第102話

 最も自分が嫌う姿へと10年間も留められ続け、外に出ることも戦うことできず紅絽に迷惑ばかりかけ続け、形になれば周囲一体を跡形もなく吹き飛ばしてしまいそうなほどに貯まりきった鬱憤を、全身に満ち渡らせぶち撒ける。

 もう俺を縛るものは何もない。絶叫の雷鳴を轟かせ、皆の方へと迫る者は飛びかかり、穿つような雷撃を放ち、迅怜はまさしく露払いの役目をこなしていった。


「やっぱあの役目を頼んで正解だったな。んで、クロエよ」


「わかってるわ。けど、まずはどれくらい効くか確かめないと」


 暴れっぷりを見てうんうんと納得するように頷いたあと、アレクシスはクロエへの指示を向けようとする。

 察しの良いクロエは既にその時には準備を終えており、周囲の地面は次第に凍りつき霜を作り出していた。


(…………思い出すと、とても嫌になるわね)


 ページを捲り、詠唱に指定した文言を唱える最中、クロエは自分がずっと飾られた人形のように過ごしていた時のことを回想する。

 自分の居場所である家の中で大好きな本に囲まれながらも、たった一冊にすら手を伸ばすことができない。

 今までのように身体も動かせずに目を開けたままで、晒されたままの肌や顔の上、眼球が埃被っても、たまに拭いた風に舞い上がっても、侵入してきた虫や蜘蛛が這っても何一つ抵抗できない。

 しかし、その時は何も感じることはなく、不快にも思わないしましてや喜ぶこともあり得なかった。ただそこにあるだけの無の状態。

 時折来てくれたルシールが世話をしてくれた時ですら、感謝の言葉も浮かばずただされるがままだった。

 だが今は、思い出すだけでも感情の濁流に流されそうな程に思うことがある。

 フロルドゥスの穢れによって情失症へと陥る以前のような、感情をうまく表に出せないクールビューティーの状態へと戻ったクロエは、詠唱を終えると本を閉じ、一言だけつぶやいた。


「無空より放たれよ、私の氷牙」


 直後、空中に無数の鋭利な氷柱が形を成していき、さながら弓兵の軍勢が矢を正面に構えたような様相を呈した。

 そして、クロエの目の前に現れた一つ。その裏側を人差し指でトンと押すと、それは一斉にB.O.A.H.E.S.めがけて放たれた。

 マシンガンのように撒かれるそれは射線上に立つ敵を貫き、一瞬にして全身を凍結させた。


「これで、アレがどう動くか……」


 下僕の排除は副産物。クロエの狙いは、B.O.A.H.E.S.本体が凍ることでどうなるか、という確認兼足止めの牽制だった。

 一撃一撃が肉塊の身体に深く食い込み、形を成した別生物の身体や頭部、四肢が貫かれる度にどろりと肉混じりの赤い液体が吹き出した。

 そして、突き刺さった場所を起点にB.O.A.H.E.S.の表面は凍り始め、その一部分の動作も緩慢になり始めた。

 凍結していない後部が激しく動く度にヒビが入り、これなら砕くことで倒すこともできるのではという希望を抱かせる。

 しかし直後、生物としては明らかに異常なペースで解凍が始まった。


「………そんな気はしてたけど、いくらなんでも早すぎるわね」


 凍結こそするものの、自身に降り掛かった異常に対する早すぎる代謝が全てを無効化させる。

 効かないのではなく、効く上で復帰する速度が異常なのだ。まさしく不死の存在に相応しい圧倒的な能力だった。

 だがそれを、クロエはチャンスだと捉えた。


「でも、効果があるならいける……あとは一気に凍らせられればだけど……」


 無効化されるのではなく、一分でも生物の動作を完全に止められるならば、それはとても大きなアドバンテージとなる。

 一つずつ勝利の道筋の礎となる材料が積み上がり、それは希望への足掛かりとなる。

 だがB.O.A.H.E.S.も、ただ攻撃を受け続けいるわけもなかった。


「⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛ァァァァァああああああああ!!!」


 行動を始める合図の異形の鳴き声。果たして次は何が来るのかと、その場にいる者は視線を集中させ身構える。

 肉塊をばら撒くか、槍を放つか、走り出すか、暴れるか、はたまた予想のつかない行動を繰り出し始めるか。

 その直後、B.O.A.H.E.S.は地面に固定していた無数の腕を前に動かし始め、エンジンがかかり始めたように次第に勢いを上げて真正面から突進し始めた。

 さらに同時に、再度生やされた触手をまるで鞭のように乱雑に振り回し、身体を磨り減らさんとばかりに大量の肉塊を上空と正面へとばら撒き始めた。

 まるで本格的に覚醒したかのように今までに放たれた行動が同時に動き出す。


「それがもう通る程、俺達は甘くねえ!!」


 だが、それに対して、対策を考えていないわけでない。

 アレクシスは両手を強く握りスレッジハンマーを作り出し、陥没するほどに豪快に地面を殴りつけた。

 直後、一瞬の地響きの後に、無数の壁が横並びにバリケードの如く突き出した。

 分厚く硬質な壁はタレットの弾のように発射される肉塊を一心に受け止め、へこみは開けども破壊するまでには至らず、アレクシス達にその拡散弾は届くことはなかった。

 その壁を乗り越える肉塊はエヴァンが対抗するように撃ち落とすが、その更に高空、放物線を描き速度を失いながらもアルフヘイムへと放たれる肉塊が、再び街へと降り注ごうとしていた。


