311帖 一歩前進
『今は昔、広く
ミライが入り口の守衛さんに場所を聞き、ほんで一緒に中へ入る。
廊下を進み、左手の階段を登ると途中に行列があり、僕らはその最後尾に並んだ。ちょっと上を覗いてみると、沢山の人が並んでる。
皆、国外へ逃げる人達やろか?
暫く黙って並んでたけど、一向に進む気配は無い。外と違ごて少し冷房が効いててそんなに熱くはなかったけど、階段の途中で待つのは辛い。
「なかなか進まないわね」
「それだけ国外に出る人は多いんやろ」
「そうかもね」
「皆、戦闘から逃げるんやろな。大変や」
「なんで戦争なんてやるのよ。もうー」
「そ、やな……」
僕は明確に返答出来へんかった。同じイラクという国に住んでて、なんで戦わなあかんのやろと疑問に思う。歴史的な経過は凡そ分かってるつもりやけど、それを説明したところでミライが納得するとも思えん。
ほんなら、なんて答えよう?
よう考えたら……、もし戦争が無かったら間違い無く僕はここへ来てへん。大学を卒業し、普通にそのまま就職してたやろ。ほんで日々の仕事に追われ、給料を貰い、ほんで休日には好きなバイクに乗って走り回ったり、たまに山へ登ったりして平々凡々と暮らしてたと思う。
戦争が起こった事がきっかけになって僕は仕事を蹴り、日本を出た。そんでいろんな人、自然、文化に出会って貴重な経験をする。楽しい事もあったし、辛い事に過酷な事、人の死にも直面した。戦争が無かったらこんな経験はせえへんかったやろ。
っていう事は、戦争は僕にとって「必要悪」やったんか?
いや、戦争が必要なもんやとは絶対思いたくない。悲惨な様子をいっぱい見てきて更にそう思う様になった。
戦争、つまり人を殺す事は絶対あったらあかん。やっぱり戦争は無いほうがええ。この戦争も無かったら良かったんや。
という事は……、この戦争が無かったら……、僕の傍で日本へ行く事を夢見て立ってるミライとも出会ってへんかったやん。戦争があったから僕はミライは出会えた。
そしたら、戦争は……。
頭の中は堂々巡り。なんの結論にも辿り着かず、ただ時間だけが過ぎていった。
それと共に行列は徐々に進み、階段の途中からやっと2階のフロアまで上がる。後ろを見ると、まだ20人位が階段の途中で並んでた。
「もう少しやな」
「そうだね。早く進まなかいかなぁ」
そやけどそこからが長かった。この
事務屋へ入り、最初の窓口へ辿り着い時は4時を回ってた。
そこで申請書を貰うと、ミライは身分証を取り出して書き始める。書き終わると、そこからまた30分程待たされてやっと申請の窓口へ。
ところが、そこで問題が発生したみたい。話の内容は判らんけど、ミライは係官へ何かを必死に訴えてる。
すると僕はミライに腕を引っ張られ、係官の前に出される。
「え、ええっ?」
「おにちゃん! 私はおにちゃんの妻だって言ってよ」
「おお、分かった」
僕はミライに言われた通りに、
「彼女は私の妻です」
と、中学生でも言える様な英文で話すと、係官から怒涛の様に質問を浴びせられた。
係官の話す英語の速さに僕の思考が追いつかず、緊張して頭が真っ白になってくる。そうなると何を聞かれてるか判断できず、仕方なく僕は「イエス」と小声で返事をするだけやった。そやのにそれで奇跡的に会話が成り立ったみたい。係官は納得した表情を浮かべてる。
そやけど、次の質問には「イエス」だけでは通じへんかった。僕はハッとして、もう一度聞き返す。どうやら、どないして日本へ行くのんかを聞かれてるみたい。それで咄嗟に出てきた答えは、
「トルコから飛行機で日本へ行きます」
やった。多分トルコやったら日本への飛行機も飛んでるし、それが一番手っ取り早いと思う。
どうやら僕の答えは「正解」やったみたいで、頷いた係官は次の質問へ移る。
まだあるんかい!
「ビザはどうするんだ?」
ビザ! やっぱ要るんや。
ビザと言うたら大使館や。イラクの日本大使館は首都のバクダットにある。そこは政府軍が支配してるから当然行く事は出来へん。そしたらビザはトルコの日本大使館で取ったらええやろと思て、係官にそう答えると、
「OK。それで問題は全て解決するだろう」
と、言うてくれた。
ホッとしたのも束の間、次に係官は笑顔になっていろいろと話しをしてくる。丁寧にアドバイスをしてくれてると思うんやけど、その流暢な英語は殆どが分からず終い。唯一分かったんは、
『火曜日の午後に来くれば、パスポートが貰える』
って事だけ。それでもその事をミライへ伝えると、不安そうやったミライの顔が一変、めっちゃ嬉しそうな顔になって喜んでた。
その後はミライが係官とやり取りをして、無事手続きを終える。
これで一歩前進。ミライと日本へ行く目処がついた。
つづく
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