250帖 穴の中で……

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 僕は立ち上がってヘッドライトを声のする方に向けて振ってみる。声がしたんはアズラとメリエムの2人やったけど影は3つある。ようく目を凝らして見てみると真ん中に居る子のシルエットは髪の毛がくせ毛になってる。


 あっ、ミライや!


 近寄って行くと月の光に照らされた青い3人が見えてきて、何やら話をしてる様や。そして二人を振り切って帰ろうとするミライ。それを捕まえてなだめるアズラとメリエム。


 僕が近くまで行くと二人はミライの手を放し、僕に手を振って屋敷の方へ去って行く。


 その場に残された僕と俯いてるミライ。僕はなんと声を掛けてええのやら困ってしまう。

 それでも取り敢えず昼間に掘った穴を見せてみよと思い、


「ミライ、こっちへ来て」


 と声を掛けて歩き始める。そやけどミライは俯いて立ち止まったまま。


 ふーん、困ったなぁ。ミライは怒ってるんやろか、悲しんでるんやろか?


 いろいろ考えたけど、何も思いつかへん。

 それやったらちょっと強引かも知れんけど、手を引っ張って連れて行こと思てミライの手の平を掴む。

 嫌やったら振り切られるやろと覚悟してたけど、意外とそんな様子は無かったし僕は手を引いて穴のある所まで連れて行く。


「ほら、この穴を覗いてよ」


 と言うと視線が少しだけ穴に注がれた様な気がする。


「見てみて。結構深いねんで。カレムとムハマドが手伝ってくれたんや。ムハマドでも一人で出てこれへん程深いねんで」


 ちょっとでも興味を持ってくれへんかとオーバーに言うたら、少しだけ顎を上げて覗き込んでくれる。そして振り向いて僕の顔も見てくれた。


「ああ、この穴はね、ちょっと確かめたい事があって掘ってみてん。あそこのタンクから溢れた水が地面に染み込んで消えてるやろ」


 ミライは僕の身振り手振りの説明を見て聞いてくれてる。ちょっと感ありなか?


「その水がこの辺の土の下を流れてるんかなと思て、確かめる為に掘ってみてん」


 そう言うて僕がしゃがむと、釣られてミライもしゃがみこみ穴の中を覗いてくれる。

 ほんでもっとよく見える様にとヘッドライトを点けて穴の底を照らした時、


「キャーッ!」


 と言う声と共にとんでもない事が起こる。


「ミライ!」


 なんとミライが崩れた縁の土と共に穴の底に落ちてしもた。落ちたんがびっくりしたんやろうミライは両手で顔を覆い泣いてるみたい。幸い土が柔らかかったさかい怪我は無い様やけど、相当驚いたんか穴の中でしゃがんでしもた。


