第9話 「呼び出し」

 あの日からアシュリーは顔を見せていない。

 アシュリーは魔竜戦役の孤児だと聞いている。なので人の死というものを経験するのは初めてではないはずだ。

 だが……人の死ぬ瞬間というものを間近で見たのは初めてだったのだろう。

 それはあのとき見せた血の気の引き方や恐怖を覚えた顔からしてほぼ間違いない。軽口を叩けていた知人が容赦なく人を殺せると分かれば顔を見せなくなるのも仕方がないことだ。

 まあ……こちらとしては騒がしい奴が来なくなるだけにありがたくもあるが。

 問題と言えば、まだ回収していない剣の代金くらいのもの。だがそれも気長に回収する予定だっただけに最悪回収しなくても良いとさえ思う。


「ルーク、洗濯物干し終わったぞ~」


 窓からひょこっと顔を出したのは、少し前からこの家に居候している獣人の少女ユウだ。

 先日の一件が理由で出ていくかとも思ったが俺に恐怖心を抱いている様子はない。むしろ前よりも好意的になったようにも思える。

 あちこちを旅していただけに人の死に耐性があるのか、種族の違いによる価値観の違いか。何にせよ、突っかかって来なくなったのはありがたい。

 掃除や洗濯にも慣れてきたようだし、ここ何日かは失敗らしい失敗もしていない。

 この調子が続くようなら小遣い程度なら与えてやってもいいし、興味があるなら工房での仕事を見学させてもいいと思えてくる。

 ただ魔剣を打つ際は、通常の鍛冶よりも危険が伴う。なのでその時だけは外に居てもらうだろうが。


「何か他にやることある?」

「いや、今は特にない。休んでくれていい」


 ユウに返事をしながら壁に掛けてある断魔鋼製の刀を手に取って腰に差し、用意していた黒いコートを羽織る。

 何故黒いコートなのかと聞かれると単純に好みというのもあるが、鍛冶作業をしているとどうしても衣類は煤で汚れてしまう。洗っても落ちないことも多々あるのだ。明るい色のものだと汚れが余計に目立って見えるだけに暗い色のものを使っている。

 ようはそういうことだ。近所くらいならいいが、俺でも人気の多い場所に行くとなれば多少気を遣う。


「ルーク、ルーク! どっかに行くのか?」


 平静を装っているが尻尾が機敏に動いているあたり、非常に俺の行き先が気になるようだ。

 ユウは自分を襲おうとする輩が討伐されたからか、あれからは近所の農家とも挨拶を交わすようになってきている。人間への警戒心も緩みつつあるようだ。

 ただ何度も見たことがある人間と初めて見る人間。警戒する段階は確実に違う。

 俺がこれから向かう場所は都市部。しかもその中心地だ。

 人口密度は言うまでもなくこのへんよりも格段に高い。そんな場所にユウが付いて来て大丈夫とは思えないのだが……。


「ああ」

「どこ行くんだ?」

「城だ」

「城? ……城ッ!? 城ってあの城か!」


 それ以外に何かあるのならぜひとも聞いてみたい。地方特有の言葉で何かをシロと呼ぶことはあるのかもしれないだけに。


「そうだ。騎士団長に呼び出されてたな」

「騎士団長? 団長ってことはこの前会ったあの女の親玉だな」

「あながち間違いじゃないが今日会うのは別の親玉だ。先日の一件で話があるらしい」


 とはいえ、先日の死体の処理などを行ってくれたのは騎士団だ。事情に関してはすでに話してある。

 わざわざ呼び出すってことは何か別件があると思っていた方が賢明だろう。ただ正直に言えば、余計な仕事を押し付けられたりはしたくない。


「それ……オレも行った方がいいんじゃないか?」


 どこか不安の混じった眼差しだ。

 確かに先日の一件が関係しているならユウも無関係ではない。ただ呼び出されたのは俺だけ。ユウを連れて来いとは言われていない。故に……


「来たいなら来てもいいが……無理して来る必要はない。騎士団長と言っても俺の知り合いだ。今日のことも俺があまり顔を見せないから適当に理由をつけて呼び出されてる気がするしな」

「そっか……う~」

「迷うくらいなら大人しく留守番してろ」


 そう言ってユウの頭を軽く何度か叩くと、素直に従う素振りを見せた。同時に子供扱いすんなよな、と言いたげな目を向けられたが。

 俺からすればユウは子供なのだし、子供を子供扱いして何が悪いと言いたい。背伸びしたい気持ちも分かるが、大人というのは意外と子供には子供らしく振る舞って欲しいものだ。

