第59話

 ユグドラシルから外へと出た大我。空の色は朝を表す鮮やかな水色になり、人々の行き交いも増え始めた。

 大我は南門までの道を、周囲の街並みをしっかりと目に焼き付けながら歩く。まるで最後の思い出を心に刻む様に。

 そして、二人は南門をくぐり、バレン・スフィアまでの長い道を進み始めた。


「なあ大我、少しいいか」


 無言のまま歩き続けていたその道中、ずっと疑問を懐き続けていたエルフィが、この道程の間にそれを解消しようと話しかける。


「なんだよエルフィ」


「なんだっていきなり、バレン・スフィアに向かおうと思ったんだ」


「さっき言ったろ。俺はもうあんな惨い光景が広がるのは耐えられないし、今が一番いい……」


「そういうことじゃない。なんつーか、まだ言ってない理由があるんだろ。そんな気がする」


「…………あんまり一緒に過ごしてもないのに、勘がいいな」


「なにいってんだ。俺は最近出会ったけどずっと過ごしてきただろ」


 大我はそういえばと、エルフィの身体は自分がずっと所持していた携帯端末の部品とデータが組み込まれていることを思い出した。

 所謂物に魂が宿るというものなのか、それともその前情報からそう感じているだけか、どこか会話や対話以上の何かから通じ合っているような感覚があった。


「実際、最初に言った理由が殆どだよ。クロエさんやグレイスさんの姿が、俺には耐えられなかった。姿は見なかったけど、たぶん迅怜さんもそういうことになってるんだろうと思う」


 大我が語り始めた、行動に移した大元の理由。

 エヴァンと共に目撃した、強く焼き付いたその凄惨な光景。当時も今も、それが胸の中でこびりつく。


「まだあそこだけで済んでるからまだ……いや、良くない。バレン・スフィアだって、いつまでも止まってるわけがない。いつか街のみんながあんなことになったら、ティアが、その両親が、ラントが、アリシアが、ルシールやセレナが、俺が今まで会ってきた人達が苦しみ始めたら俺は耐えられない。身近な誰かを失うのはもう、ましてやなぶり殺しになるようなのはもっと嫌なんだ」


 大我の中に蘇るのは、突如壊された日常、逃げ惑う人々、共に同じ方向を走る中で消し飛び、斬られ、貫かれた人々。そして、自分を残していった両親。

 バレン・スフィアが残されたままであれば、その二の舞になってしまうのかもしれない。

 そんなものはもう二度と見たくない。見知らぬ自分を助けてくれたティアやアリシア、どこの誰かもわからないのに住まわせてくれたティアの両親。

 まだ短い間だとしても、下手すれば死にかけていたところを助けてくれた恩は忘れない。そんななんの罪も無い優しい人達が壊れてしまう姿など見たくない。

 それがここ数日の大我の心の中で燻り、バレン・スフィアへと向かう決意を確固たるものにした。

 

「なるほどな」


 これまでの傾向から、エルフィはこの動機をそれなりに予測はしていた。だがここまで強い情念を抱いていたことは予想外だった。

 

「なあ大我。お前、前からお人好しって言われたことなかったか」

 

「よくわかったな」


「見てりゃわかるよ」


 おそらく大我は、誰かが目の前で不幸になるのが放っておけない質なのだろう。

 しかし、その傾向から特に強いようにも感じられる。いつかそのせいで身を滅ぼしてしまいそうな程に。

 その不安が、以前からエルフィの中で芽生え始めていた。

 まだ無力な一般市民だった頃ならまだしも、今この時は女神アリアによる肉体強化を施され、エルフィというサポートも存在している。

 確固たる力を身に着けた大我は、せっかく超常的なまでの豪運を以って生き残った自分の身を放り出してでも、誰かのために足を踏み出す可能性も考えられた。

 その不穏さもあり、不安材料がいくつも残されているバレン・スフィアまでの道程にエルフィは強い胸騒ぎを覚えていた。


「何回か言われたことはあるよ。んなわけねえだろってその度言ってたけど、こんなところでまで言われると本当にそうなのかもな」


「自覚なかったのかよ」


「そうは思えなかっただけだよ」


「はぁ……ったく、世話が焼けるやつだなほんと」


「悪かったなエルフィ。んじゃ、そういう分ちゃんと手伝ってくれよ」


「はいはい言われなくても! ……けど、無理だけはするなよ」


「わかってるよ。……できればな」


「なんか言ったか」


「いーや、なんにも」


 二人だけの道中、風に揺れる木々の音と大我の足音、そしてふたりの会話だけが耳に入る。

 一歩一歩進む度に、緊張と未知への恐怖が少しずつ高まっていく。それを紛らわすかのように、二人の会話は続けられる。


「それにさ、昨日ティアと話してたときの答え、ずっと見つからなかったんだよな」


「なにがだ?」


「ほら、俺の願いって奴。考えようにも、俺以外全部なくなっちまったからな」


「ああ……うん」


 内容の暗さを隠すような明るい声で話すが、その人間世界の滅亡を働いたのは、紛れもなくエルフィの親であるアリアである。

 それを自覚しているエルフィは、少しだけ気まずい気分になった。


「これといった望みとか夢とかはなかったんだけどさ、ちょっとしたのならあったかなって。あそこに行きたいとか、何を見たかったなーなんての」


「たとえば?」


「カルロスJrってバーガー屋がさ、こっちで開店するってニュースがあったんだよ。割と先の話でさ、けど建物に貼ってあったハンバーガーがすっげえうまそうでさ。友達と一緒に行こうって思って誘ったんだ。そしたらお前急ぎすぎとか言われちゃってさ」


「それ、どれくらい先だったんだ?」


「確か一ヶ月くらいだったっけ……」


「早すぎんだろ! そりゃ気が早いって言われるわ」


「だってそういうとこっていきなり行列できるしさ。あとは海にも行きたかったな。前から誘われてたけど、その度こっちの都合と合わなくて、仕方なく断ってたんだよ。で、ようやくタイミングが合ったから一緒に行こうって」


 これから死地へ向かうというまでの間、大我とエルフィは何千年も前の昔話で盛り上がった。

 遥か昔の過去の日常を楽しそうに語る大我。それを脳内のデータベースと重ねながら相槌とツッコミを入れつつ聞く。

 それが続く度に、エルフィの中で謝罪の念が少しずつ強まっていった。

 話が続く度にいやという程わかる。大我がなんの変哲もない、特別な力もない一般人だったという事実。そんな未来ある日常を自分達が壊してしまったという過去。

 今更それを変えることはできない。ならば、せめてこの世界での生を可能な限りサポートしよう。新しい生を満喫させてあげようと、エルフィは大我に付き添う意思をもう一段階強固なものにした。

 そして二人は、バレン・スフィアへ向かう為、森の中を抜け、現オルデア山と名付けられたかつての樫ノ山に足を踏み入れ登り始めた。

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