第329話 決戦準備 4

 セレナと直接戦い、彼女の暴露を耳にしていたラントには、既に知っていることではあった。

 だが、そこにいなかったアリシアが後から誰かからそれを耳にするのは時期尚早だっただろう。

 アリシアはずっと、大好きな兄がいない日々に苦しめられ続けていた。

 十年の月日が経っても、彼女にとっては心の中の大きな傷として残っている。

 ティアやラントのような友人がいても、愛する家族がいないという穴は埋めることはできない。

 そんな大好きが兄がようやく帰ってきた。それはアリシアの中で嬉しいという言葉には収まりきらないくらいの感情が沸き立っていた。

 そして今、自分と兄を引き離した元凶が、兄をあんなに酷い目に遭わせて一生残る傷を残した敵が姿を現した。

 ただの自然現象ではなかった。そこには確かな意志があった。

 いつか爆発したであろう堪忍袋。そのタイミングが今やって来たのである。


「あたしさ、寂しかったんだ。お兄ちゃんがいなくなってからさ……ずっと一緒にいてくれたのに、ちょっと前までは当たり前のようにそばにいてくれたのに。それが突然無くなっちゃって。涙が出て仕方なかった」


 ラントは何も言うことはできなかった。

 自分という心の支柱に根差す人がいなくなるのは、どれだけ辛いことなのだろうか。

 憧れではなく身内という存在が、特に依存にも近い形で好意を抱いていた家族がいなくなるのはどれだけ辛いのか。

 軽々とその気持ちがわかるとは言えなかった。


「みんな慰めてくれたのも覚えてる。あたしは感謝してるし、今でもありがとうって思ってる。けど、それでも胸が苦しかった。気持ちの行き場がどこにもなかったんだよ」


 アリシアの弓を握る力がぎりぎりと強くなっていく。どこにも向けられなかったぐちゃぐちゃとした感情が怒りとして固定され、その矛先が作られていく様を見ているようにも感じる。


「けど、その犯人がいたとわかっただけでも、あたしには大きな情報だよ。ようやくあたしが倒すべき相手が見つかったんだ。絶対にアリア=ノワールだけは生かしておかない……新しい神だかなんだか知らねえけど、命乞いでもなんでもさせるまで」


 憎悪と怒りに囚われた言葉を最後まで喋ろうとしたところを、ラントが胸倉を掴んで強引に引き止めた。

 彼は頭の中よりも肌で感じていた。これ以上は間違いなく危険だと。


「…………それ以上は駄目だ。落ち着いてそこで止めろアリシア」


「落ち着けって……! あたしがどんだけお兄ちゃんを奪われて辛かったって……っ……!」


 アリシアは感情的に反論しようとしたが、ラントはただ何も言わず、無言でじっと強い意志を持って彼女の眼を見つめた。

 アリシアはそこに、ラントからの確固たる気持ちを感じ取り、今自分は明らかに冷静になれていなかった、激情を燃やしすぎたと頭を冷やし口をつぐんだ。

 

「アレクシスさんの受け売りだけどさ、言われたんだよ。時には怒りや感情に身を任せるのも大切だが、それに囚われちゃいけねえって。一つの感情に溺れ過ぎたらやがて身を滅ぼす。取り返しのつかねえことになるってな。今のアリシアを見たら、なんかそんな気がしてさ。止めずにはいられなかった」


 アリシアはその言葉に、霧の魔女セシルの事を思い出した。

 彼女は穢れに侵された兄を想うあまりに狂い、既に兄が朽ちた後でも盲目的に知らぬ天の声に従い、人々を攫っていた。

 した事は看過できないが、兄を愛する気持ちは、同じ妹同士強く共感できる。

 もしかしたら自分は、それになろうとしてしまっていたのではないか。ラントが止めてくれなければ、自分はどこまで深みに嵌ろうとしていたのか。

 アリシアは一時の激情を反省したが、すぐさまラントは明るい声を出した。

 

「まあ、俺がなんか上手く行かなくて八つ当たりしてた時に言われたことだからな!」


「…………おめーなあ! あたしが今真剣に考えてたのに何茶化してんだこのやろー!」


「はははは! まあでも、俺が危ねえと思ったのはマジだからな。本物のティアまで向こうで囚われてんだ。これ以上、友達がどうにかなるのは見たくねえよ」


「…………ふっ、ありがとな。少しスッキリした。さてと、ティアのことも助けなくちゃならねえんだ。気合い入れるぞラント」


「おうよ! 後で軽く勝負も付き合えよな。慰めた対価によ!」


「この野郎、お礼言って損した! まあいいや、やってやるよ! 色々と新しい魔法や戦術も作りたいしな!」


 アリシアの心に濃いモヤがかかりかけたところを引きずり出したラント。

 ひとまずは暗い空気が晴れ、いつもの調子を取り戻すことができたようだ。

 二人は決戦の日までの間、改めてお互いを高めあい、友達を助ける為により奮闘するのであった。

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