食べる宝石
「うーん、この味、この食感がたまんないの!」
確かに好きな人にとってはそうなのだろう。
私は保育園時代からの幼なじみ明日香と海鮮ファミレスで昼ご飯を食べている。私は天丼を注文し、彼女はイクラ丼を注文した。
イクラ丼。ツヤツヤピカピカのオレンジ色の光の玉の集合体は、ただ見るだけなら実にきれいだ。だけど、私はイクラなどの魚卵や白子が嫌いなのだ。
生臭い。
私は子供の頃、母親の家事を手伝っていたけど、食器洗いの際に筋子が入っていた容器の匂いを嗅いで吐いた。あんな生臭いものを喜んで食べる人間が少なからずいるなんて、誰かの「人間の繁栄は『悪食』のおかげだ」という説を思い出す。
私には、信じられない。あんな生臭いもの。
明日香は私の魚卵嫌いを知っているので、無理強いをしない。私は自分に魚卵アレルギーがあるかの検査を受けてはいないが、それでも匂いを嗅ぐだけでも吐き気をもよおすし、鳥肌が立つ。
当然、生まれて一度もキャビアなんて食べた事がないし、食べたくもない。
「シャーウッド・フォレストのチケット、また取れなかったね」
「仕方ない、またDVDが出るのを待とう」
シャーウッド・フォレストとは、北海道に活動拠点を置く劇団だが、今はその人気は全国区になっている。私たちは大学時代から彼らを追いかけていたけど、今のあの人たちはすっかり雲の上の人になってしまったし、半ば実質的に東京を活動拠点にしている。
私たちが昼食を摂っているこの店は、そのシャーウッド・フォレストの所属事務所が経営している。
「今度の劇って、昔の中国の話だっけ? 三国志じゃなくて、項羽と劉邦じゃなくて…ええと、何だっけ?」
「春秋時代。あの孔子とか孫子とかがいた時代ね」
明日香は日本史の戦国時代や幕末は好きだけど、中国史には詳しくない。私自身も史記や三国志をちょっとかじっただけだ。今度のシャーウッド・フォレストの劇は、春秋時代の斉の田氏一族の陰謀劇だ。
「フォレストのチケットが取れないなら、代わりに映画でも観ない?」
私は提案する。
「何か面白いのある?」
明日香が首を傾げる。私はさらに提案する。
「花川加奈子という作家さん、いるっしょ? あの人の『恋愛栽培』という小説が映画になっているから、観に行かない? フォレストの新作と同じ頃に観られるよ」
「ああ、面白そう」
映画『恋愛栽培』の公開は、シャーウッド・フォレストの新作とほぼ同時期だ。その頃は、札幌は花見シーズンだし、今年の円山公園もジンギスカンパーティでけむいはずだ。
「ごちそうさま」
明日香も私もご飯一粒残さず平らげた。レストランを出て、私たちは地下鉄に乗って美術館を目指す。私が好きな日本画家の作品展があるのだ。
日本画家といえば、思い出す。道内、それもここ札幌在住の日本画家がいるけど、その人はラジオパーソナリティでもある変な人だ。ちょうど、近所に住んでいるし、何度か顔を合わせて挨拶している。この人は札幌市内で活動しているインディーズアーティストたちとの交流があり、ジャケットデザインを手がけている。私は趣味で絵を描いているけど、あの人とはあの画材屋ビルで何度か会っているし、ビルの中にあるラーメン屋さんで一緒に味噌ラーメンを食べた事もある。
私はこの人の奥さんや娘さんとも顔見知りだ。
DJ松弾こと松永少伯さんは、様々な絵を描いている。日本画だけでなくマーカーやコンピューターを使ったイラストも色々とあるし、道内の新聞で連載しているコラムにも色々な挿絵を描いている。少伯さんは「食」をテーマにしたコラムを書いているが、いつかの回ではイクラ丼をテーマにしていた。
その挿絵、私は見惚れた。
絵に描いた餅ならぬ、絵に描いたイクラ丼。これなら怖くない。
もし私が少伯さんに絵の依頼をするなら、このイクラ丼の絵を描いてもらいたい。目で見るだけなら、魚卵嫌いの私でもいくらでも味わえる。
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