「ほら、わたしがいなくちゃだめじゃない」
バカバカしい。すべてがバカバカしい。どうしてぼくは小学生相手にそこまでムキになっているんだ?
「だから、お前の願いごとも、夢も、どうやら叶えてあげられそうにない。そして俺はお前のことが嫌いだ。自分のことを守護霊と言って近づいてきたり、変になれなれしくしたり、俺の人生の邪魔をしたり、お前のすべてがうっとうしいんだよ。はやく俺のもとから消えて、成仏してくれ。」
ぼくはその言葉をなんの感情もこめず、なんの抑揚も入れず、ただただ無表情に言い放った。それから彼女の隣を通り過ぎて、すたすたと自分の家の方に向かっていた。
これでいい。わけのわからない、気持ちの悪いものは遠ざけるのが賢明だ。君子危うきに近寄らず、というだろ?
そのとき、頭の中でしくしくと泣く声が聞こえた。それから、必死にこみあげてくる感情を吐き出すのを我慢して、しゃくりあげる音も聞こえた。それらの悲しい旋律は頭の中で響き続け、止まることはなかった。ぼくは振り向いた。20mほど先の十字路に彼女は立っていた。うつむいていたためにどんな顔をしているのかはわからなかったが、彼女が泣いていることは自分の頭の中に響いている声から明らかだった。
切なさと悲しみが入り混じった、言いようのない感情のかたまりがぼくをおそった。それから、ポタポタと何かが顔から零れ落ちる音がした。手で触れると、それは涙だった。ぼくは自分でも気がつかないうちに泣いているのだった。
なんだか心の中がからっぽになったような、変な空虚さが押し寄せてきてぼくは身震いした。どういうことなのか、自分でもよくわからないのだ。しかし、とるべき行動は決まっていた。ぼくは彼女のもとに行かなければならないだろう。
彼女の方へ歩き出そうとしたとき、ふと肩に痛みが走った。見ると、目の前にサッカーボールが転がっている。
「すみませーん、大丈夫ですか?」
小学校高学年くらいの少年が駆け寄ってきて、ペコリと頭を下げた。どうやら近くでサッカーの練習でもしていたらしい。ぼくは笑顔で大丈夫だよ、と答えた。
サッカー少年が立ち去ったあと、今度は道端の小石につまずいて転んだ。なんだ?ずいぶんツイてないな?立ち上がろうとすると、足に激痛が走った。目をやると、首輪をつけた犬がかみついていた。あわてて足を振り上げたが、なかなか離してくれない。
「あらあら、ごめんなさいね。うちの犬が一人で走り出しちゃって。」
あとから近所のおばさんのような人がやってきた。そのとたん犬は急におとなしくなって、ぼくの足をかみつくのをやめた。やれやれ、踏んだり蹴ったりだ。
「ちゃんとしつけをしておいてくださいね。」
ぼくは苦笑しながら、おばさんにそう声をかけた。おばさんは何度も何度も謝っていた。
んん?この数分の間に、なぜかいやなことばかりが続くな?
ぼくは10m先で泣きじゃくる彼女の姿を見た。もしかして本当に彼女はぼくの守護霊なのか?ぼくは守護霊に見放されたとでもいうのか?
突然頭上から雷のような轟音が聞こえた。なにかと思い空を見上げると、飛行機が地上近くを飛んでいた。しかも悪いことに、その大きな物体はどんどん、どんどん自分の方に近づいてくるのだ。まるでぼくを狙いに突撃してくるかのように。
それから、目の前でけたたましい音が聞こえた。前を見ると、ありえない数のものというものが接近しているのがわかった。スズメバチの群れ、カラスの群れ、高速で走ってくるお相撲さんの集団、猛スピードで向かってくる車、とにかくありとあらゆる危険なものが押し寄せてくるのだ。
恐怖でぼくの顔は青ざめた。このままでは、確実に死ぬだろう。到底理解できない現象だが、認めるほかあるまい。ぼくは彼女を裏切ったがために、墓穴をほったということだ。歯がガチガチと鳴った。死にたくない、死にたくない。助かる道があるとしたら、それは一つしかなかった。
「ごめん、本当にごめん。自分に素直になれなかった。許してくれ。俺にはお前がいなきゃいけないんだ。そうしないと、生きていられないんだ。頼むから、帰ってきてくれ。」
泣きながらそう叫んでも、飛行機が、カラスの群れが、車が速度を緩めることはなかった。ぼくをめがけて、相変わらずものすごい速さで突進してくる。
「ほんと、ほんとに?」
頭の中で自信のなさそうな声が響き渡る。車は彼女を通り抜けて、ぼくの方に向かってくる。目の前5mほどのところまできていた。
「ああ、本当だ。本当の話だ。俺はお前を愛している。だから、戻ってきてくれ。」
車は3m先まで来ていた。もう、だめだ。終わりだ。ぶつかる。目をつぶって、死を待った。ああ、ぼくの人生はなんてあっけなくて、短かったんだろう。
…。…。5秒待った。痛みはなかった。
あれ?人間、即死のときはさして痛みを感じないものなのか?
30秒待った。なにも感じなかった。
変だ。もうぼくは死んだのだろうか?天国に行くのか、それとも地獄に落ちるのだろうか?
おそるおそる目を開けると、ぼくの顔の前で彼女が笑っていた。キョロキョロと見回しても、さきほどの悪夢のような光景が嘘のように、ただの住宅地の風景が広がっていた。飛行機も、車も、カラスの群れもそこにはなかった。不思議そうにしているぼくの顔を見て、さも楽しそうに彼女は声を上げて笑った。
「ほら、わたしがいなくちゃだめじゃない。」
その言葉に対しては、その通りだとしか言いようがなかった。
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