カール大公の思い 2


 「兄上」

カールは、膝を乗り出した。

「フランツの最初の赴任地として、ブルノ(現在のチェコ、モラヴィア辺り)は、いかがでしょう?」

「ブルノ?」

「ええ。ナッサウ公の連隊が駐屯しております。そこの歩兵隊を、フランツに任せてみたらいかがでしょう」

「ナッサウ公……ああ!」


 皇帝の顔に、理解の色が浮かんだ。

 カールは頷いた。


「そうです。ナッサウ公……亡くなったヘンリエッテわが妻の兄です」

「……なるほど」

「彼を通して、我々は、フランツの様子を知ることができます。義理の兄の連隊とあらば、私も、ちょくちょく、フランツのところへ行くことができるでしょう」

「フランツは、二人の上官を得るわけだな。ナッサウ公と、カール。お前と」

「はい。フランツには、迷惑な話でしょうけど」

くすりと、カールは笑った。


「……ありがとう、カール」

 ぼそりと、皇帝は言った。

 カールは、目をしばたたいた。

「礼なんて。兄上。私はそんなつもりは……」

「いや。あの子の子ども時代は、オーストリアとフランス、両国の犠牲になった。ナポレオンとオーストリア皇女マリー・ルイーゼの結婚は、あってはならないことだったのだ。私は、マリー・ルイーゼには、償いをすることができた。だが、フランツには、それが、できかねていた」


「兄上、これだけは」

カールが言った。強い口調だった。

「あの子は、生まれるべくして、生まれた子です」


 皇帝は、大きく頷いた。

「そうだ。だから、これから、フランツには、自分の人生を取り戻してほしいのだ。カール。お前が、あの子の側についていてくれて、儂は、嬉しい」

「私だけではありません。ヨーハン皇帝の弟だって、ゾフィー皇帝の次男の妻だって、ま、ちょっと頼りないけど、F・カール皇帝の次男だって……フェルディナント皇帝の長男も、フランツのことは、大好きでしょう?」


「フランツのことなら、皇妃儂の妻も、自分の息子のように気にかけている。いや、偏愛と言っていいくらいだ。お前の娘アンナもそうだろう?」

「アンナはダメです」

きっぱりと、カールは答えた。


 くすりと、皇帝は笑った。

「儂はな、カール。いずれあの子フランツは、フランスから迎えられると、考えている」


 カールは息を飲んだ。

 皇帝は頷いた。


「正統なるブルボン家は、その座を追われた。王は、国家などではなかった。また、王位も、神から授けられたものではなかった」

「兄上……」

「それが、どういう形かは、わからない。神ならぬ身に、先のことは、見通せない。未来は、若い者たちが、動かしていくものだ。フランツは、己の道を行くだろう。あの子には、それだけの力がある。そして、然るべき時の流れと、必然が、彼を、フランスの頂点へ導くと、儂は信じている」

「フランツを、解放するのですね?」

「解放……あの子も、そんな言葉を使っていたな。だが、あの子は、このウィーンに監禁されていたわけではない。逆だ。あの子は、メッテルニヒの政策の元、厳重に、保護されていたのだ」



 カールは、危惧を覚えた。

 彼のところへは、諸外国のボナパルニストから、しきりと、ナポレオンの息子を解放せよとの、手紙が届いている。その中には、ナポレオンの兄弟からの手紙も混じっていた。


 その全てを、カールは、兄に見せ、宰相メッテルニヒに渡していた。


 しかし、フランツには、なにひとつ、知らされることはなかった。

 伯父達の手紙さえ、彼には、届けられていない。



「……メッテルニヒは、フランツの地方勤務について、どう思っているのですか?」

カールは尋ねた。

 愚かな質問だった。


「皇帝の儂に逆らえる者などいない。まして、フランツは、儂の孫だ」

 尊大に、皇帝は言い放った。

 語調を和らげ、続けた。

「大丈夫だ。いつフランスから迎えられても恥ずかしくないよう、金の用意を始めたところだ」

「兄上……」



 メッテルニヒへの疑義を呈するべきかどうか、カールは迷った。

 彼は、長いこと、宰相の監視下にあった。

 同じ扱いを、今、フランツ皇帝の孫も受けている。いや、もっと悪い。

 鷲の子ナポレオンの息子(※)は、檻に閉じ込められているのだ。皇帝の一声で、この檻は、簡単に開くものだろうか。

 (※ナポレオンの紋章に取り入れられていることから、鷲は、ナポレオンを表す)



 カールの沈黙を、皇帝は、自分へ向けられた、無言の非難と受け取ったらしい。

 僅かに不興げに、眉を顰めた。

「だって儂は、亡くなったマリー・アントワネット叔母上から託された財産を、無事に守り通したろう? アングレーム公との結婚に際し、きちんと、マリー・テレーズ従妹に渡した。それどころか、利子で、ミタウ(※)までの旅費まで出してやったのだ」

(※注 当時、マリー・テレーズの叔父、ルイ18世は、ロシアのミタウに亡命していた。ウィーンを出たマリア・テレーズは、アングレーム公と結婚する前に、まずは、この叔父の元へ身を寄せた)


 ちょっと考えて、付け加えた。

「マリー・テレーズの旅費は、当然、ロシア皇帝が支払うべき筋のものだった。儂は、今でも、そう、考えている」


 マリー・テレーズ。

 突然出てきたその名に、カールの心が揺れた。

 だが、皇帝は気がつかない。

 無心に続けた。


「オーストリアとフランスの狭間で苦しむのは、マリー・テレーズもフランツも同じだ。7月革命でブルボン王朝は倒され、マリー・テレーズは再びフランスを追われてしまった。だが、フランツの未来は、これからなのだよ」


「フランツに流れるハプスブルクの血を通じて、フランスを手に入れるおつもりなんですね?」

 カールの声には、苦い響きがあった。


 ……彼女は、フランスを選んだ。フランス……アングレーム公を。

 ……自分は、マリー・テレーズを妻に迎えることができなかった……。


 「まさか。そこまでは考えていない」

 皇帝は笑った。

 すぐに真面目な顔になった。

「ただ、フランスは大国だ。最近のプロイセンの台頭も、気にかかる。北にはロシアも控えている。フランスが、オーストリアの味方についてくれたら、心強いとは、思っているよ。フランスに、儂の孫フランツがいてくれたら心強い」


 ……そううまくいくだろうか。

 曖昧に、カールは頷いた。


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