第6話 「山に潜む影」

 俺達が目的の山岳地帯に到着したのは、日が傾き始めた頃。日没までの時間を考えると2、3時間といったところだろう。

 討伐対象である魔物について分かっていることは、極めて凶暴であるこということだけだ。

 どんな姿をしているのか。どんな能力を保持しているのか。日中に活動しているのか、それとも夜の方が活発なのか。

 魔物を目撃して無事だった者がいないために現状では何もかもが不明である。

 それを考えると視界が悪くなる夜の散策は危険だ。戦闘経験の多い俺やハクアでも何も情報がない状態では命を落とす可能性は十分にある。まだまだ駆け出しのアシュリーや魔物と戦えないであろうオウカは、その確率が必然的に高くなる。

 捜索するのは明日の朝からに……いや、魔物の生態が分かっていないんだ。日がある方が危険な可能性もある。なら地形を頭に入れる意味でも今日の内に捜索した方が賢明か。


「ルーくん?」

「何でもない。それより水や携帯食忘れるなよ」

「それくらい……言われなくても分かってるし!」


 アシュリーは、不機嫌さ剥き出しの顔を浮かべ睨んでくる。

 最近こいつの精神年齢が少し下がってきているように思えるのは、俺の気のせいだろうか。前から感情を表に出す奴ではあったが、今くらいの発言でこれほどキレてはいなかったように思えるのだが。

 俺の発言に以外に原因があるとすれば……


「まあまあ先輩、お兄さんも先輩のことを思って言ってるんだしぃ。そんなに怒らなくても」


 俺に抱き着きながらひょこっと顔を覗かせたこいつのせいだろう。

 馬車の移動中もやたらとネコのようにすり寄ってきていたし、その度にアシュリーの機嫌が悪い方向に向かっていた。

 パッと出の奴が自分の知り合いと自分より親しくしているのが嫌なのか。それとも付き合ってもないのに必要以上に近づこうとする輩が嫌いなのか。素直かつ純情なアシュリーさんだと両方考えられる。


「あたしがイラついてるのはあんたのせいだから! あたし達は仕事でここに来てんの。なのにあんたは暇さえあればルーくんにべったりでイチャイチャイチャイチャと……真面目に仕事せんかい!」


 耳が痛くなるほどの大声を出すな。

 と言いたいところだが……俺としても傍でウロチョロするハクアは実に鬱陶しい。

 それに俺がどう突き放そうがどこ吹く風。アシュリーが怒鳴ると多少なりとも効果があるため、今回は大目に見るとしよう。


「えぇ~ちゃんと仕事してるよぉ。こうしてお兄さんのこと守ってるわけだし」

「どっからどう見ても邪魔にしか見えないんだけど!」

「先輩もしたいならすればいいじゃ~ん」

「ばっ……!? ななな何を言ってるの。別にそういうことしたいわけじゃないし。真面目に仕事しろって思ってるだけだし。ルーくんに甘えたいとは全然これっぽっちも思ってないんだから!」


 うん、ダメだ。

 この真っ直ぐ過ぎるピュアガールでは、気ままに吹く風みたいなこいつには勝てん。というか、致命的に相性が悪い。

 あのジジィも何でこのふたりを組ませたんだが……戦い方だけ見ればバランスは良いんだろうが、人って奴は性格的な相性も必要って知ってるだろうに。


「オウカさんも何か言ってよ! 何か言いたいことあるでしょ!」

「いえ……某は別に。魔剣鍛冶グラムスミス殿が良いのなら良いのでは」


 クールに振る舞っているように見えるが……拗ねているようにも思える。

 どうにも馬車での移動中に親しい関係ではないと断言してから壁があるというか、普段のポンコツさ……素の部分を見せていない。

 もしかしてあれが気に障ったのか?

 別に女として意識されないのはいいけど、女として扱われないのは癪に障る。みたいな面倒臭い乙女心でも発動しているのだろうか。

 もしそうなら非常に面倒だ。女として扱って欲しいならもっと女らしい振る舞いを身に付けろと言いたい。俺は外見よりも中身を気にする派なのだ。まあ中身が良いうえで外見が良いことに越したことはないが。


「あたしにはあれこれ反論してたくせに……ルーくん!」

「怒鳴るな、喚くな、さえずるな」

「ベツニドナッテモワメイテモサエズッテモナイシ……!」

「ならこっちを睨むな鬱陶しい。あとそんなに歯を噛みしめてると欠けるぞ。それとお前もいい加減離れろ」

「や~ん、お兄さんのいけずぅ……まぁお兄さん成分は補給出来たし、先輩も怖いからこのへんにしとこ」


 やれやれ……何とも先が思いやられるパーティーだ。この集団で本当に魔物討伐なんて出来るのだろうか。

 これなら俺ひとりで来た方がマシだったかもしれない、と頭の隅の方で考えつつ山を登って行く。

 自然が豊かな場所なだけにジメジメしているかとも思ったが、麓側は人の出入りも多いのか登山道が整備されている。故にちょうど良い木陰が続いており、これならば余計な体力を奪われることなく進めそうだ。