「これ以上、僕の街に汚物を撒かせないよ。僕が住むに相応しい場所じゃ無くなっちゃうからね」


 あのような失態は二度も犯してなるものか。内なるプライドを燃え上がらせ、ミカエルは己が刃を眩く輝かせ、審判を思わせる雨に光の斬撃を撃ち放った。

 空に向かい一直線に消えていく光刃。一瞬の煌めきを見せた後、瞬く間に雨を粉々に斬り散らしていった。


「一度見たなら、二度も喰らわないよ」


「同感。本当は一回目でミスしちゃ駄目だったんだけどね」


 一歩間違えれば傲慢とも言えるであろう言い草に軽い返事を返し、シャーロットは上空に一本の矢を放つ。

 それから数秒後、粉々に砕け散った肉混じりの氷の粒が二人の側へと降り注いだ。


「でも、もうここは通さない。街の人々を守るのが私達の役目なんだから」


「ふっ、そうだね。醜悪な生物は決して皆に触れさせない」


 神伐隊には及ばないが、それでも自分達の実力とネフライト騎士団としての役目に自信とプライドがある。

 それを今ここで全うしてやろうと、二人は己の武器を構え、遅い来る災害へと眼光を鋭く保った。



* * *



 ついに大きく前進を始め、アレクシスが作り上げた巨大な壁に力づくの突進を仕掛けるB.O.A.H.E.S.。

 流石の土魔法の名手か、一応の詠唱を加えて創り出した即席の壁であるにも関わらず、超巨体の衝突に三度も耐えてみせた。

 だが壁は軋み、ぼろぼろと崩れ始め、残り一回か二回程度で崩壊するだろうという様相。

 クロエが壁の向こうから巨大な氷柱で貫き、エヴァンがナイフから火炎放射を放ち、強い足止めこそするものの、動作はすぐに回復する。

 最大のピンチではなくチャンスではある。だが、最後に至るまでの最後のピースがほんの少しだけ足りない。

 エヴァン達はその時が来るまで持ち堪え続ける。


「いやはや、まだ耐えられそうではあるが……こいつぁ本当に規格外だな」


「おそらく、これ以上に秘めたる力を持っていると思う。けど、それまでに決着をつける」


「ラント! まだ長時詠唱は解いてないな!」


「はい! まだまだ!」


 優勢ではある状況を保つ中、エミルは南門の向こう側へと視線を一度移し、不穏な気配を感じる。


「……まさか……!」


 ボロボロの状態ながら、剣を構えて臨戦態勢を整える。

 エミルの脳裏に浮かんだのは、そもそもの肉塊の特性。

 降り注ぎ街を破壊したことよりも、問題はその後。肉は地面にぶつかれば消えるのかと言われればそうではない。むしろ周囲を巻き込み、この場で散っていった者の死体を纏ったように更にたちが悪くなる。

 そして、人々が避難した後のもぬけの殻には、奴らの餌になるような物が確実に存在する。

 だとすれば、その後に起こるのは何か。その道筋はすぐに確信に変わった。


「やはり来たか……!」


 合体し大きくなったのか、木片やレンガ、家具や備え付けの武具を纏い現れた人型の肉塊が、南門の向こう、アルフヘイムの内側から無数に姿を現した。

 それに気づいたエヴァン達。その中でもアレクシスは心底面倒臭そうな顔を見せた。


「おいおいマジかよ。雑魚とはいえ、こんな状況で相手にしてられんぞ」


 予期せず挟み撃ちのようになり、僅かに形成が揺らぐ要素が出来てしまった。影響としては軽微でも、戦況が崩れるきっかけはどこから来るかわからない。


「あれらは私に任せてもらいます。皆さんはそちらに……ぐっ」


 身に貯まったダメージを押しながら立ち向かおうとするエミルだが、全力とは程遠くぶつかるにも危うい姿が見て取れる。

 ネフライト騎士団として、リリィ団長に大切な役割を任された者として、こんなところで醜態を晒すわけにはいかない。

 意地と根性で立ち上がろうとしたその時、アレクシスの壁の向こうから大きく回り込む二つの人影が、一直線にラントへと向かっていった。


「あの二人は……よかった、生きてたんだね」


「おいおい、あいつらまさか向こうの方でずっとやり合ってたってのか」


 一部始終を見ていたエヴァンと、後から参上し詳しく事情の知らないアレクシス。そしてその横でちょっとだけ驚いた顔を見せるクロエ。

 キメラ達の応酬を生き抜き、再起不能になることなく帰ってきた二人の人物。それは、エミルにとっても最高の報せだった。


「あれだけ倒してもまだいやがんのかよ。油多い煮込みみたいにしつけぇ奴等だな」


「よく頑張ってくれたなエミル。どうだ、いけるか」


「バーンズ……リリィ団長……!」


 真っ赤に染まるように全身に血を浴び、身につけた鎧は抉れ、欠けているような部分さえ見える。

 それでもその実力は、ただ暴走し暴れまわるだけのキメラには決して届かない。

 リリィとバーンズは当初の目的を果たし、ついに皆と合流した。

 さらにその次の瞬間、アルフヘイムの中から肉塊を焼き穿ちながら一本の矢が放たれた。

 風を形にしたように真っ直ぐ速く正確に射られたそれは、アレクシスの壁にピンと突き立った。


「ようやく来たか! 遅かったじゃないか!」


「ごめんごめん、ちょっと色々あってさ。お臨み通り連れてきた」


 しばらくの離脱を経て、激化する前線へと戻ってきたアリシア。

 その側には、自分が知る限りで最も氷魔法に長けているルシールが。そして更にもう一人、予想外の小さな助っ人の姿があった。


「助けが必要らしいから来てやったぜ! この俺、エルフィ様がな!」

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