第136話

 何度も来たわけではないが、なんだか懐かしいと思える空間。エルフィにとっても久方ぶりの訪問。そして当然、女性にとっては初めて。

 生命に溢れた世界とは真逆な鋼鉄の世界に、女性は肉に宿った記憶を刺激されながら周囲を楽しそうに見渡した。


「すごい……こんなところが。それに、なんだか出会った人々と同じニオイがする」


「見当たらねえけど、前と同じパターンかこれ? どっかから現れるっていう」


「ここまで来る間に感知してるはずだから……」


 懐かしさすら覚えるな感覚を脳から沸き立たせる改めての非生物的な光景。静かな空間に唸るように響く機械音。命の気配の感じられない冷たい世界樹の中。

 あとはアリアの到着を待つのみ。彼女の本体であり一室であるが故にどこから出てくるかとどこにいるかもわからない。

 とりあえず女神がやってくるまでどうやって待っていようかなと考えていたその時、機器の音とは違うぺたぺたと小さな足音が聞こえてきた。

 三人は一斉にその方向へと顔を向ける。


「あの人は?」


「あいつが今の世界のまあ……神というかなんというか……?」


「俺の生みの親であり全世界を管理する中枢、アリア様……だ……?」


 ゆっくりと素足を動かして、一歩一歩三人のもとへと歩み寄っていく翠髪の包容力に溢れた女性。

 大我とエルフィが何度も見たその姿にちょっとした安心感を抱いた二人だったが、その様子にほんのちょっとした違和感を覚える,

 まず、微妙に歩くスピードがゆったりとしている。大我がその姿を見たのは数えるほどしかないが、その数回よりもどこか遅い。

 そして、おしとやかすら感じる柔らかく温和な笑顔を浮かべていた。

 アリアはもう少しはきはきとした雰囲気だったような記憶があるが、性格でも変えたのか。

 以前と印象の違う姿を振り撒きながら、彼女は三人の前へと現れた。


「なあエルフィ、あいつってあんなおっとりとした感じだったか?」


「いや、そんなんじゃなかったような……」


「あらぁ、こんにちは大我、エルフィ。そして……B.O.A.H.E.S.の一部かしら」


 雰囲気だけに収まっていたそのゆるりとした感じは、言葉にも表れていた。

 まさしくおっとりという言葉がそのまま当てはまるような様相。初対面の女性以外の二人、エルフィですら引っかかりを覚えた。


「B.O.A.H.E.S.……俺を知ってるんですか?」


「……ええ、ずっとず〜っと前だけど、あなたを産み出したのは私なの」


「ということは……私の母親?」


 アリアのゆったりとした喋りによって告げられた彼女の出生と、生みの親との出会い。

 返事を返すとき、どこか回答を作り出しているような妙な間が生じているが、アリアは彼女の中に生まれた疑問に逐一答えていった。


「つまり、私は本来は人間を殺す為に生まれて、私のような自我を持って生まれたのは本来あり得なかったってこと?」


「…………はい。兵器としての運用しか想定しておらず、ここまで生物としての独立は一切考えていませんでした。……だから、私はナノマシンにB.O.A.H.E.S.の肉片を排除するように組み込みました。……私の失敗作であり、環境への悪影響しか及ぼしませんでしたから」


「お前、分かれた存在とはいえ生み出した奴にそういうこと言うの相当やべーだろ」


「………………ああ、そういえばそうでしたね。配慮の足りない発言でした。ごめんなさい」


 流石にデリカシーのない言葉に対する大我の割り込みへの返答までに、まるで停止したような思考時間が入り込む。

 女性との会話にもそれは入り込んでいたが、今の間は明らかに長く、はっきりとした違和感を生み出した。


「ううん、それはうちもそれとなく思ってるから。あんな最悪なところ、二度と戻りなくないもの」


 女性の優しさと本音もあって、その発言は大きな問題にはならなかった。

 が、自分の身体にも言えることだということもあって、ちょっとだけ苦しさ入り混じる複雑な気持ちになった

 

