317帖 バスターミナルと砦

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 バスターミナルでバスの下見をした後の事を考えてると、タクシーはどんどんと街の中心へ向かって走って行く。すると、あの謎の丘が見えてきた。


「おっちゃん、あれはなんですか?」

「あれは、Citadelシタデルだ。Arbilアルビルシタデルだ」


 シタデル?


 何語でなんの意味やろうと考えてたら、おっちゃんが、


「バスターミナルへ行った後は、観光するか?」


 と、提案してくる。

 ミライの顔を見ると、「うん」と頷いてたんで、


「ほんなら、お願いします」


 と言うとおっちゃんは、


「OK、OK!」


 と嬉しそうな顔をしてた。


「代金は、なんぼですか?」

「あはは、ノーマネーだ」


 えっ、ただってこと? 今日もただって訳にいかんやろ。おっちゃんの仕事もあるやろし……。


 それは悪いと思て僕は日本円で、2000円位の、


「100ディナールでどうですか?」


 と言うた。


「あはは。それは駄目だ」


 あれ、安かったか?


 と思てたらおっちゃんは、


「30ディナールでいいよ」


 と言うてくれた。相場が分からんし、そんなもんなんかと思いながらも、ちょっと色を付けて40ディナールを渡すと、


「ありがとう。ありがとう!」


 と何度も言うてくれた。あんまり欲の無い人やなと思いながらも、僕もおっちゃんに感謝する。


 そんな事をしてる間にタクシーは、街の中心街へ近づく。あの丘も目の前で、はっきりと見える。


 造りからして、やっぱ昔のお城やな。「シタデル」とは、お城の意味かな?


 と思てたら急に右へ曲がる。暫く行くとずいぶんと古い建物が立ち並んでるエリアに入る。この辺は昔からある旧市街地みたいな感じ。茶色一色の街。


 道の先に沢山の人集りがあり、おっちゃんはその手前で車を止めた。どうやらここがバスターミナルみたい。


「ちょっと待っててください」


 と言うて、ミライと二人でタクシーを降りる。車の外はめっちゃ暑くて、40度はありそうや。


 僕とミライはその人集りの方へ進む。確かにバスターミナルみたいやけど、バスは1台も無い。なーんか、嫌な予感がする。


 ここに居る人は皆んな、アルビルから避難する人やろか?


 僕らは人集りの中を進み、バス会社のオフィスへ入った。オフィスの中も人でいっぱい。

 なんとかカウンターまで進み、


Raniaラニアまでのバスはありますか?」


 と聞いてみると、おっちゃんは「お手上げや」みたいな素振りをしてる。ミライの方を見ると、さっと前に出て来ておっちゃんと話しをしてくれた。


 それで分かった事は、予想通り。アルビルから他の都市へ行く道は、戦闘の影響で全て通れへん状態らしい。アルビルの街は、完全に「孤立」したって事かな。

 それでも木曜日までは動いてたんやけど、その後、バスはアルビルの街を出たっきり、戻って来てないそうや。そやしバスターミナルは人で溢れかえってたんや。


「いつになったら回復しますか?」

「そんな事は分からない。明日か、明後日かも知れないし、もしかしたら1時間後かも知れない」


 なるほど。そやし、皆んなバスターミナルでバスを待ってるんや。その後も、なんとかSarsankサルサンクへ帰る手立てを聞いてみたけど、とにかくアルビルから出られんし何ともならんみたい。


「分かりました。また来ます」


 と言うてオフィスを出た。

 ちょっと心配そうな顔をしてたミライに、


「パスポートを貰う頃には、なんとかなってるで」


 と励ます。


「なんとかなるよね」

「おお、大丈夫や。なんとかする」

「うん!」


 なんとかするて言うたけど、それまでにバスが通れる様に祈るだけしか出来へんわ。


 まぁ、なんとかなるよな。なるなる。


 と、希望的観測を以ってバスの事は、得意の「先送り」にした。

 タクシーに戻って、乗り込む。


「どうだった? バスはあったか?」

「いえ、無かったです。どこも戦闘でバスは動いてないみたいです」

「そうか。でも心配ないぞ。Pêşmergeペシュメルガがなんとかしてくれるさ」


 と、おっちゃんは相変わらずの陽気や。


「それじゃー、観光に行くか」

「ええ、お願いします」


 おっちゃんはタクシーを動かし始めた。


「何処へ行くんですか?」

「まず、シタデルへ行こう」


 大きな通りに出て左へ曲がり、あの丘に近づく。丘の上は、カーキ色のレンガで出来た城壁の様な建物が聳え立ってる。高さは地上から30メートル位。

 坂を登って行くと城壁の入り口に大きな像があり、その前でおっちゃんはタクシーを停め、皆で車を降りた。


「これは、Mubarakムバラク Benベン Ahmedアーメド Sharafシャラフ-Aldinアルディンの像だ」


 な、な、なんて? そんなん言えるかぁ!


 仰ぎ見る程の大きな像。ターバンみたいなのを頭に巻いて、本を読んでる格好をしてる。


「昔の偉い人だ。ここは、戦争が無ければ沢山の観光客で賑わってるんだけどね」


 そうなんや。なんや分からんけど昔の偉い人なんやな。で、観光客は僕らだけ。


「このシタデルは、凡そ六千年前から作られてたんだぞ」

「へー、そんな昔から……」


 えーっと、メソポタミア文明と同じ頃かな?


「昔はAssyriaアッシリアの王様が住んでたんだ。その後、Mongolモンゴルが攻めてきて、負けてしまったよ。あははは」


 あー、昨日会うた考古学の教授も、なんかそんな事を言うてたなぁ。


「今は、イラクの政府軍が攻めて来てるよ」


 と、おっちゃんは遠くを指差した。その方向を見ると、遠くに煙が上がってる。音は聞こえへんかったけど戦闘が再開されてるのんが、ここからはよう分かった。


 どうなんやろう。ペシュメルガは負けへんやろか?


 それを見てると、ちょっと心配になってくる。直ぐ近くで戦闘をしてるのに、僕らは観光をしてる。なんとも奇妙な旅や。


 再びタクシーに乗り込み、ゆっくりと城内へ入る。

 今にも朽ちそうな古いモスクがあった。こんな時やし、観光客は居らへんと思てたけど、たまに人が歩いてる。

 おっちゃんが言うには、この城壁の内側にも住宅があり、今でも人は住んでるとの事。と言う事は、さっきの人はここの住人かな。


 カーキ色一色の古い街並みの中を、おっちゃんはゆっくりとタクシーを走らしてくれる。住宅の庭には、織物の生産が盛んなんか、綺麗で複雑な模様の布が干してある。時々停まって貰ろて、僕は城壁の中で暮らす人々の生活風景を写真に収めた。

 そやけど、ものの5分程で城壁の反対側へ抜けてしもた。


 ほんで坂を下り、おっちゃんはタクシーを城壁の外周に沿って走らせた。



 つづく

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