第220話

「滝行してる人、初めて間近で見た……」


 画面の向こう側や本の中でしか見ることのなかった、滝に打たれる修行僧のような姿を目の当たりにして思わずちょっとだけ放心する大我。

 それから間もなく、劾煉が視線を大我達の方へと向け、数秒ほど観察した後で声を向けた。


「何用だそこの二人! すまないが、此方へ近づいてもらえると有難い!」


 敵意や警戒をしているような声ではなく、遠くにいる二人へと気遣いが感じられる大きな声で意識を向けさせる劾煉。

 二人はその言葉通り、素直に走り近づいていった。


「すみません! あなたが劾煉さんですか!?」


 大我は滝の音が激しく聞こえづらいのではないかと思い、自分も声を張って初対面の質問をぶつけた。

 

「如何にも。それ程近づけば、大声を出す必要は無い」


 多くは話さずとも、この短い間で害意が無いことを感じることはできる。

 そして側には自身の知るゴブリン。さらには知らない「人間」。

 劾煉は固い表情を崩さないが、じっと大我を見つめた。


「今からそちらへ向かうが、数刻だけ後方を向いてもらえるだろうか。客人を前に肌着一つ纏わぬというのは、些か品位に欠けるのでな」


 まるで時代劇や仙人のような印象を受ける硬い言葉遣い。

 一体この人はどんな人物なのだろうかとも思いながら、二人は一旦真後ろを向いた。

 視界に写らない滝の方から、ばしゃんと水が跳ねるような音が聞こえる。それから間もなく、がさがさと枯れ葉がぶつかるような音が耳に入る。


「お待たせした」


 準備良しの合図を受け、二人は改めて近い場所にいることを感じられる劾煉の方を向く。

 彼の格好は上半身裸ながら、道着の下衣を思わせるような、少々使い込まれた様子の履き物というなんともワイルドさ溢れる様相だった。

 だがそれが、どこか荘厳な雰囲気を思わせる。


「…………ふむ、よもやこのような出会いがあるとはな」


 劾煉はじっと、振り向いた大我の顔を観察する。

 意味深な言葉を口にするが、その圧力すら感じそうなオーラに気圧される大我。


「あ、あの……」


「いや、語らずとも良い。大方、トガニ殿が拙を紹介したのだろう」


「それと、わ……僕が紹介したかったんです。この人は命の恩人で……」


「なるほど…………となれば、後方より感じる少々不愉快な気配も、その者の仲間ということか」


 それを聞いた二人が、同時に後ろを慌てて振り向く、

 その先にいたのは、こっそりと木の陰から大我達のことを覗いていたエルフィだった。


「待ってろって言われてたのについてきたのか……」


「……心遣い感謝する。だが、害意無き事が解っていれば問題ない。あの妖精……? とても言えば良いか。そちらも交えて話をしよう」


 細かな優しい対応が身にしみる。

 これでひとまずの問題はなくなったことに安堵し、大我は手で招き寄せるポーズを送り、エルフィに近づいてくるように合図を送った。

 それを見て、面倒事は無いと判断したエルフィはすぐさま飛んでいった。

 そして、二人と同じ距離まで近づいた時、驚きの顔を見せた。


「さて、まずは自己紹介といこう、我が名は劾煉。御覧の通り、修行と闘争ばかりの男だ」


「お、わ……自分は桐生大我って言います。それで、こっちはエルフィ」


「よ、よろしく……」


 敵意が無く威圧するような様子もことはわかっていても、御姿の雰囲気からどうしてもかしこまってしまう大我。

 そんな三人を、カンテロはすごいモノを見たようなわくわくとした表情で見つめていた。


「して、カンテロ、如何にして拙に紹介を」


「はい! 劾煉さん紹介すれば、二人の力になるかなと思って! お礼を考えた結果です!」


「…………カンテロ、少々この三人で話をしたい」


 カンテロはその言葉を素直に聞き入れ、一度その場を離れて小さな手作り感満載の、倒木を組み合わせて作られた小屋へと移動していった。


「…………さて、エルフィ殿…………だったか。拙に何か思うことがあるのではないか?」


「…………さすがにそれくらいは察せられてるよな。大我、この人、お前と同じ生身だ」


 大我の全身が驚愕の色に染まる。

 なんとなくそんな気がしたような、という曖昧な感覚こそあったが、世界のメタ視点を持つエルフィが言うならば間違いない。

 だが同時に、ゴブリン達やキメラの存在を過去に何度も知覚している分、理解不能とはならずに納得を抱くことができた。

 だが、ここまでの強者と思わせる肉体と武人の如き荘厳なオーラを得ることが出来るのかと、未だ驚きを隠せない。


「……あんたみたいな人がいるなんて知らなかった。むしろ、なんでいたのがわからなかったのか不思議なくらいだ。劾煉さん、あんた今までどんな風に生きてきたんだ?」


「……その前に、拙の問いに答えてもらおう。エルフィ殿、貴殿は拙や大我殿を生身と称したが、貴殿はそうではないのか?」


「驚いたな……アリア様がこの世界を造り直してから、まだこんな人がいたなんて。そうだ。俺達、今いる世界の住人は、ほぼ全員生身じゃない。金属で出来た機械なんだ」


 劾煉の目蓋が少しだけ険しく動く。少々の沈黙を流し、整理をつけたような唸り声を出した。


「そうか……合点がいった。エルフや人狼、人間達が近づく度にこの身に覚えた嫌悪の気はそれが原因だったのか」


「むしろ、俺はそれすら知らなかったことにビックリだよ」


「…………問いに答えた以上、こちらも義に応えねばなるまい。…………と、言いたいところだが、拙の過去は自身にも分からない」


「分からない…………?」


「うむ。拙は突然そこに在った。としか言いようがない。気づけば森の中に立っていた。周囲は荒れ、醜く食い荒らされたような跡と、小さくも醜悪な肉塊の痕があった。だが、拙の中にあるが拙のものではない、うっすらとした記憶も在る」


 二人はそれを聞いた瞬間、即座にぼやけた謎にピントが合った。

 その手がかりは、劾煉の出自の答えに直接繋がるもの。


「…………何か知っているのか?」


「知ってるも何も、それが答えだよ。突然そこに産まれたってのは。正確にはおそらく、元々別の何かだった生物が生まれ変わり、今の劾煉さんになったんだ。色々説明が必要なんだけどさ……」


「――――いや、もう良い。それだけ聞ければ充分だ」


 己の分からない出自を話す前は少々緊張に包まれていた表情だった劾煉だが、疑問を氷解させる直接的かつ革新的な道筋に予想外にたどり着けたことに、小さな笑顔を見せていた。

 完全なる信用こそしたわけではないが、トガニやカンテロが紹介したのならば、ある程度は信頼のおける人物なのだろう。話はあとできちんと聞けばいい。

 劾煉は大我達の用を尊重し、優先順位を譲る。


「詳細は後々聞かせて貰うとしよう。積もる話はこの様な場所で無くとも良い…………ふっ、まさかこんな何気ない巡り合わせが、内なる靄を晴らそうとはな」


「……気が晴れたのならよかった。思わず言っちゃったけど、生まれとかって結構繊細な問題だからさ」


「此度は拙の話をしにきた訳では無いだろうからな。して、こちらも何か期待に応えねばな」


 どこか早くも打ち解けられたような、空気が軽くなったようにも感じる。

 大我達は予想外の進展にちょっと明るい動揺をしながら、改めて流れの呼吸を整え、内心を落ち着かせてから話題を切り出した。

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