のものより良いのもあるが、目の前にある穴から屋敷に掛けて地面がところどころ変色している。
いったいどれほどの血が流れればこのような道が出来るのか……。
「……行きましょう。ここで引き返すわけにはいきません」
「そうだな」
アスカに返答し1歩踏み出す。
――その瞬間。
背後に感じた微かな殺気。
その正体を確認する前に俺とアスカはその場から飛び退いた。
風が唸りを上げ、地面が爆ぜるように咆哮を上げると土煙が舞う。
体勢を立て直した次の瞬間には、土煙を吹き飛ばしながら火球が現れる。
左手で鯉口を外し、眼前に迫るそれに一閃。揺らめきながら消える炎の向こうに見えたのは、黒衣を纏ったふたつの人影……。
「……さすがは元英雄」
その声は前回遭遇した男のものではない。
しかし、俺にはどこか聞き覚えがあった。
その俺の疑問を晴らすように敵のひとりが自身のフードに手を掛け、ゆっくりと背中側に下ろした。
親しい関係ではなかった。言葉を交わした記憶もほとんどない。
だが……俺は奴を覚えている。
かつて自信のなかった瞳に宿った冷たい光。髪も乱雑に伸び、身長も幾分が伸びた。先ほどの魔法も奴が放ったものだろう。
総合的に考えれば、俺の記憶にある奴とは似ても似つかない。
しかし、それでも俺は奴を知っている。
何故なら……奴は俺と共にこの世界に召喚された者のひとり。英雄として招かれ、英雄としての資質を持たなかった者。名も無き英雄のひとりだった男だからだ。
「久しぶりだな、ルーク・シュナイダー」
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