第269話

 水面下で事態蠢くアルフヘイム。だが、それは全員が全員はっきりと察せられるわけではない。

 それでも日常というものは、大きな横やりが入らない限りはいつも通りに進んでいくものである。


「いただきます。くぅぅ……やっぱ動いた後の飯って最高だな……」


「ちらっと見てたぞー大我君。僕でもわかるくらい魔法うまくなってたじゃないか。地道な勉強っていうのは裏切らないものだよねぇ」


「思い出すわね……僕も料理手伝うんだ! って言い出して、火魔法身につけようと練習してたら危うくボヤ騒ぎになりかけたの」


「り、リアナ……そんな昔のことよく覚えてるね……」


 己の魔法や体術を磨く為の自主的な鍛錬や、危険に身を投じるクエストを受ける日々の狭間。青果店の休憩に昼食を取るフローレンス家と席を一緒ににして舌鼓を打つ大我とエルフィ。

 そんな時も、今ではいつもの日常の一幕となっており、彼にとってはもう当たり前の日々となっていた。

 一家団欒のテーブル席に揃えられたメニュー。

 香ばしく固めな、小麦の風味強く香るパン。舌触り良くクリーミーなマッシュポテト。こんがりと焼かれた、ふんわりと燻の香り際出す見た目美しいベーコンエッグ。いつ飲んでも飲み飽きないさっぱりとした牛乳。

 フローレンス家の食卓メニューにすっかりと慣れた大我には、かつての家族と一緒に口にする食事に近い程の思い入れがつくようになっていた。


「あれ、耳飾り片方無いけど、無くしたのか?」


 そんな食事中、大我は対面に座っているティアのちょっと違う姿に気づいた。

 彼の言う耳飾りとは、以前サカノ村での騒動を突破し、いざ戻ろうとした時にゴブリンの少女であるナテラからプレゼントされた手作りの耳飾りだった。

 大我自身には耳飾りをつけるような習慣は無かったので、それが間違いなく似合うであろうティアへとプレゼントしたのだった。

 その時の彼女は、少し恥ずかしそうにしながらも静かにかつ心の中で強く喜び、それから度々付けるようになっていた。

 今日も朝食後はそれを着けていたのだが、左耳の分だけいつの間にか無くなっていた。

 ティアはその質問に、ちょっとだけ申し訳無さそうに視線を反らしつつ答える。


「ああこれ……実はね、今日は私もお昼ごはんの手伝いしたんだけど、ベーコン焼いてる途中にパチって油が跳ねちゃったの。それが運悪く耳飾りについちゃって……すぐには拭いたけどべたべたしたままだし、ちゃんと手入れし直すまでは着けるのはアレかなあって」


「そうだったのか……油っていつ跳ねるかわからないから怖いよな。俺も昔、学校の授業でいきなり跳ねた油に当たってさ、うわっ! ってなっさけねえ声あげてたな……」


 片側の耳飾りは、一旦拭き取った後で服の中に仕舞い込んでいたティア。

 洗うにも時間がなく、他の作業を優先して、外したまま至ったのであった。

 もし無くしたのなら全力で探そうと思っていた大我は、大事ではなかったことにほっと安堵し、思わず思い出話に花を咲かせていた。

 そんな他愛のない日常の風景。しかしそれも、エリックのちょっとした一言でほんのりと暗雲が立ち込める。


「そういえば、最近何か友達からこの辺りの変わったこととか聞かなかったかい?」


「いやあそこまでは……何かあったんですか?」


「それがなぁ……なんとなーーくなんだけど、ここ最近街の雰囲気が暗いというか重いというか。バレン・スフィアがあった時程ではないけど、それとも違うというか……うーん……」


「あなたも? この間フリルさんと話してたけど、あの人もなんだか身体が重いとか、気分が優れないとは言ってたわね」


 非常にざっくりとした物だが、アルフヘイム全体に感じている妙な違和感に言及するエリックとリアナ。

 今の所それに該当するような感覚は、大我もティアも街中ではあまり感じてはいなかった。

 だが、それに関係しているのではと思うことには、以前に霧の魔女へと立ち向かい、そして様々な相手と対峙してきた三人の中にはぼんやりと浮かんでいた。

 その中でも特に、エルフィは気の休まる食卓時というのに、いつものような軽口も発さず、やや険しげな表情を見せていた。


「またボアヘスの時のような騒ぎにならないといいんだけどねぇ。大方の復興は済んだとはいえ、あの時は本当に酷かったもんだ」


「そうねぇ……」


 同調の言葉を口にした直後、リアナはちらっと大我の方を向く。


「何かあったら、あの時みたいな無茶はしないようにね。またあんな大怪我しちゃったら……私達もそうだけど、ティアだって心配しちゃうもの。ね?」


「う、うん……」


 大我とエルフィの二人だけでバレン・スフィアに向かい、満身創痍で戻ってきた時の事を、少しだけ冗談めかして話題に上げるリアナ。

 空気が重くならない様に明るく口にしているが、その言葉自体はストレートな本心だろう。

 ティア自身もそれは同じ気持ちではある。が、今まで以上の戦いの場に意図せずとも身を投じるようになった彼女にも、それまでの大我の気持ちがわかるようになったのも事実。

 護るための戦いができるように強くなっておきたい。無理してでも大切に思う人々や場所のことは護りたい。

 それはかつての大我にも繋がるものがあった。

 だからティアは、無理をしないでと激情を発露したかつての自分を思い返しながら、強く否定するようなことは言わず、母の言葉に肯定寄りの複雑な笑いを大我に見せた。


「勿論だよ。さすがに死ぬような無茶はしないって…………たぶん。あの時、ティアにもこっぴどく怒られたしさ」


 『たぶん』と、濁す言葉を口にしながらも、全体として無理はしないと、明るい笑顔を見せながら約束する大我。

 ティアの心からの心配、あの時の悲しい表情は強く眼に、耳に、心に焼き付いている。

 だからこそ死んじゃいけない。そうならないために強くなる必要がある。

 それも大我の、今の強くなりたいという原動力の基盤のひとつでもあった。

 その言葉を聞いたティアは、ちょっとだけ心が救われたような気持ちになった。

 ほっとした暖かさを、マッシュポテトを掬ったスプーンに乗せて口に含むティア。

 大我達は少しずつ足音を大きくする、新たな大いなる災いのことなど知る由もないまま、楽しい食事を五人で一緒に口にした。

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