プロケシュの誠意/切り裂き伯爵の文才


 数日後。

 プロケシュ=オースティンは、プリンスの秘密の名代として、指定された場所へ赴いた。



 ウィーンのとある館に、ナポレオーネ・カメラータ伯爵夫人は滞在していた。

 やはり、男装していた。彼女は、冷淡に、プロケシュを迎え入れた。


 「プリンスからの謝罪の言葉を、お伝えに参りました」

慇懃に、プロケシュは、頭を垂れた。

「謝罪? 何の?」

ナポレオーネの言葉は、素っ気い。


 だが、プロケシュは、気後れするわけにはいかなかった。

「ここへ来れないことの。そして、不躾な手紙を書いてしまったことへの」

ナポレオーネは、顔色を変えた。

「彼は、あなたに話したのね!」

「私を信じて下さい。誓って、あなたの身に危険はありません」


 誠意を込めて、プロケシュは、今回の経緯を説明した。前の2通の手紙はプリンスには届かず、従って、返事を書きようがなかったこと。どの手紙に関しても、彼女を危険に陥れる恐れはないこと。3通目の手紙も、安全に処理されたこと。


「でも、彼は、ここへ来なかった」

 冷たい目で、彼女は、プロケシュを睨んだ。


 プロケシュは怯まなかった。プリンスの本当の姿を、この従姉に知ってもらわねばならない。

「プリンスは、とても純粋で、優しい人です。聡明で思慮深く、控えめです。普段は、あのような手紙を書くような人ではありません。それにあの手紙は、大半が、私のしゃべったことですし」

「彼はあなたに、秘密を漏らしたわ!」

「それは、仕方がないことです。彼は、常に暗殺者に狙われている。注意をし過ぎるということはない。むしろ、返事をお届けしたことを、評価して頂きたいくらいです」

「……」

再び無言で、カメラータは、プロケシュを睨みつけた。



 この女性に、プリンスが惑わされたと疑ったのは、愚かしいことだったと、改めて、プロケシュは思った。

 ひどく年上に見える。

 丸みを帯びた体に、男装は、全く似合っていない。

 一言で言って、美女ではない。

 男が……年若いプリンスが、心を惹かれるような。

 それなのに、自分は、愚かな誤解をしてしまった……。



 心をこめて、プリンスの人柄を説くことが、自分の使命だと、プロケシュは決意を強めた。

「なにより、プリンスは、ナポレオンに心酔しています」

「伯父様に!」

カメラータの目が輝いた。


 ……取っ掛かりができた!

