第3話 「手に汗握る……」
空が茜色に染まり始めた頃、俺はアシュリーと共にシルフィの家に足を向けていた。
シルフィの家……建物の規模的にラディウス家の屋敷と言った方が正しい気がするが、そのへんは置いておくことにしよう。気分次第で言い方なんて変わるのだ。故に話を戻そう。
ラディウス家の屋敷は王城の近辺にある中央区、分かりやすく言えば貴族街と言われそうなエリアの端の方にある。ぶっちゃけ庶民の住む区域に近い。
それは何故か?
単純な話である。ラディウス家は、魔竜戦役以前は没落寸前だった弱小貴族。
今でこそ名声を取り戻し、当主が王国騎士団の団長を務めているのだから庶民より裕福な暮らしをしている。だが資産を考えれば、他の貴族ややり手の商人にも劣るだろう。
まあ当主は優雅な暮らしを謳歌したいとは思っていないだろうが。そうでなければ、資産を売ってまで他人を助けようとしたり、孤児院の経営に手を貸したりはしないだろう。
「……なあアシュリー」
「なななな何でしょう?」
「お前は何をそんなに緊張している?」
平民であるアシュリーには、貴族の住むエリアは煌びやかに見えるかもしれない。
だが彼女は騎士だ。
この区域にも街の見回りで何度も足を運んでいるはず。場違いな空気程度で緊張するとは思えない。
「だ、だって……こここれからシルフィ団長の家に行くんだよ? 上司かつ恩人の家に行っちゃうんだよ?」
「お前……もしかしてシルフィの家に行ったことないのか?」
「ないからこんなに緊張してるんだよ!」
あ、そうですか。それはすみません。だからそんなにオシャレなワンピースも着ていたんですね。
でもさ……あれだけ日頃からシルフィが好きと言ってるなら本人の家くらい行けと思うのは俺だけ?
孤児院の頃からの付き合いなら何度か家に誘われそうなものなんだが。シルフィなら騎士になったお祝いとかしそうだし。
シルフィへの尊敬と愛情が緊張を限界突破させて誘いを断らせていたのかね。
本音としてはどうでもいいんだけど。でもそういう過去があったりすると、このあとの展開が非常に面倒臭そうに思える。
何で俺は、妹でもない構ってちゃんの面倒を見てるのだろうか……。
「ねぇルーくん、あたしの恰好変じゃないかな? おかしかったりしないかな!」「まあ別に」
「真面目に答えてよ!」
いやいや、おかしくはないって言ったじゃないですか。
何で「この服とこの服、どっちが似合うかな?」って聞いて、納得の行く答えが返ってこなかった彼女みたいな圧力出すのかな?
これまでにも何度も言ってますが、僕はあなたの彼氏ではありません。
「……お前がシルフィに憧れて髪型とか似せてるのは知ってるが、あいつとはタイプが違い過ぎるから清楚な格好よりスバル寄りの恰好の方が似合うと思うぞ」
「真面目な答えありがとう! でもそういうの求めてるわけじゃないから。ただ肯定して欲しいだけだから!」
「…………」
「こいつ本当面倒くせぇ、みたいなその顔は何? 年上なんだから緊張してる可愛い年下に気を遣ってくれてもいいじゃん!」
このやりとりで十分緊張は解けたと思うのですが……というか、可愛い年下? 年下はいいとしても可愛い……こいつのどこにそんな要素があるのだろう。
奇跡的に可愛いと思ったことが一度くらいあった気がするが、基本的にこの巨乳な甘えん坊に可愛げを感じたことはない。
普通さ……巨乳で甘えん坊な年下って可愛げありそうだよな。なのに現実は目の前に居る金髪さん。世の中のみんな、夢はあまり見るものではない。夢は夢だから夢なんだ。
「大体ルーくんは何でいつもの恰好なわけ? 女の人の家に行くんだから少しくらいオシャレするべきじゃないかな。あたしのシルフィ団長に対して失礼でしょ!」
「俺はお前の付き添いだし、別にシルフィを口説きに行くわけでもない。というか、さらりとあたしのとか付けるな。付けるなら本人の前でもそれくらいやれ」
「それとこれとは話が別というか……シルフィ団長とルーくんは違うし」
顔を赤めてモジモジと……。
普通今みたいな言い回しでそんなことされると、男というのはこの子もしかして自分に気があるんじゃ……? とか思いそうなものだが、こいつに関してはそんな感情すら生まれない。
まあでも仕方ないよね。
こいつにとって俺は雑な扱いがオッケーな人で、格好悪いところを見せたくない特別な人はシルフィなんだから。
いやぁ本当に何で俺、こいつのお守りしてるんだろうね?
