第60話

 大我達が山を登り始めたその頃、未だ蠢き不浄な雰囲気を醸し出す砂嵐のような黒色の球体、バレン・スフィアの前に一人の女性の姿があった。

 その姿は、首を180度回転させられており、虚ろな瞳で常に口をぱくぱくと動かしてはノイズの含んだ電子音を呟いている。

 衣服は既にぼろぼろで、両腕は力なくぶらぶらと、両足は常にふらふらと地面に芯が通らず、まるで壊れかけの操り人形のような様相を呈していた。


「そんな仲介通さなくても、直接話してくれればいいのに」


 バレン・スフィアから一人の女性の声が聞こえた。その声の雰囲気や感覚からすると、人間で言えば二十歳前後のようにも感じられる。


「だって、近づイたらなにさレるかワかンナいでしょ」


 壊れかけの女性の口から、ノイズ混じりの他者の声が発される。

 口の動作とその喋る内容は一ミリも合っておらず、まさしくスピーカーとして使われていることを指し示していた。


「信用ないのね。傷ついちゃうわ」


「そんナコと微塵も思っテナいくせにぃ」


「あら、バレた? 私と対等になれる者なんて、神以外いないもの。あんただって、そこらにいるのと変わんないんだから。あっ、せっかくだから、あんたの力全部私に頂戴? どうせ宝の持ち腐れでしょ?」


「いやよ。欲張りすぎナイで。ソういエば、エヴァンがアナたの穢れを自力で解いタミたいだけど」


「こっちでも確認してるわ。雑魚の分際で生意気だけど、どうせ徒労。いくら私に挑んでも勝つことはありえないわ」


「そウ、じゃアモう行くかラね。ああそれと」


「何よ」


「桐生大我が今そっチに向カってル。そレだけは覚エテてね。あと、コノ身体は偶然見ツけたダケだかラ好きに使っテイいよフロルドゥス」


 その言葉を最期に、ふらふらと辛うじて立つことができていた壊れかけの女性の身体は、ガシャンと音をたててその場に崩れ落ちた。

 電子音混じりの呻き声を上げながら、ずるずると身体を引きずりバレン・スフィアの中へと向かおうとする。


「まったく、私の能力はゴミ捨て場じゃないのよ」


 姿は表さないままであっても、若干の苛立ちを感じられるような重い声で、フロルドゥスは絶えず蠢く穢れの塊を動かし、アンデッドさながらである女性の身体を覆い尽くす。

 その瞬間、全身を震わせながら悲鳴を上げ、両手両足が暴れ始めた。


「桐生大我……この世界唯一の人間。まあ、根絶やしにされた程度の種なんて、私の敵じゃないでしょ」


 激しくのたうち回る姿に、まるで慣れているかのように一片の興味も示さないフロルドゥス。

 その興味の殆どは、たった今告げられた『人間』の桐生大我へと移っていた。

 何千年も前に絶滅したはずの種族。それが今、時を越えてたった一人蘇った。

 その存在は知っていたし、殺してはならないという命令も受けていた。だが、こんな脆弱な種にそんな情けをかける必要はあるのだろうか。

 今こちらへと向かってきているということなら、そんな存在を玩具にするという贅沢な遊びをするのも悪くないだろう。自分が負ける要因など万に一つもないのだから。

 フロルドゥスはそんな命知らずが来る時を、今か今かと待ち受けていた。


「さあて、どこまで痛めつけてあげようかしら」



* * *



 すっかりと日が昇り、爽やかな朝の模様が作り出された青空の下。

 大我はコールドスリープから目覚めてすぐに歩き登って以来の、樫ノ山の上を歩いていった。

 極端なまでに体力が落ちていた頃とは全く違い、しばらくの間陽射しの下を歩いても座り込みたい程に疲れるということもない。

 むしろ自分が本来生きていた時代よりも遥かに楽に歩けていた。


「どうした大我? 疲れたのか?」


「いや、そういうわけじゃねえけど……ここで体力使うのはまずいんじゃねえかなって」


 しかし、今この時は徒歩に余裕があるかどうかは問題ではない。今の自分の体力の最大量もはっきりと把握していないため、うっかり到着するまでに疲れはててしまっている可能性も考えられる。

 身体を慣らすということも大事だが、戦うまでにフラフラになっては元も子もない。その為のアリアから貰った食料でもあるが、今後のことも考えて消費は抑えておきたい。

 そのような考えもあり、大我は一旦岩の上で休憩することにした。


「一回この辺りを見渡す為に登ったときとか、ずっと前よりもすっごい楽だった。まだ疲れてもないしむしろ足が解れてきた。けどさ、頂上までもうしばらくかかるし、もしそっからバレン・スフィアに着くまでにぐったりしてたらやばいんじゃねえかなって」