 だがこれはユウくらいの年齢に対してだ。俺はまだ20年ちょっと生きただけの若造。子や孫を持つと変わってくる気がするが、今はまだ高校生くらいの年齢が甘えたことばかり言ってるようなら少しは大人らしく振る舞えと言いたくなる。


「じゃあ行ってくる。暴れて物とか壊すなよ」

「わぅ! って、オレはそんなに子供じゃねぇ!」

「はいはい」


 頬を膨らませるユウに小さく手を振りながら外へ。

 すると巡回している騎士の姿がちらほら見えた。先日の一件で、この地域の巡回を強化してくれているようだ。

 今の時間帯は昼過ぎ。だが我が家は中心部から離れている。移動距離もそれなりだが、あの騎士団長が簡単に帰してくれるとは思えない。それだけに騎士が巡回してくれていると非常に安心して出かけられる。

 会話する時間を考慮すると家に戻れるのは夕方頃になるかもな。そうなったらユウに何か土産でも買っていってやろう。




 黙々と歩き続けていると、畑や木々は姿を消していき道は整備され、密集している建物が多くなってくる。

 聞こえてくるものも鳥の鳴き声などから商人や世間話をしている奥様方の声へと変わり、足を進めるにつれて一層賑やかになっていく。

 あの地獄のような時代を知るだけにこうして明るい空気が流れていることは喜ばしい。

 ただ日頃静かな場所で暮らしているだけにあまり長居したいとは思わない。長居すればするほど、必然的に商人などに絡まれる可能性も上がる。

 すぐに引き下がる者ならいいが、中には強引な押し売りをしてくる者も居る。なので商店のある通りはさっさと抜けるに限るだろう。

 そう思って歩く速度を速めようとしたとき――


「……ん?」


 後方から「泥棒!」という声が響いてきた。

 盗んだのが子供なのか大人なのかは分からないが、街の中にも巡回している騎士は居る。俺がわざわざ追う必要はない。

 この人混みじゃ追おうとしても追いつけないだろうしな。

 それに……平和になり笑顔が増えたとはいえ、仕事に就けない者やその日の食事に困る者は存在する。

 かつての惨状を知る者からすれば、あの者は生きるために必死なのだ。そう思えて許容できることも増えてしまう。

 だからといって盗むという行為を肯定するわけではないが……。


「……自己中なんだろうな」


 あれこれ理由を並べたところで、結局は自分に被害がない状態では真剣に考えていないのだろう。

 他人のために尽くせるのは一種の才能だ。度が過ぎればそれは人格が破綻していると言えるが、英雄と呼ばれた者達の多くは大なり小なりそれを持っていた。

 俺にも多少はあるのだろうが、そのへんの騎士よりも劣っているに違いない。常日頃から他人のために働いたり、困った人を見つけて助けようなんて考えていないのだから。

 そういう意味ではつくづく俺は英雄なんてものには向いていない。まあすでに捨ててしまった過去ではあるが。


 自分はルーク・シュナイダー。ただの鍛冶職人。それ以上でもそれ以下でもない。


 そう気持ちを切り替えて再び歩き始める。

 道は次第に緩やかな上り坂へと変わり、そこを上り終えると視界に映る人々の衣装も煌びやかになる。

 この国の構造で言えば、王族が住む城を中心に裕福層が住む貴族街、一般市民が住む城下町……といったように広がっていく。

 そのため城に近づけば必然的に身分の高い人間が多くなるのだ。

 それだけに俺のようなくたびれたコートを着ている人間は悪目立ち……する場合もあるが、基本的に相手にしようとは思われないので歩きやすさで言えば城下町よりも上だ。


「そこの者、止まれ!」


 城門の前まで来ると兵士に制止を掛けられる。

 市民でもあっても武器や食料を供給するためにある程度出入りは許可されている。それだけに城門の段階で止められるのは珍しいかもしれない。

 が、俺は見るからに商人ではない。それに帯刀もしている。

 騎士でもない男が武器を持って城を訪れたなら止められるのは当然だ。むしろ止めなかった方が問題があると言える。


「騎士への志願者のようにも見えないが……いったい何用だ?」

「ガーディスに呼び出されてきた」

「騎士団長に?」


 訝し気な目は向けられる。まあ無理もない。

 ガーディスが騎士団長というのも理由だが、何より彼は魔竜戦役以前からこの国に仕えている古参。初老の騎士に20代の、それも呼び捨てにする男が訪ねてくれば疑問を抱くのは自然だ。

 とはいえ、門前払いされることはなかった。

 待つように指示され、門番のひとりがガーディスの元へ確認に向かう。

 呼び出すなら前もって俺が来ることを伝えておけとも思うが、騎士団長様は多忙だろうから大目に見てやろう。

 だが1時間を超えて待たされるようなら……顔を合わせた時に文句はこぼれるだろうな。



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