登場人物のその後 4


フランスとオーストリアのその後を、少し。



【ブルボン家】


1848年、2月革命で、ルイ・フィリップは退位します。この後、フランスは第二共和制に移行し、やがて、シャルル・ルイ(ナポレオン3世)が大統領に選出されます(そして、第二帝政へ)。


第二帝政の崩壊は、1870年。再び、王制の兆しが見え始めました。白羽の矢を立てられたのは、シャルル10世の孫、ブルボン家のアンリです。

この時アンリは、三色旗を取りやめ、ブルボン家の白い旗を掲げるよう、要求します。


アンリは、伯母のマリー・テレーズ(アントワネットの娘)に育てられています。両親と叔母、弟を革命に殺されたマリー・テレーズは、頑固な王権神授説の信奉者でした。

アンリは、この伯母に、敬意を示したものと解釈されています。


ですが、フランスにとって、三色旗の廃止、そして、ブルボン家の白旗の掲揚は、絶対王政の復古を意味し、今更、認めがたいものでした。当然、アンリの要求は却下され、フランスは共和制の道を歩みます。アンリは再び、亡命の身となります。


なお、アンリには、子どもがいませんでした。それも、彼があっさりフランス王位を諦めた理由のひとつに挙げられています。






【ボナパルト家】


ライヒシュタット公の死後、ボナパルト家の当主は、ナポレオンの兄、ジョゼフに移ります。その後、リュシアン、ジョセフ、ルイが、相次いで亡くなります。こうして、当主の座は、ルイ・ボナパルトの、(この時点で生き残っていた唯一の)息子、シャルル・ルイのものとなります。


シャルル・ルイは、ナポレオン3世として即位するのですが、1870年、第二帝政は崩壊し、その3年後に、ナポレオン3世は没します。ところが、彼の息子ウジェーヌも、父の死から、わずか6年後に、亡くなってしまいます。23歳でした。ウジェーヌには、妻も子どももいませんでした。


これにより、ボナパルト家当主は、ナポレオンの末弟、ジェロームの家系に移ります。今のナポレオン公は、このジェロームの子孫です。






【ハプスブルク家】


オーストリアです。

すでに、フランツ・ヨーゼフ(「ホイップクリーム載せいちごアイス赤ちゃん」だった……)の時代、ハンガリーは、オーストリアから独立の気概を見せ、これを慰撫して、帝国は、オーストリア・ハンガリー帝国という矛盾を抱えた国家形態になりました。

オーストリア皇帝が、ハンガリー国王を兼ね、軍事・外交および財政のみを共有する。しかし、その他はオーストリアとハンガリーの2つの政府が独自の政治を行うという、二重の国家形態です。



皇帝フランツ・ヨーゼフは、バイエルンのエリザベトと結婚し、皇太子ルドルフを授かるのですが、ルドルフ皇太子は、マイヤーリンクの狩猟館で、情死ともとれる、不可解な状況で亡くなります。フランツ・ヨーゼフには、他に男子はいません。


皇帝の弟達は、既に亡くなっているか、放蕩により、フランツ・ヨーゼフ自身によって、ウィーンから追放されているか……。


それで、甥のフランツ・フェルディナンドが立太子しますが、彼は、妃ゾフィー・ホテクと共に、サラエボで暗殺されてしまいます。第一次世界大戦の発端となる事件です。


ちなみに、フランツ・フェルディナンドとゾフィーの結婚は貴賤婚でした。ゾフィー・ホテクは、ボヘミアの貴族の出身です。


貴賤婚ゆえ、冷遇されがちな妻を、表に出したい気持ちから、フランツ・フェルディナンドは、危険なサラエボへの視察を強行し、殺されてしまった……。そういう風にも言われています。


夫妻の葬儀まで、二人の「貴賤婚」に辛く当たったのは、宮内大臣アルフレッド・モンテヌーヴォーでした。彼は、マリー・ルイーゼとナイペルクの孫に当たります。


ハプスブルク家の血を受け継ぎながら、祖母マリー・ルイーゼの貴賤婚ゆえ、皇族として取り立てられなかった恨みが、こんな形で出てしまったとしたら、マリー・ルイーゼは、子孫の代までお騒がせ……というのは、言いすぎでしょうか。




1916年、実に、68年の在位を経て、ついに、フランツ・ヨーゼフが亡くなります。ホイップクリームをトッピングしたストロベリーアイスのようだった赤ちゃんが、ここまで頑張ったのです。


フランツ・ヨーゼフが亡くなると、大伯父の後を襲い、29歳のカールが、カール1世として、即位します。


時は、第一次世界大戦のさなかです。


カール1世即位の2年後、同盟国の戦線は崩壊し、オーストリアは、敗戦国となります。

時を同じくして、チェコスロバキアやポーランドが、次々と、オーストリアからの独立を宣言していきます。


カール1世は、オーストリアから追放され、オーストリアは、共和制へと移行します。


オーストリア・ハンガリー帝国最後の皇帝だったカール1世は、亡命先で、肺炎のために亡くなりました。34歳でした。彼の息子オットーは、ハプスブルク公を名乗ります。エピローグの、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーに次ぐ、パン・ヨーロッパ連盟の2代目会長でもあります。







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ハプスブルク家のその後を、系譜にまとめました。


https://serimomo139.web.fc2.com/franz.html#habsburg


(ページトップは

https://serimomo139.web.fc2.com/franz.html

「9 ハプスブルク家のその後」)




なお、登場人物については、画像を加え、もう少し詳しく、ブログでご紹介しています。今、ブルボン家からナポレオンの兄弟のあたりです。その後、いよいよ、ライヒシュタット公自身の身の回りの人々のご紹介に移ります。

ブログは、史実のみです。「カテゴリ」ごとに見ていただくと、読みやすい順番になります。

3日おきくらいに更新していますので、お暇な折に、遊びにいらして頂けたら嬉しいです。

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