「どうでもいいからさっさと行くぞ」
「え? ちょ、ちょっと待って!」
屋敷に着いたわけでもないのに待つ理由はありません。心の準備が……、とか言いたいならせめて屋敷の前で言ってください。
これが本音。
でもね、思いっきり手を握られると止まるしかないんですよ。
だってさ……アシュリーさんって見た目に反して怪力なの。手とか俺より小さくてちゃんと女の子の手なのに握力凄いの。下手すると潰されそうなくらい。
「えっと……何故そんなに睨んでいるのでしょうか? あたし、そんなに怒らせるようなことしたかな」
「あなたは自分が怪力なの忘れたんですか? それともその年齢ですでに頭がダメになってるんですかね? 何より今すぐ手を放せ」
「そ、それは……すみませんでした! でも緊張のあまり逃げそうだから手を繋いでてください。あたしにルーくんの勇気を分けてください。お願いします!」
「嫌だ」
「――何故にッ!?」
むしろこっちが何故に?
あなた年齢で言えば高校生ですよ。
子供だけど大人扱いも受ける年齢なんですよ。
なのに何で怪我とかしてるわけでもないのに手を繋がないといけないんですか。僕はあなたの親でも兄でもありません。何より……
「お前、手汗掻き過ぎ。率直に言って気持ち悪い」
「そんだけ緊張してんだよッ! そりゃあ他人の汗とか触りたくないだろうし、悪いとは思うけど。でもだからって気持ち悪いって言わなくてもいいだろ。あたしだって傷つくんだぞ。シルフィ団長の見合い話であたしの心は弱ってんだぞ!」
「弱ってるって言うなら騒ぐな。そんなんだからお前は、いつまで経っても色気のないガキなんだ」
「騒ぐなって言うなら煽るんじゃねぇ! それに色気がそう簡単に身に付くわけないだろ。というか、色気って何だよ? 本当にあたしには色気がないのか? ないって言うならちゃんと確かめろよ。服だって脱いでやるから!」
と、アシュリーさんは訴えてきていますがスルーします。
路上で脱ぐなんて言う情緒不安定な人と会話するつもりはありません。本当は情緒が安定していても会話したくないけどね。
だってこいつとの会話って騒がしい上に面倒じゃん。
こいつは多少無理してでも、さっさと彼氏でも彼女でも何でもいいから作るべきだと思う。
俺と同じ年まで恋人いなかったりすると、今より格段に拗らせた大人に成長しそうだから。もしそうなったらこだわりの強いヲタクとかより鬱陶しい気がする。
「脱ぎたいなら止めはしないが、俺はお前が何と言おうと帰るぞ。このまま騒いでも帰るがな」
「選択肢がねぇ! なので黙る、黙ります、黙るけど……手は繋いでてください。せめて服くらい掴ませてください。お願いしやす」
最近落ち着いてきたかと思っていたが、また何かヴィルベル化してるような気がする。
まあぶっちゃけ、変態の素質はあるけど。ストーカーしててもおかしくない奴だけど。
でも出来ることならまともな大人になって欲しい。馬鹿げたこと言動をしてもいいけど、良識のある人間に育って欲しい。そう願う俺は罪深いのかな……。
現実逃避するかのようにそんなことを考えながら歩き出した。
アシュリーの手? そんなの繋いだままに決まってるだろ。
だってアシュリーからは手を放す意思が感じられないし、服を掴まれた状態で急停止でもされたらそっちの方が対応しにくい。
何より……あれこれ言っていたら余計に時間を食うだけ。
さっさとラディウス家の屋敷に行くためには現状がベストだろう。早く解放されるために手汗くらい我慢してやるさ。
「…………ルーくんの手、大きくてゴツゴツしてる」
「この背丈でお前より小さかったら気持ち悪いだろ。それに鍛冶仕事や刀を振ってれば手の皮も厚くなる……というか、感触を確かめるように何度も握り直すのやめろ」
微妙な力でモゾモゾされるとこそばゆい。
「ごめん……でも何か懐かしくて。昔こんな風にお父さんと手を繋いでた気がして」
「気がしてって……ガキの頃なら繋いでてもおかしくないだろ」
「そうなんだけど……正直に言えば、村が魔物の襲われる前の記憶って曖昧になってるんだよね。孤児院に引き取られてからの生活の方が長くなってるし」
他人に心配を掛けたくないのか、無理して笑う少女だ。そんなどこか寂しげな笑みを浮かべても騙せるのは楽天的か鈍感な人間だけだろうに。
