第119話 二つの進路 前
大我がベッドの上で寝込み続けてから三ヶ月程経過した頃のある朝。
ようやくリハビリに入れるかどうかという状態になった大我は、巻き付けていた包帯や固定具の量も減り、支え付きならばなんとか動けるというような状態になっていた。
「なあエルフィ、やっぱこれ大丈夫なのかすげー不安だって……」
「動けないよりはマシだろうよ。それに、移動するのは家の中だけだから事故の心配もないし、ここで落とす程度の腕は持ってねえから安心しろ」
「そういうと落としそうで怖いんだよな……」
拘束を解かれた、未だ身体中包帯だらけの大我は、エルフィの風魔法によって浮かせられ、周囲の壁や角にぶつからないようにと完璧なコントロールを施しながら、ゆっくりと廊下を経て一階までふわふわと降りていった。
「あら、ようやく出られたのね大我くん」
「おはようございますリアナさん……ちょっとエルフィに運んでもらって、食事を取っていこうかなって」
一階には、その日の朝食を今まさしく準備しているリアナが、出来上がったばかりの野菜と豚肉の煮込みと固めのパンを木皿の上に分け、テーブルの上へと用意していた。
その中には、大我が寝込む部屋に持っていく予定だったお盆も、ちゃんと用意されていた。
ベッドの中に入ってからはずっと、フローレンス家のだれか、主にティア、そしてエルフィに運んでもらうのがスタンダードになっていた。自分から運び出すのは本当に久しぶりのことである。
大我は木皿をいち早くお盆の上に乗せ、それを今までずっと無事だった右手を掴み持ち上げ、顔の前まで持ってきた。
「リアナさん、いつもいつも本当にありがとうございます。居候なのにずっと飯を食べさせてもらって」
「ふふっ、ありがと。でも、深くお礼を言う程のことでもないわ。まともに歩くことすらできない怪我人を外に放り出すなんて、そんな非道いことしたら冥界に落ちちゃうもの」
鍋の具材を掻き回しながら笑顔で応え、怪我人なんだからそんな細かいことをいちいち気にする必要は無いと、冗談交じりに本心を伝えるリアナ。
気遣いは無用だと言ってくれたことに、少し心が楽になったような気がした大我は、お盆を持ち上げて深く頭を下げ、そのままエルフィの風に頼り部屋に戻っていった。
「ああ……やっぱ、浮いてるのって慣れないな」
「そりゃ、丸腰で浮くなんて人間には出来なかったからな」
再度ベッドの上に戻り、仰向けになってぐったりと身体を沈める。
もう何ヶ月も一緒に過ごしてきたからか、なんだか故郷に帰ってきたような安心感さえ覚える。
「いつになったらまともに動けるんだろーな。一生このままなんじゃねえかって思えてきたわ」
「もうすぐリハビリに入れそうだから、それまで我慢しろ。そういや大我お前、骨折とかそっからのリハビリとかしたことあるのか?」
「…………いや、そういうのは無いな。けど、相当しんどいってのは何度も聞いたことある」
「実際かなり辛いぞ。俺自身やったわけじゃねえけど……耐えてくれよな。俺にはそれしか言えねえ」
「承知の上だよ。この先どうなるかは全然わからないけど、多分あの時よりはマシだと思う。早くみんなとも一緒に走り回りたいし、思いっきり動いて戦いたい。その為なら、やってやるさ」
フロルドゥスとの無限に続くとも思えた死力を尽くした戦いよりはマシ。
確証は無くともそう思える。そして、ティアやアリシア、ラント達とまた外に出たい。何気ない願望を抱き、大我は軽く煮込みのスープに浸けたパンを手に握った。
「その意気なら問題なさそうだな。だがもう一回言っとく。マ・ジ・で・きついからな? しんどいと思っても俺自身は手を貸せねえから、自分の力で頑張れよな」
無防備かついじっても問題ない部位である鼻をツンツンと突きながら、ちょっとしたい語気混じりの忠告を念入りにぶつけるエルフィ。
内心大我ならこの試練を乗り越えられると信じているし、折れないだろうと信頼している。
だがそれでも心配が尽きたわけではない。そんな照れ隠しが混じりながらも言説だった。
「わーかってるよ。さ、今日の飯としようぜ。ちょっと動いたら腹減ったよ」
「動かしたのは俺だろ! お前動いてねーだろ!」
「動かしただろー。ほら、このお盆」
「それ運動って言い張るの虚弱体質すぎんだろ!」
冗談を言い合う余裕もすっかりと蓄えられている。大きな心配が舞い込んでくることも無かった。
本当にあの二つの害が消え失せ、平和が戻ったんだなと、無意識ながらに改めて感じている二人。
少々薄めの味付けながら、しっかりと肉と野菜の出汁が染み込んだスープを吸い上げ、柔らかくなった部分のパンを齧り、もう間もなくと控えたリハビリまでの間、慣れたベッド生活をこれまで通りに過ごしていった。
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