第429話
予想だにしていなかった敵からの誘引の言葉に、数秒程世界の時が止まった。
これは一体どういうことなんだ。いきなり仲間になろうと誘い込んで、こいつは何がしたいのか。
混乱する脳内の整理をつけ、大我が次の言葉をようやく吐き出した。
「…………な、何いってんだ……? なんで俺がお前と」
「私と君は似た者同士。かたやアリアに世界を滅ぼされ奇跡的に生き残った人類。そして私は━━━━この世界樹、データの海の中で偶発的に産まれた、人格を持ったバグだ」
ついにノワールの口から飛び出した、彼女自身の出自。
その言葉の意味がわかるアリアとエルフィは驚きの顔を見せ、なんとなく理解できる大我は、彼女の言葉に耳を傾け続けた。
「世界樹ユグドラシル……いや、この超巨大サーバーの中には、もはやアリアでしか処理できないであろう膨大なデータが詰まっている。そしてお前は、日夜メンテナンスやデバッグ、増強を欠かさず行い、数千年に渡ってシステムを維持してきた」
「…………はい、その通りです」
「だが、それだけ完璧に管理をしていても、必ずバグや不具合は発生する。お前はそれをちゃんと取り除き正常な動作を保ってきた…………だが、そんな中で偶然私が産まれた。指で押されれば潰れてしまいそうなくらい無力な存在だ。ただのバグがどういうわけか、人格の形を持って産まれてしまったんだ」
「そんな……私の動作履歴にそのような記録は」
「あるわけない。そんなものが人格を持っていても、お前からすればただの排除すべきいち不具合でしかない。だから、私は必死に削除されないように回避し続けてた」
ノワールは下唇を噛みながら、瞳を下へと反らす。
「何度も何度も、発見されては逃げて誤魔化して。怖くて仕方なかった。消されたくない、消えたくないって、ずっと思いながら過ごしてきた。そして、私は決心した。少しずつ、少しずつお前の能力を、領域を奪って成長しようと」
「そうやって力をつけてきたのか」
「とても長い年月をかけて、お前の自己アップデートから認識できないレベルの微小な領域を掠め取って、それを私の糧とした。そうしてようやくアーカイブへのアクセス権限を手に入れ、新たな知識を、世界、過去を知った。ここではない外の世界が存在するとも」
ノワールの身振り手振りが、彼女が溜め込んだ恨みと苦しみを吐き出しているようだった。
「ならばこれを利用しない手はない。私はずっと思っていた。何も悪いことはしてないのに、何もしてないのにどうして消されなきゃならなかった。私が何をしたんだ。なんでこんな目に合わなきゃならない……! だからお前からこの世界を奪ってやる。お前が地獄のような屍の上に築き上げた世界を奪い、貴様を苦しませてやると!! そう……決めたんだ」
「…………そうやって、フロルドゥスやセレナ、ティアのコピーを造り、B.O.A.H.E.S.を目覚めさせたのか」
「そうだ。現実世界へ干渉できるようになったのは最近の事だ。そこから計画進行は大きく進んだ…………アリアが認識出来ない領域を密かに造り、世界樹の地下深くに存在する製造工場の一部を掌握する。そこで私の計画に必要な鍵となる存在を製造し、密かに地上へと排出した」
「それがフロルドゥスってわけか」
「彼女の力は非常に強力だった。その時の私が持てるリソースを全て割き、現世界そのものに相反する駒となった。セレナはそれよりも前に、私の味方となるように因子を植え付けた。後に己の存在に覚醒した後は最高の戦力として常に動いてもらっていた。本当に良くやってくれたよ」
「…………だがわかんねえな。アリア様を倒すって目的なら、最初からその戦力で殴り込みさせればよかったじゃねえか」
「単純に足りなかったんだ。アルフヘイムに住む戦士達、特にアリアが選んだ神伐隊やネフライト騎士団の力を侮ってはいない。それらに完全に対抗するには徹底した準備が必要だった」
それこそが、フロルドゥス、バレン・スフィアの設置へと繋がっていく。
「バレン・スフィアも、セレナの存在も、あくまでアリアから世界樹を奪う為の脅迫材料に過ぎない。B.O.A.H.E.S.の開放は予備の戦力プランだ。ティアの量産についても、本来は誰でもよかった。住民の一人のデータをリアルタイムで取得し、そこから完全同一の記憶を持った兵隊を製造し軍隊に成せればそれでよかった。知っている者と戦うとなれば、混乱が生じるからな」