 奪われるとすればハクアが周りにちょっかいを出して騒がしくなった場合だけだろう。

 そうなったらと考えるだけで溜め息を吐きたくなる。

 だがハクアも山に入ってからは気持ちを切り替えたのか、散歩気分で歩いているものの周囲の警戒は怠らず無駄口を叩かなかった。

 加えて道中で肉食獣などの襲撃に遭うこともなかったこともあり、順調に進んでいく。

 それに比例して道には砂利や小枝などが多くなっていき、自然の密度も増していく。中腹ほどまで差し掛かると、山頂へと繋がる吊り橋が見えてきた。崖の深さは20メートルほどであり、下には川が流れている。


「それなりに昇ってきましたが……どうしますか?」

「どうこうもここまで来たんだし登るしかないでしょ」

「あのねぇ先輩、もう日も傾いてるんだよ? このまま進めば途中で日が暮れるだろうしぃ。夜の散策はウチの経験上危険なだけだよ」

「でも……早く魔物を倒さないとまた犠牲者が出るかもしれないし」


 アシュリーの言い分も分かる。

 討伐に来ている以上は危険は付き纏うものだ。何よりここで引き返せば、次の犠牲者が出る可能性も上がってしまう。もしそうなれば人一倍正義感の強い彼女は自分のことを責めるだろう。


「アシュリー殿の言うことも一理あります……が、我らの手元にある魔物の情報は極めて少ない。迂闊に動けば我らが傷つく可能性が増し、討伐をしくじれば新たな犠牲者を生んでしまう」

「分かってる! 分かってる……けど」

「うーん……こうしてあれこれ言ってても時間がなくなるだけだし、ここはお兄さんの判断に任せようよぉ。今回の一件を任されてるのはお兄さんなわけだし」


 ハクアの言葉で俺に視線が集まる。

 真面目な顔のオウカに比べてハクアはやる気のない顔をしているが、ふたりは俺の決めたことに従うという意思を感じる。

 問題なのはアシュリーだ。

 表情を見る限り指示には従うだろうが、もう少し捜索したいという想いが瞳に宿っている。万全を期すなら今日はここで山を下りるべきなのだろうが……。

 夜中に勝手に抜け出されでもしたらそれこそ問題だよな。傍に居なければ助けてやることも出来ないわけだし。そう考えると無難なのは……


「……もう少しだけ進む」

「本当?」

「ああ。橋の先がどうなってるのかくらいは知っておきたいからな。ただ今日はそこまでだ」

「うん、分かった。時間もあまりないし、先に進もう」


 進めば進むほど自分の身が危険に晒されるというのに何で笑顔なんだか。

 まあオウカもどちらかと言えば先に進みたかったようだし……まとも刀を振れない可能性が高いのに正義感だけは強いなと言いたくもなるが。

 だが「なんだかんだで甘いよねぇ」みたいな生温かい目を向けている白髪よりは幾分かマシではある。こっちにそんな目を向けてる暇があるならさっさと進め。

 こちらの意図を理解したのか、ハクアは無気力そうな返事をしてアシュリー達のあとに続く。

 吊り橋を渡り始め真ん中ほどまで辿り着いた時、突然強風が吹いた。それによって吊り橋が嫌な音を立てながら揺れる。


「わあっとと!? ……今更だけど、この橋落ちたりしないよね?」

「大分古くはなっていますが、作りはしっかりしていますし大丈夫でしょう」

「そうそう、落ちる時は落ちるだけだしぃ」

「呑気に言うことじゃないから! 落ちるとか嘘でも言わない。これ約束!」


 高いところがあまり得意ではないのか、それとも想像力が豊かであるためにリアルな光景が脳裏に浮かぶのか。

 何にせよこれ以上アシュリーをこの話題で突くのは悪手だな。泣きべそかかれて1歩も動けなくなられたりしたら山を下りるにも一苦労だ。

 メリットになりえるのは、明日以降の散策に置いていく理由が出来ることくらいだろう。泊まる宿のある町の護衛だとか他の理由もつければ納得するだろうし。


「ふぅ……無事に辿り着いた。何か地味に足がフワフワする」

「先輩、ここより危険な場所なんて世の中にはたくさんあるんだよぉ。そんなんで騎士としてやっていけるの?」

「やややっていけるし! ただ経験が足りないだけできっとそのうち多分絶対慣れるし!」


 今の言葉の羅列を聞く限り不安しかないがな。

 そう思った直後――。


「グガオオォォォォォォォォ……ッ!」


 爆発にも等しい咆哮が響いてきた。

 生い茂る森から疾走するようなざわめきが起こり、それが近づくにつれて微かに大地が揺れる。

 各々自身の得物に手を伸ばし警戒を強めると、刹那の静寂が流れ……地面が一際大きく揺れた。赤みを帯びてきた空から落ちてきた巨大な黒い影だった。



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