だが親を亡くし、他人の家で育ったならば……心配を掛けたくない、心配させたくないと第一に考えるようになるのは当然なのかもしれない。
「……まあ人は忘れる生き物だ」
忘れるからこそ生きていける。
そういうことだって世の中にはある。辛い記憶、悲しい記憶ばかりに囚われていては前に進めない。自分の幸せを願えない。
まあこの逆も然り。過去がなければ自分が何者か分からない。繋がりがない。それを人は不幸と捉える。
正直……忘れるべきか、忘れないべきか。その答えは時と場合による。そうとしか言えない。
「でも……忘れちゃいけないこと。忘れたくないことってあるよね?」
「ああ。だけど人生で見れば、子供で居る時間より大人で居る時間の方が長い」
子供の頃にどんなことをして遊んだとか、誰と何をしたとか、大雑把に覚えていても具体的なところには霞が掛かる。
全てを覚えていられる者なんてほぼいない。その枠から外れるのは、完全記憶能力を持っている一般から見れば超越者だけだ。
「俺も自分のガキの頃なんてうろ覚えだ。それに……最近はお前を始め、騒がしくて面倒臭い変な奴らばかりとつるんでるからな。余計に昔の記憶は漠然としてる」
「……それもそうだよね。ここ最近は色々あったし、変人や変態ばかり増えてるから――って、今さらりとあたしのこと侮辱したよね! あたしは確かに騒がしくて面倒臭いかもしれないけど、断じて変人や変態じゃない。そこが違うから!」
え?
好きな相手をストーカーしてもおかしくないって認識を持たれる時点で、俺としては変人や変態の枠には入ると思うんだが。これは俺の認識が間違っているのだろうか。
それと……騒がしくて面倒臭いと認めたのなら改善してくれませんかね。
人はそう簡単には変われない?
そんなことを言いそうな人に言っておこう。そういうことをドヤ顔で言う奴ほど変わる気がないでしょ。真面目な顔で変わりたいと言う奴はちゃんと変わろうとする努力するから。
「あぁもう、途中までは何かこう良い感じだったのに……何でルーくんは最後まで優しく出来ないのかな」
「過去にあなたが優し過ぎると逆に気持ち悪いと言ったからですが?」
「それはそれ、これはこれ」
ちょっと自分勝手過ぎやしませんか?
そんなんだからあなたは面倒臭いんですよ。
お節介も面倒臭いって思われることあるけど、自分勝手で面倒臭い奴よりはマシだよね。彼女にするなら絶対前者。
ある意味シルフィが該当しそうだけど……何でこの少女は、シルフィに憧れているはずなのに逆に道に進むのだろう。反面教師にして良いところなんてないよ。真面目過ぎて返答が素っ頓狂なところに行くところ意外は。
「お前のそういうところ正直嫌いと言えば嫌いだが、まあ良しとしよう」
「嫌いと言われたのに話を終わらせられるとこっちとしては困るんだけど。嫌いが嫌いで終わっちゃうんですけど」
だからそういうところが嫌いなんです。面倒臭い。
この短時間でどれだけ面倒臭いと思わせたら気が済むの。大体さ、嫌いが嫌いで終わるなら別にいいじゃないですか。
だって嫌いってことはあなたに興味を持っているってことですよ?
興味ないパターンよりマシじゃないですか。興味ないと完全スルーで終わりますからね。一瞬たりとも気に掛ける要素ないからね。
「話を続けたいならしてやってもいいが……シルフィの家、もう目の前だぞ」
「え…………うっ、急にお腹が。やはり急に尋ねるのも良くないし、あたしにも心の準備が。なので今日は戦術的撤退を」
「ここまで来て何を言ってる。いいからさっさと行くぞ」
「どうわぁぁぁぁ放せ、放してぇぇぇぇ! ちょっとでいいから、もう少しだけでいいから心の準備をさせてぇぇぇぇッ!」
却下します。
手を繋げと言ったのはアシュリーさんですし、心の準備をする時間はたっぷりあったでしょ。シルフィの家に行くって言ったの昼なんだから。
子供のように駄々をこねるアシュリーさんを連れてラディウス家の屋敷に近づくと、玄関を叩く前にひとつの人影が現れる。
それは赤紫色の長髪を襟元でひとつにまとめ、しわのない燕尾服を纏った涼し気な顔の人物。いかにも仕事できます感を醸し出しているラディウス家の従者だ。
「……そろそろお越しになると思っておりました。どうぞ、中へ」
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