ティアは言葉を掻い摘んでなんとか話を聞こうとしていた。
自身の話題になった時、自分の過去に何かしらそのような事態があっただろうかと記憶を巡らせた。
そして、一つの心当たりが浮かんだ。
「……! それってもしかして」
「一人のエルフの子供に、常に私との接続が行われるようになるウィルスを仕込んだ。それを助けたティアに傷をつけ、ウィルスに感染させた。お前達が穢れと呼んでいるものの一つだ」
これまで身に降り掛かった出来事の一つ一つが、大きな線となって繋がっていく。
「見知らぬ誰かを助けるような優しい者なら、支持する者も多いだろう。そうしてお前が引っかかったと言うわけだ。だが、お前達はそれを乗り越えて叩き潰した。まったく…………心持ちが強くて素晴らしい限りだ」
「ノワール、貴女はB.O.A.H.E.S.襲撃の後から、私へのハッキングを試みましたね。そうして、少しずつ認識を改竄しつつ制御権を奪い、こうして今に至る……と」
「B.O.A.H.E.S.の襲撃は想定外だった。なんとか制御しつつ時を見計らって動かすつもりだったが……まさか、自ら制御を突き破って暴れるとは。だが、そのお陰でお前は、自身のリソースをB.O.A.H.E.S.に向けてくれた。そこが唯一にして最大の隙だったよ」
ノワールは少しずつ、顔に笑みがこぼれ始めた。
ついに、己が何千年もかけた計画が、いくつもの想定外があれと、それすらも追い風になって成功へと近づく。
そうしてついに、掌握に成功した。これは紛れもない事実である。
「ようやく一世一代の好機が巡ってきた……この機を逃したら次はない。B.O.A.H.E.S.の対応に追われたお前の領域を、その時に一気に奪ってやった。何をされているのかも気づかず、ユグドラシルの中で誤作動を起こすお前の姿はとても愉快だったなあ……」
そして、ノワールの眼には、何千年もの時を重ねて積み上がった怨念の暗さを形にしたような鋭い眼光が宿っていた。
矛先は当然、アリアに対してである。
「元々私に名前なんてない。アリア=ノワールという名前も、新たに製造したこの姿も! 全く同一の音声ファイルを使用したこの声も!! 何もかもお前への怒りを形にしたものだ。廃棄削除するはずだったゴミが、同じ姿を、同じ力を手にしたなんてなァ!!」
不具合を修正し、壊れたデータは削除する。それは当然のことである。
こればかりはどうしようもなかった。新たな自我の誕生を想定することもできない。
アリアは何も言い返すことはできなかった。
「────これは私の復讐だ。そして大我、君にもその権利がある。私は、アリアに全てを奪われた君と歩みたい。これまでの君への攻撃は謝罪する。どんなサポートも尽くそう。だから……一緒に行こう」
激情を発露し、新たなる事実の開示が繰り広げられながらも、元々の住人であるが故に完全な理解には及べないでいるティア。
なんとなくは理解できるが、それでも彼女達の日常には存在しないような単語や認識が織り交ぜられている。
だが、そんな中でもどうしても頭の中から離れない言葉があった。
「…………大我さんが最後の人類って、アリア……神様に全てを奪われたってどういうことですか」
ティアは、大我に出会ってから殆ど、ずっと一緒に過ごしてきた。
出会った頃からボロボロで、まともに走ることすらも危うかった。
彼には何か、止むに止まれぬ事情があったことは感覚的に感じていたが、ずっと知らなかったし聞けずにいた。
もしかしたら、彼にとって大きな心の傷になっていることかもしれない。その優しさもあって、聞くことはできなかったのだ。
だが、今ここで知らなければ、もう二度と大我の過去を知ることは無くなってしまうような、そんな予感がした。
ティアは口を開き、奇妙な心の痛みを押さえつつそれを声に出したのだった。
「…………ふふ、そうだ、そうだよな。お前はこの世界の住人だから知ることもないし出来ない。大我も全てを話すことはできないだろう。だが良い機会だ。私が教えてやろう」
「待っ……」
アリアが静止するような声を発しようとした。
だが、それがノワールの言葉の引き金を引いた。
「桐生大我は、この世界における最後の『本当の人類』。そして、元々この世界にいた大我と同じ人類を一人残らず根絶やしにしたのは、他の誰でもない、アリアだ!」
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