「ミライ! 大丈夫か!」


 声を掛けても反応はない。啜り泣く声が微かに聞こえるだけ。


「ちょっと待ってや。今、助けるからな」


 ヘッドライトを頭に付け、ミライを引き上げる準備をする。

 穴の深さは、ムハマドとカレムが頑張ってくれたから2メートルちょっと。ミライが立って手を伸ばせば届かんことは無い。

 そやけどミライはまだ驚いてまだしゃがんだままや。


「ミライ、立てるか。手を貸して。引っ張るから」


 と言うてみたものの、まだショックで立ち上がれへんみたいや。


 しょうがない。僕も穴に降りよ。


 ミライに砂や土が掛からん様に僕も穴の底にそっと降りる。


「ミライ、大丈夫?」


 微かに頷いてる様に見える。そやけどまだ両手で顔を覆って泣いてる様や。


「どこか痛いとこはあるか?」


 と聞くと、今度は顔を横に少し振ってくれる。


 よかった。僕の言葉がミライに届いてる。


「落ち着くまでそうしとったらええわ。僕はここに居るし」


 と言うてミライの服に付いてる砂を払い、ほんで背中を擦り始める。ミライの身体は微妙に震えてる様やった。

 そやし僕はそのままミライの背中を擦り続けた。



 どれくらい時間が経ったか分からんけど、暫くミライの背中を擦ってると震えや泣きじゃくりが少しずつ消えていくのが分かる。


「どうや。立てそうか?」


 と声を掛けるけど反応はない。それでも背中を擦り続けるてると、ミライは顔を押さえたまま急に立ち上がった。

 びっくりしたけど、


「もう大丈夫? 行けそうか」


 と言いながら僕も立ち上がると、今度はミライが僕にもたれ掛かってくる。倒れそうになったんをなんとか堪えると、今度は顔を両手て覆ったまま僕の胸に埋めてきた。


 何、何。どうしたん?


 咄嗟の事で、びっくりしてしもて心臓がドキドキしてる。


 ど、どうしよ!


 頭から血が引いてしもてどうしたらええか分からん。


 ミライも動揺してるんや。取り敢えずミライをなんとか安心させなあかんと思て僕は両手をミライの背中に回して抱きかかえる。

 ミライの早い鼓動も伝わってくる。柔らかい背中をギュッと抱きしめると、ミライの身体から力が抜けていくんか分かる。と、同時にミライは顔を僕の胸に擦り付け、腕を僕の背中に回してくる。


 まだ泣いてるんか?


 僕の胸がミライの熱い吐息を感じてる。僕のドキドキしてる鼓動がミライに伝わってるかと思うと少し恥ずかしいけど、暫くじっとしてると呼吸も落ち着いてきて、ミライは涙を僕のTシャツに擦り付けて拭いてる。


「もう大丈夫かなぁ。ミライ、僕の顔を見られる?」


 と聞いても首を振るだけやった。


「分かった。もうちょっとこのまましててええよ」


 時々首を振っては涙を拭き、鼻をすする音が聞こえてくる。ほんでも大分落ち着いてきたみたいで、呼吸も静かでゆっくりになってきた。


 安心したのも束の間、突然ミライはムクッと顔を上げる。僕の目の前にミライの顔があってまた緊張してしもたけど、月明かりに照らされた下から見上げるミライの顔はとても可愛く思う。


「何?」


 と聞くと少し悲しそうな顔になる。ほんでも、ゆっくりと一言ずつ話しだした。


「アズラとメリエムとカレムは仲良しなの。兄弟なの」

「うん。知ってる」

「ラビアとムハマドも兄弟で仲良し」

「へー、そうなんや」

「ゼフラとユスフ、エシラとアフメット、ムスタファとオムルも兄弟」

「知らんかったわ。まぁ言われてみれば……確かに似てる……かな?」

「みんな仲がいいの」

「ミライも、えーっと……アイシャとかエリフって言うお姉さんが居るやん」

「うん。でもアイシャは昨年お嫁にいったし、エリフも先月お嫁にいったわ」

「ああ、そっかぁ」


 ミライはまた下を向いてしまう。


「私は独りなの」


 と、ボソッと漏らしてる。


「ミライは寂しいのか?」


 と聞いてみると、コクっと頷いてる。


 一応みんなハディヤ氏の子どもにはなってるし、子ども達もハディヤ氏の事を「お父さん」、奥さんの事を「お母さん」って言うてるけど、元々の兄弟姉妹の結びつきはやっぱり固いんやろう。そうなるとミライは一人ぼっちになってしまうのかなぁ。そやし、いつも大人しいと言うか、あんまり喋らへんのかな?


 そんな事を考えてたら、ミライがまた顔を上げる。鼻先が近く、吐息が掛かるほど。やっぱドキッとしてしもた。


「だから……。だから、キタノにお願いがあるの」

「うん。ええよ」


 と言うてしもた。


 するとミライはそっと目を閉じ、何かを祈ってる様な神秘的な表情をしてた。



 つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る