「うーん確かに」


 エルフィは空中で両腕と足を組み、くるくる回りながら唸り声をあげて考え込む。

 未知の敵との対峙ならば、不安要素は少なくしておいたほうがいい。無茶だと知っていてもそれに付き合ったならば、それに協力する必要がある。

 時計の針が回るような動きで思考を巡らせ、そして一つのアイデアが浮かび上がった。


「そうだ大我、飛ぶか?」


「……飛ぶ??」


「おう、飛ぶ」


 大我は一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 今の世界ならばそれ程不思議なことでもないのかもしれないが、敵との対峙以外でたいして魔法に触れたことがあんまり無い大我には、まるで突如バンジージャンプを要求されたかのような唐突さを感じていた。


「どうやって? 魔法で?」


「おう、風魔法で。俺が言うのもアレだけど、結構快適だぞ」


「イメージをちょっと教えてくれ」


「そうだな、全身に風を纏って地面から浮いて、そのままかっ飛んでく感じかな。俺が全部操作するから、大我は力抜いてても問題ないぞ」


 その一言で、軽快に風に乗るサーフィンのようなグライダーのようなイメージが、それなりにふんわりと浮かび上がってきた。

 だがそれを生身で行うという部分にはいまいち派生してこない。以前巨大なカーススケルトンに頭突きで吹き飛ばされた際、ティアの助けで風に巻き上げられた時のような感覚だろうかと、これまでの経験から想像し、それならば無駄な消費は少なくて済むかもしれないとその案に乗ることにした。

 

「よし。じゃあそれで頼む」 


「おっしゃ、じゃあちょっと屈んでろよ」

 

 了承を聞いたエルフィは、早速その準備のために大我の肩へと乗っかり、両手をかざして大我には何と喋っているのか聞き取れない呪文を唱え始めた。

 耳を澄ましてじっくり聞いてみても、どこのどんな言語なのかもわからない。少なくとも英語のような外国語には聞こえない。

 そんなハテナを解消しようとしているうちに、大我の周囲の枯れ葉や土が少しずつ巻き上がり始める。

 竜巻のような乱暴な巻き込みではなく、そよ風の結晶のような優しい風の吹き上がり。無理矢理押し上げられるような力づくの感覚は無いままに、大我の足元は地面との隙間を作りゆっくりと息で吹き上げるボールの如く浮き始めた。


「うわっと!? ま、マジかよ!」


 実際には体感したことのなかった、重力を感じながら水の中でふわふわしているような奇妙で愉快な感覚。

 これから戦いにいくということはわかっているが、それでもどこか内心ワクワクとした感情が湧き上がってきた。


「大我、前屈みになれ」


「こうか?」


「よっしゃ、行くぞ!」


 エルフィの指示通りの姿勢を取り、視線を正面に向ける。

 それを合図に、大我の身体は土埃を上げてツバメの如く地面すれすれと滑空し、走るよりも速く山を登っていった。


「うおおおおっ!? ち、ちょっと待て!! おおおあああ!!」


 心の準備はしていたが、予想よりも速く、さらに飛んでいるという言葉そのまんまの状態に突入したことに思わず慌ててしまい、尖った岩の上で一本足で立っているように身体が前後左右に揺れては、地に足つかない奇妙な感覚となんとか擦り合わせて体勢を整えた。


「地面にはぶつからないように調整するから安心しろ!」


「そういう問題じゃねえ! うおわあああ!!」


 坂を登り、木々をすり抜け、不安定な道を飛び越え、しばらく進み空へと近づくうちにようやく慣れ始め落ち着いた大我。

 少しだけ膝を曲げた姿勢のまま足先が地を付かないギリギリを飛び、そのまま山頂を目指す。


「やっと慣れてきた……」


「どうよ、風に乗ってる気分は」


「無駄に体力使っちまったよ……使わないようにって話だったのに」


「けど、今はそれなりに楽だろ」


「まあな。それに結構気持ちいい」


 風に包まれ大自然を飛ぶその姿は、まさしくファンタジー世界に飛び込んでいるようだと、得も言われぬ体験と開放感をその身に味わう大我。

 それらは本当に魔法のような不思議な力ではなく、超科学的に造られたものだとしても、今体感しているこの非現実的な高揚感は紛れもない本当の感覚。

 その心と共に体感したものに魔法も科学も関係ない。今そこにあるのならば、それが重要なんだと、その道中で感じ取った。


「もうすぐ頂上だぞ大我」


「おう。そしたら見えるか? バレン・スフィア」


「はっきりと嫌なくらいにな」


 その口振りから、実はそこまで遠い距離では無かったりするのではないかと、実物を目撃していない大我は想像する。

 そうこうしているうちに、風を纏い飛んでいく大我は間もなく、道の終わりを目の当たりにする。

 そして、ついに大我とエルフィは、付いた勢いをそのままに頂上を飛び越え、切り立った崖から勢い良く飛び出していった。


「――――あれか……!」


「ああ。あれがバレン・スフィアだ」


 広大に広がる深緑の景色の先、その一部分に映し出された、まるで抉り取られたように孤立したまっさらな大地。

 その後方に、黒い紋様が常に絶えず蠢く異常なまでに巨大なドーム状の球体空間『バレン・スフィア』がはっきりとその姿を現した。

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