7章 この拳は何を穿つために

第57話

 エヴァン達と共にバレン・スフィアへと向かった神伐隊の末路を目の当たりにした次の日の早朝。未だ朝の日差しが出切っていない頃に、大我は今までに無いほどのクリアな目覚めで起き上がった。

 両手で顔を覆って拭い、大きく息を吸って吐き、ベッドから抜け出して覚えてる限りの柔軟体操で全身を解す。

 床が足で擦れる音や、身体を伸ばし溜まった声を出してを繰り返していると、眠ったままだったエルフィも目を覚ました。

 いつにも早い起床に少しだけ驚きながら、エルフィは欠伸をしながらふらふらと大我の方へ飛んでいく。


「どうしたんだよ大我、こんな朝早く」


「ああ、おはようエルフィ。もう少し身体慣らしてから、ちょっとあの神様のとこに行くぞ」


「アリア様のとこに?」


 突拍子も無い大我の行動に少々疑問を抱きながら、とりあえずはその通りについていこうとエルフィは従った。

 ひとまずの準備運動を終え、新しい服へと着替えると、今度は机の引き出しから取り出した一枚の紙に、文字を一つ一つ思い出しながら何かのメッセージを書き記していく。


「何書いてんだ?」


「おっと、エルフィは見るなよ」


「なんだよー、俺が文章添削してやるからさ」


「うっせえ。とにかく見るなよ」


「はいはい」


 書いていることの中身は気になるが、そこまで嫌がるならとその意思を尊重し、反対側を向いて確実に見ないようにした。

 その紙にたどたどしい文章を書き終えると、大我はそれを伏せるようにしてベッドの上に置き、今度は部屋の整理整頓を進める。

 元々それなりに片付いていたため、たいしてその時間はかからなかった、

 そして、一通りのことを終えると、ティアやその両親を起こさないように音を立てないようにしながら玄関まで向かい、外へと飛び出した。


「あら、おはよう大我くん。こんな朝にどうしたの?」


「あ、リアナさん……どうも」


 その時、予想外にも起床していたリアナと遭遇してしまう。

 リアナは朝食やエリックのための準備、掃除など、夫や娘が眠っている間にも、家族のために静かに頑張っていた。


「…………これからちょっと、外に出てきます。何日か帰ってこないかもしれないですけど、絶対帰ってきます」


「…………そう、頑張ってね」


 少しの詰まるような合間を置き、大雑把な用件と共に意味深な宣言を付け加える。

 リアナは何かを察したのか、多くは語らずに柔らかく優しい母性に満ちた笑顔を向けた。

 まるでそれは、去っていく者を送り出すかのように。


「それと、もし何日も帰ってこなかったら、俺がいた部屋に手紙を残してますから、それを見てください」


 その大我の表情は、どこか遠いモノを見ているような気がした。

 二人のやり取りが進むに連れ、だんだんエルフィの中にもやもやとした感情が募り始める。


「ええ、わかったわ。気をつけてね」


 大我は深々と頭を下げて背を向け、そのままユグドラシルへと向かっていった。

 その大きな物を背負っているように見えた後姿に、リアナは小さく手を振って見送った。

 綺麗なグラデーションのような暗く澄んだ蒼天。大我はその空の下、周囲の街並みを目に焼き付けるように見渡しながら、一歩一歩ユグドラシルへの道を進めていった。


「なあ大我、さっき言ってたのって一体どういうことなんだよ。なんかまるで、死ににいくみたいじゃんか」


 手紙を書き記している時から僅かに感じていた不安。それはつい先程のリアナとのやり取りでほぼ確信に変わった。

 どこか達観しているような、先の未来と見通しているような静かな雰囲気にも違和感を覚える。


「――かもしれないな」


「かもしれないって、お前」


「本当に死ぬ気はねえよ。ユグドラシルに着いたら話す」


 後に後にその理由の説明を先延ばしされるエルフィ。大我の声はやけに落ち着いている。

 その裏にどんな感情がこめられているのかはわからないが、後でちゃんと説明してくれるのならと、エルフィは大人しくそれに従った。


* * *


 しばらくの間を歩き、到着した三度目のユグドラシル内部。

 何度見てもその巨大な樹の外観と、無機質極まる内部の様相のギャップには慣れる気がしない。

 金属部品で組み立てられたその冷たい空間を歩く度に、自分の足音がクリアに響き渡る。

 天に突き刺さるような金属の塔がそびえ立つ場所へと足を踏み入れると、清純を形にしたような透き通る衣装を着飾ったアリアが、二人を出迎えるようにやってきた。


「おはようございます、大我さん。こんな早朝にどうしました?」


 受付嬢ロボットのようなとても綺麗な一礼と共に出迎えの挨拶を向けるアリア。

 その正体を知っているとはいえ、この世界の神様にそのような丁寧が過ぎる姿勢を向けられると、どこかむず痒い感覚を覚える。

 大我へ向けた一言から考えるに、どうやらアリア自身もその少年がやってきた理由は知らないらしい。


「頼みがあって来たんだ。この間のスプレーのことを思い出してさ」


 大我の言うスプレーとは、以前何千年ぶりの激しい運動の後で悩まされた筋肉痛を和らげる手段として渡してもらったスプレー型の湿布のことである。

 大我はこれから初めようとしているある大事のための下準備として、絶対的に必要となる条件の一つを満たしてくれるだろうという推測を立て、こうしてアリアの下へと訪れた。


「頼みとは……?」


「なんで言やあいいんだろ。なんかこう、すぐにエネルギーを補充できる食べ物みたいな携行食というか、そういうのってあったりしないか?」


「ありますよ。正確にはすぐに作れるというものですが……酷く不味いですよ?」


「どれくらい?」


「具体的に言ってしまうと……腐ってドロドロになった生ゴミとヘドロをとことん煮詰めて、それを視覚的にも悪臭を幻視しそうになる程の汚水と共に流し込んだような味ですね」


「きっっっっつ」


 本当に具体的に示された凄まじい汚物としか言いようがない無い内容に、大我は思わず反射的に吐き気を催してしまった。


「元々は量産兵士として製造した生物兵器のエネルギー補給として造ったもので、道具として扱うならば味を気にする必要は無いと効率を重視したのですが、一度食して以降は受け付けなくなってしまい……その為、効果を十分の一にして味も付加したバージョンも製作しました。しかしその頃には、機械兵を製造した方が早いと判断して、結局凍結しました」


「ああ……聞かなきゃよかったかな」


 自分が要求したその道具の由来を聞き、心臓にのしかかるような不快感とも違う奇妙な感覚を覚える大我。

 人間を滅ぼす為に造られた兵の為に作られた道具を、何の因果か自分が求めることになるという不思議な円環。大我は何千年という年月から成る奇妙な繋がりに、運命に近い何かを感じざるを得なかった。


「ところで、大我さんはそれを持って何をする気なのですか?」


「俺もそれが気になってたんですよアリア様。こいつ、ずっと道中でも何も言ってくれないしで、ここで話すとは言ってたけど」


 二人からの質問に、大我はたじろぐことなく息を飲む。

 そして、ずっとその内に溜め込んでいた、ここまで来た理由をついに口にした。


「俺は――――これからバレン・スフィアへ向かう。俺が潰しに行く」

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