「けど、ちくちくするのはそういうことだったんだ。本体から抜け出してから、ずっとなんだか身体中が痛くて……もう気持ち悪いったら」


「……排除機能が働いていますね。もし宜しければ、あなたの周囲だけナノマシンの機能を停止させるための装置を作ることもできますが、必要ですか?」


「出来るなら欲しいけど……いいのか? ぼくは分離したとはいえそのB.O.A.H.E.S.と変わらないはずだけど」


「――はい、あなたの無害性は既に確認していますから。大我さんを吸収しようとしたり、危害を加えなければ、この先も信頼しましょう」


 今の今まで大我を攻撃せず、そのように作ったわけではないのにきちんと意志疎通できている様。敵意の無い一連の行動。エルフィ内に存在している視覚データ。

 その全てを総合すると、敵意や害意が無いことを信頼せざるを得ない。B.O.A.H.E.S.である女性には後ろ盾のようなものはあるとは思えない。

 裸一貫だからこその信用が存在すると判断したアリアは、大我と同様にこの世界で暮らせる様になる為の施しを与えることにした。


「あれ、でもそういうことできる装置って今まで作っ」


「できました」


「はやっ!?」


 ナノマシンの根本部分に組み込まれたシステムへの対抗策となるアイテムを即座に作ってみせたアリア。

 いったいいつから、そしてどのタイミングから作成していたのか。床に穴が空き、そこからせり出した鉄柱に置かれた小さな金属の球体。

 ほんのちょっと警戒をしながらも、女性はそれを胸に押し当て、ずぶずぶと体内へと沈めていった。

 その直後、女性の表情は一気に明るくなった。


「――――!! 本当だ! 痛いのが無くなった! やったー!」


 所々の擬態が解けてしまう程の喜びを全身で表す女性。

 それ程にマナから与えられる痛みが煩わしかった様子が見て取れた。

 直後、まるでスイッチで切り替わったように動作が緩慢になり、その場でぐったりとし始めた。


「そ。そういえばエネルギー使い果たしてたんだったわ……はしゃぎすぎた……」


「そうだ、それを忘れてた。なあアリア、俺がこの間貰ったあのゴミクソウンコグミあったよな。あれってまだ残ってるのか?」


「ゴ、ゴミク……」


 どうしても加えずにはいられない罵倒を交えつつ、彼女にならばおそらく良質なエネルギー源となるのではないかという携行食について質問をぶつける。


「……はい。まだありますよ。もしかして、それを渡すんですか?」


「まあな。味とか関係なしに取り込むこともできるらしいし、それならちょうどいいんじゃないかと思って」


 道中でいくら木や動植物を取り込んでも補給しきれなかったエネルギーだが、大我が食したどうしようもなくまずい補給食ならばそれを補えるかもしれない。

 味を無視してそれを自分のものにできるならば、それは最高の効率ともなり得る。

 それを理解したアリアは、即座にグミの準備を始めた。


「二人共ありがとよ。やっぱり私の勘は間違ってなかった。どうなることかと思ったけど、本当にここに来てよかったよ」


 一時はどうなることかと思っていたが、まさしく神の施しによって新たなる生を繋ぎ止めることができた。

 例え敵であったもの、敵から生まれたものだとしても、襲ってさえこなければ手を差し伸べる。

 女性はただただ、この街で、この世界での偶然なる出会いに感謝するしかなかった。


「気にしないでください。心配になったら放っておけないだけなんで」


「こいつはそういうお人好しだからな」


「どうぞ、用意できましたよ」


 それから間もなく、ふよふよと運ばれてきた大量の黒い物体。

 たった一人で戦っていた大我を助け、一方で舌にトラウマを深く刻みつけた、救世主でありながら忌々しいグミ。

 パット見だけでも50個程度は見受けられる。


「ウェ……まだそんなにあったのかよ……」


「ほら大我、水飲みな」


 視線を反らしながら嘔吐き、エルフィに背中を擦られながらちびちびと空中に生成された水を飲み込む。

 その一方で、女性は用意された黒いグミの山に何かを感じ取ったのか、一滴二滴と思わず涎を垂らしてしまう。

 そして、両手で皿を作り、それを受け止めて身体に押し込み、直接体内へと吸収していった。

 女性の体表面が大きくうねる。そして、沈んでいた表情が今度ははつらつとした元気に満ちた笑顔と変わっていき、握り拳を作って飛び上がった。


「すごい! 身体中に力がみなぎってきた!! こんなの体感したことないわ! 生きててこんなに元気でいられたのなんて初めて!!」


 激しい動作の後で状態を反らし、ぎちぎちと顔や身体を無数の動物の身体をぐちゃぐちゃに混ぜたような姿へと変化させては、耳を劈くような鳴き声を発する。

 これまでの姿では、ただの異形の特殊能力を持つ人型の女性にしか見えなかったが、現在の様子から、はっきりと本質はB.O.A.H.E.S.なのだと悟らせられた。


「ふう……ありがとな皆さん。おかげで全身の気怠さが吹き飛びました。ようやく私として生きられます!」


 全身の冒涜的な変化を徐々に戻し、改めて人の姿を取り戻す女性。

 常に実質的な飢餓状態だった彼女も、もう手当たり次第に何かを取り込む必要もない。

 下手すれば、何か騒ぎを起こして殺されていた可能性すらあり得る。そうなる前にこの街に来れたことは、まさしく不幸中の幸いとしか言いようがなかった。


「そういえば、あなたは名前はあるのですか?」


「いえ、わたしには名前は無いんです。そういう余裕も無かったですし、呼ばれることもございませんでしたし」


「なら、ここで名前をつけたほうがいいんじゃないか? 流石にこのままだと、呼んだりするときにも困るし」


「そういやそうだな。いい機会だし、名前ぐらい」


「…………ラクシヴ」


 ぼそりと女性が一言つぶやいた。


「ラクシヴ? なんだそりゃ」


「わからない。けど、私の肉の中にあった記憶が混ざって、思わず呟いちゃったのかも」


「よし、じゃあそれを名前にしよう! あんたの名前はラクシヴで!」


 勢いに任せたように進言する大我。不思議とその押し切りに、女性は嫌な気持ちがしなかった。


「おいおいいいのかそれで? ぽっと出の言葉でさ」


「いいんだよ。その身体には、取り込んだ相手の記憶がいくつも混ざってるんだろ?」


「うん。自分で自由には引き出せないけど、時々そういうのは見えちゃうというか」


「………………なるほど。B.O.A.H.E.S.は実質、有機ストレージのようなものになっているのですね」


「それがら無意識に出てきたのなら、きっとそれが良いんだよ。自分の中にあるものに身を任せてみてもいいんじゃないか?」


「…………せやな。よし、私は、私の名前は今から『ラクシヴ』だ!」


 この世界に生まれた、人とも機械とも違う古くも新たな生命。

 その産声が今、改めて世界を繋ぎ止める大樹の中であげられた。

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