302帖 蜃気楼
『今は昔、広く
「おにちゃん、起きて。おにちゃん!」
ミライの声が遠くで聞こえる。夢かと思たけど、ハッとして目を開ける。
「ええっ。ミライ……」
「おにちゃん。もう夜になったわよ」
確かに暗い。ミライの顔も輪郭しか分からん。
「まじかぁ。寝てしもたなぁ」
「私も寝てしまって……。寒くて目が覚めたら真っ暗だったの」
僕はリュックを漁ってヘッドライトを出し、点灯する。時計を見るとまだ8時過ぎやったけど、外は真っ暗や。しかも風は音を聞いただけでも強く吹いてるんが分かる。
「しゃぁないな。今晩はここで泊まるか」
「うん、そうしよ」
ヘッドライトを頭に付け、シートとシュラフを出して寝床の準備をする。どうってこと無い作業やけど、やけに身体が重い。とりわけ腕に力が入らへん。ミライを抱いて歩いてたし、どうやら筋肉痛になってるみたい。
ミライに手伝って貰ろて準備が出来ると、二人で一つのシュラフに潜り込む。
「明日は早起きして
「うん。早起きね」
ヘッドライトを消して、ミライの身体を抱きしめる。
「今日は長い時間、おにちゃんとくっついてたね」
「えっ、ああ。ミライを抱いてだけやんか」
「いいのよ。ずっとくっついてたから、私はとても嬉しかったわ」
「そっかぁ」
「ありがとう、おにちゃん」
そう言うと、ミライから口唇を重ねてくる。柔らかくて何となく甘い味がする。僕はミライの口唇に吸い付いた。何度も何度も口唇を重ねると心安らぎ、いつしか深い眠りに就いてた。
9月7日の土曜日。
日の出前に目が覚める。身体は筋肉痛でまだ悲鳴を上げてたけど、久しぶりに水平な所で寝られたんが良かったんか気分は上々や。
乾燥杏を食べ、残った水を二人で半分ずつ飲んだだけで早々に小屋を出る。風が少し吹いてて寒かったけど、砂嵐は何処かへ去り、空気は澄んでる。
久々に深呼吸が出来て嬉しかったわ。
そやけど群青色の空が、今日はめっちゃ暑くなりそうやと予感させた。
坂を下り、川まで降りて、念の為に岩の隙間からちょろちょろと流れ出る湧き水でポリタンをいっぱいにする。
その後、水の無い川底を歩きながら谷を下る。
太陽が照りつけてくると急激に気温が上がってくる。吹き付ける風は生温くなり、そして熱風に。
ミライは大きな布を日除け風除けの為に頭から被り、僕はバンダナを巻いて歩き続ける。
昨日の砂嵐で吹き溜まった砂は、その上を歩くと直ぐに崩れて歩き難い。昨晩はしっかりと寝られたはずやけど、空腹と暑さが加わって疲労の溜まり具合は早い。
そやけど早くアルビルへ着きたい一心で、一歩ずつやけど歩みは止めんかった。
大きな尾根を回り込んで進むと少しずつ視界が開けてくる。はやる気持ちを抑えても、やっぱり歩みは早くなる。ミライの手を引き、力を振り絞って土手を一気に登り切る。
すると視界は一気に開けた。
「とうとう来たなぁ」
「うん。やったねー」
目の前に広がる平地。僕らはやっと谷を出られた。めっちゃ疲れたのに、座ることも忘れて広い砂漠を眺めながら立ち尽くしてた。
遠く蜃気楼の向こうに見えるは巨大な街。
「ミライ。あれはアルビルの街とちゃうか」
「うん。そうだよ。やっと来れたわね」
「やったな」
とうとうやって来た。
長い長い旅路やった。それでも漸く街に着くと思うと安堵して、陽炎で揺れる街を見てると涙が溢れてきた。
辛い事もたくさんあったし、戦闘に巻き込まれた事もあった。ましてやハミッドさんが死んでしまうなんて……。
取り返しのつかへん事をしてしもたと自責の念にかられ、今にも崩れ落ちそうになってた時、
「おにちゃん、こっちよ」
とミライに声を掛けられ再び歩き出す。僕はミライにバレん様に涙を拭いて後を追う。
「どこ行くねん?」
「こっち。こっちに昔住んでいた村があるのよ」
ミライは勝手知ったるが如く、坂をどんどん下って行く。まだ筋肉痛が残ってるんか歩き方はぎこちないけど、さっきよりは断然元気で、どんどん先へ行ってしまう。
後を追っかけて木々の間を抜けると、ミライはポツンと立ってた。
「どないしたんや」
「ねぇ……、あれを見て」
ミライの顔は半泣き状態になってる。ほんでミライの視線の先をよく見ると、そこには廃墟となった村があった。
激しい戦闘があったんやろ、建物は崩れ、更に長い年月で風化してる。とても数年前まで人々が、ミライ達が暮らしてたとは想像も出来へんほど無残な光景やった。
なんやこれは……。
と思てたらミライが僕の手を握り締めてくる。
「おにちゃん、行こう」
少し暗い声でそう言うと、ゆっくりとその廃墟の中へ入って行く。
所々に大きな穴が開いてるんは爆撃の痕やろか。黒焦げになった軍用車両や重機関銃、迫撃砲等の武器も未だに放置してある。この村が戦闘の最前線になったのは容易に想像できた。
もしかしたら一昨日に寄った村もこんな風になってたらどうしよう、と心配になる。どうか無事であって欲しいと、今は祈るしかない。
ある崩れた家屋の壁は真っ黒に焦げてる。銃痕が残ってる壁からは戦闘の激しさが伝わってくる。ハディヤ氏に聞いてはいたけど、ここまでとは想像も出来んかった。
写真を撮ろうかと思たけど、ミライがしっかりと僕の手を握り締めてるんでそれは諦めた。
多分、村のメインストリートやと思う所を進んで行くと、崩れた門の前でミライは立ち止まる。
そして、悲しそうな微かな声で、
「ここが、私達のお家だったの」
と壊れた家を指差す。その家は、屋根は抜け落ち、壁はほとんど崩れ、隣の納屋やったと思われる木造の小屋は燃え残った柱が数本残ってるだけや。
「ちょっと待ってて」
そう言うと、ミライはその廃屋に入って行く。戦闘が起こる前にミライ達は引っ越してるはずやから何も残って無いと思うけど、当時の事を思い出す様にゆっくりと廃屋の中を
その間に僕はカメラを出して村の様子を撮影する。数年前に戦闘があったと言え、まだその跡形は生々しい。撮影しながら村を抜けると広大な農地らしき跡があった。今は草が自生してる。果樹園らしき林も、炭になった幹が何本も立ってるだけで、それを見てるだけで虚しくなってきたわ。
撮影を終え、ミライ達が住んでた廃屋へ戻ると、門の所にミライが座り込んでた。ほんで僕が近寄ると、何も言わず立って歩き出す。見るも無残な姿になった「元我が家」を見てショックを受けてるみたいやった。ミライを励ましてやりたかったけど、僕は何と言うてええのんか分からず、ミライの後ろを黙って付いて歩いた。
僕らは何も話さず、トボトボと歩いて村を去る。そしてまた、砂漠の中の小道を、遠い様にも近い様にも見える蜃気楼の街を目指して僕らは歩いた。
ミライは、悲しそうな顔で何度も振り返ってた。
つづく
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