第69話


 エルフィは右手を地面に向けつつ、聞き捨てならないその一節を聞き返す。

 確かに耳に入った、飼っているという言葉。おそらくそれはそのまんまの意味ではなく、その現状に当て嵌めた例えなのだろう。

 だがそれが示すのは、エヴァン率いる神伐隊、その実力者がバレン・スフィアの中に、そして、フロルドゥスの支配下に置かれているということ。

 僅かな時間だけ目撃できた膜の向こう側にいる大群。例え劣化していようとも、大我がそれと対峙することになっては危険性が跳ね上がる。

 フロルドゥスの表情は一切見えることはない。だが、ほんの僅かに漏れた悦びに満ちた小声が、下卑た笑みを浮かべているであろうことを想像させた。


『中に入ったまんまのあの人間。今頃どうなってるかしら。もう形すら保てなくたってたりして』


 その一瞬の反応と心配を抉るように、フロルドゥスはさらに煽り立てる。

 分断をされて以降、一度もその姿を確認することができていない。エルフィも目撃した亡者達の大群。戦いの経験が薄い大我ならば、たった今ぶつけられた通り既に小さな綻びをきっかけに絶命に至ってもおかしくはない。

 不安、動揺、悲観を呼び寄せる材料をいくつも用意し、重箱の隅を突くように攻めたてる。


『あーあ、せっかくの化石みたいな生き残りなのに、死んじゃったらあんたの神に合わせる顔も無いわね。自分で滅ぼしておいて自分勝手に悲しんで、いざ生き残ったら過保護に護り、かと思えば自分達で解決できない問題を押し付ける。神様って、こんなに我儘でも許されるのね。既に絶滅したと思ってた人間がたった一人だけ運良く生き残って、そんな貴重品が死んだなんて、目も当てられないわね。今頃バラバラになってるかしら? それとも串刺し? 矢の的? あっはは』


 ここまで言えば、さらに慌てふためきその身を崩し始めるだろうという思惑が透けて見える追い打ちをここぞとばかりに叩き込んでいく。

 今頃その表情は揺れ動き、平静を保つことすらできない程に心乱されているだろうと期待を抱いて、僅かな間を作る。

 さあ、喚け、歪み、悶えろ。苦慮に乱されろ。授けられた使命に喰い潰されろ。それこそが果実の甘味にも勝る極上の愉悦になる。

 如何なる応えを示すのか、絶苦に苛まれる姿を期待し待ち受けるフロルドゥス。

 しかし、その後に返された反応は、下卑た思惑とは全く違うものだった。


「――ありがとよ。それを聞いて、むしろほっとしたぜ!」


 その声は動揺すらしていない。却って迷いや憑き物が取れたかのようや元気な声だった。

 直後、エルフィは下ろしていた右手を輝かせ、強く握り拳を作る。そして、振り下ろすようにして、光弾をその直下、地面へと思いっきり叩き放った。

 光弾の直撃点を中心に、裂け目を表すように地表へ走る光。そして、唸るようや地響きを合図に、無数のアンデッド達を巻き込んだ地割れを引き起こした。

 固い地面に亀裂が走り、足場を崩して砕き割れる。稚拙な制御を以て保たれていたバランスは次々に崩れていき、裂け目へと巻き込まれたアンデッドの足は潰れ歪み、多数の敵を、実質的な戦闘不能状態へと持ち込んだ。


「お前のことだ。もし死んだんだったら、そんな勿体ぶったこと言わないで煽りまくるよな。死にかけても、今の煽り様ならボロボロの姿見せて動揺させるんだろうよ。それもしないんだったら、まだまだあいつは無事だってことだ」


 当然ながら、このエルフィの発言も憶測と傾向からの予測で塗り固められたはっきりとした根拠の無いもの。

 これまでの言動は、事細かに犠牲者の詳細な情報と事実を集め、それを面白おかしく感情を煽るための道具として扱うものだった。囁くようにずっと語りかけてきた数。その傾向を探るサンプルとしては充分なものだろう。

 だが、圧倒的な優位である状況のままに細かな綻びを突き崩され、確認のできない現状を淡々と示されれば容易にひっくり返される。

 これは自身を鼓舞するための燃料かつ、不利な駆け引きでもあった。


「俺はあいつのことをまだ大して知らない。勝手に巻き込んだとか言われても否定できない。この戦いも、あいつも自分で行きたいとは言ったけど、半ば強制したような誘導になってたって突かれれば言い返せねえ。だからこそ最後まで責任は持たなきゃいけねえんだ。その為に俺は造られた。大我をどこまでも手助けするために。今はあいつのそばでの助けにはなれてねえけど、ちゃんと生きてるなら、せめてこいつらが近寄らないようにはしないとな!」


 半ばから元気の混じったような強気の声。巻き込んでいることへの正当化をするような言説も混じりつつ、しかしそれでかつ側にいて手助けをするという組み込まれた使命。

 今できることを、エルフィ自身の力で遂行する。この状況、たった二人でどこまで行けるのかわからない。

 どこかのチャンスで外部へのヘルプも送れないかと、一瞬でも雰囲気がエルフィへと傾いたこの時に鈍っていた思考を巡らせ、少しでも事態を好転させるための策を練る。

 全体で見ればほんの小さな押し返し。だがちょっとした亀裂から崩れることもある。

 エルフィはアンデッド達の地盤を崩したこの時を逃さず、必死に考え始めた。

 そんな希望を与えられたような様子を、一言も返さずにつまらなさそうに眺めるフロルドゥス。

 バレン・スフィアの膜から聞こえた溜息は、追い詰められてればよかったものを、立ち直りやがってという黒い感情が込められていた。


『つっまんないわね。けど、そんな希望を抱けるほどいい状況でもないんだけど』


 この世界でたった一人、内部と外部それぞれを観察し眺めることのできるフロルドゥス。

 エルフィへとちょっかいを出したその次は、まるで適当なチャンネルへ変えるように、黒翼のワルキューレと対峙する大我の方へと視線を移した。

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