 プロケシュは、手応えを感じた。


 力いっぱい、彼は、頷いた。

「プリンスは、ナポレオンに関する本を、たくさん、読んでおられます!」


 ラス・カス、アントマルキ、モンソロン……。

 セント・ヘレナに付き添った従者たちの本は、軒並み読破したと、プロケシュは証言した。

 その他にも、自分と一緒に読んだナポレオン関連の本を、プロケシュは、次々と挙げた。


「そんなにたくさん?」

 カメラータの顔に、驚きと、満足の色が宿った。

「ナポレオンの遺した言葉こそが、彼の、生きる指針なのです」

 なおも、プロケシュは、心をこめ、言葉を尽くして説明した。


 プリンスの父への愛情を。尊敬を。傾倒を。

 ナポレオン戦争の、驚嘆すべき知識を。その政策への理解の深さを。



 オーストリアの少佐プロケシュの話は、エリザ・ナポレオーネ・カメラータに、深い満足を与えたようだった。真摯なその態度が、それに拍車をかけた。


 最後には、彼らは、友好的に、別れた。






 秘密警察が与えた3週間の猶予期間を俟たずして、エリザ・ナポレオーネ・カメラータ伯爵夫人は、ウィーンを退去した。


 ……私は諦めないわ。


 トリエステで蟄居しているカロリーヌ叔母まで担ぎ出しての、ローマ王奪還は、結果として、失敗に終わった。

 だが、エリザ・ナポレオーネの失望は、小さかった。

 短い時間だったが、直接、ローマ王従弟に会い、自分の思いを伝え、その手にキスできたことは、大きな成果だった。


 少なくとも彼女は、おじ達が阻まれたことを、成し遂げた。

 ローマ王に接触するということを。


 実際のローマ王は、彼女の想像を遥かに凌駕する好青年だった。親友を名乗る少佐によると、父ナポレオンに傾倒しているという。


 申し分なかった。

 意気揚々と、彼女は、出国の途についた。


 ……彼は、この、一時的な失墜から、必ずや回復し、高貴な出自にふさわしい人間であることを、必ずや、証明してくれるでしょう。


 彼女は、父方の従姉妹に書き送っている。







 「これでよかったか?」

カメラータ伯爵夫人退去の報を受け、警察長官セドルニツキは、部下に尋ねた。

「感謝します」

ノエは答えた。


「だが、ナポレオンの姪を、ライヒシュタット公に接触させたのは、まずかったな」

ぼそりと、セドルニツキが言った。

「まあ、お前には、何か、考えがあってのことだろうが……」


「考えなんてありませんよ」

即座にノエは答えた。

「ただ、ライヒシュタット公も、一人くらい、会ってもいいんじゃないかって、思ったんです。……父方ナポレオンの家族に」

「そうだよな。血が繋がってるんだものな。こんな風に、オーストリア母方の国に、がっちりと隔離しておくのは、不自然だ。ノエ。お前と同じだよ。今回のことは、私だって、宰相に報告する気はなかったさ」


 どっかと、セドルニツキ切り裂き伯爵は、デスクの前の椅子に腰を下ろした。

 赤ペンを握り、ゲラ校正紙に向き直る。


「こうしていると、私にも、伝わってくるんだよ」

「伝わってくる? 何がです?」

「つまり、芸術の気配とでもいうような? まあ、私は、アカ訂正を入れているわけだが」

「それって、どちらかというと、芸術の破壊だと思いますが」


「何を言う!」

心外そうに、セドルニツキは叫んだ。

「日々、芝居の台本や、小説に接しているからこそ、わかるのだ。人の心の機微は、誠に愛らしく、いとしいものだ、とな」

「……はあ」


「美しく可憐な王子をさらいに来た、男装の麗人。二人は、王子の故国へ向け、夢とロマンと、冒険に満ち溢れた逃避行を始めるのだ」

「……ちょっと、いえ、かなり、違うと思います」

「うるさい。それをだな。一方の主役である、男装の麗人をふんづかまえて監禁、挙句の果てに強制退去なんて無粋なこと、できるものか!」

「……」

「そうだ。この感動的な物語を、脚本家のナンデンカンデンに教えてやろうか。俳優の人選を誤らなければ、大入り満員、間違いなしだぞ!」

「……長官」


「ん? なんだ、これは」

ノエの差し出す書状を、セドルニツキは受け取った。


 退職届、と、上書きがしてあった。


「ナポレオンの姪が、ライヒシュタット公に接触したのは、私の落ち度です。責任を取り、退職致します」

「なんだって! いや、ノエ、お前、」


 セドルニツキは、すっかり動揺してしまっている。

 反対に、落ち着き払って、ノエは続けた。


「この件は、いずれ、メッテルニヒ宰相の耳に入ります。その時、担当者をクビにしていれば、長官ご自身に、お咎めはないと思われます」

「いや……いや、大丈夫だ。ディートリヒシュタイン伯爵は、他言はしないと約束してくれた。頑固だが、あの伯爵は、信頼できる。ナポレオンの姪に関して、宰相は、永遠に、知ることはない」


「長官」

呆れた目で、ノエは上司を見つめた。

「知っているのは、ディートリヒシュタイン伯爵だけじゃ、ないんですよ? 家庭教師のオベナウスとその召使い、召使いは、誰かにしゃべったかもしれません。それに、プロケシュ=オースティン少佐。カメラータがライヒシュタット公に接触した時、暗かったとはいえ、目撃者がいた可能性もあります。なにより、ライヒシュタット公をしつこく追い回すカメラータ伯爵夫人の姿は、ウィーンのいたるところで、人目に晒されていました」


「しかし、お前が辞めることはない!」


「私自身の身の安全のためですよ」

 ノエは、いたずらっぽい顔になった。

「私は、自分の部下を、国外へ逃しました。メッテルニヒが召喚を望んだ部下です。その上、ライヒシュタット公をナポレオンの姪と接触させたとあっては……」

 ふっと、その目が冥く陰った。

「このウィーンで、無事に過ごせる自信が、ありません」


「お前の部下は、どうする。アシュラ・シャイタンは」

「アシュラには、手紙を書きました。彼の恋人に託します。もし、彼がウィーンへ戻ってきたら……。しかし私は、彼が、この国へ、帰って来ないことを望みます」

「……ノエ」


 セドルニツキは、絶句した。


 ふっ、と、ノエは、笑った。

「私はね、長官。長官が、アカで書き直した筋書き、結構好きでしたよ」

柔らかい口調だった。

「長官にも、文才があるのかもしれない」

? 失礼な。当たり前だ。私は、アカ入れだけの人間じゃない。私には、創造の才能があるんだ」


「どうか長官。長官は、ご自分の職能を全うなさって下さい。……最後の日まで」

「お前に言われなくても、そうする!」

 奮然と、セドルニツキは赤ペンを握った。









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