第23話 “っぽいもの”であっても見ることができたら(「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」)

 マークシートを塗りつぶすのが苦手だ。

 枠ぎりぎりまで塗ろうとしてもはみ出して、線ぎりぎりまで消しゴムをかけようとすると、塗ったばかりの楕円を消してしまうから。

 設問は、試験時間の半分で解くことができた。残りの半分の時間で解答を見直して、マークシートを塗り直す。

 マークシートを正しく読み取ってもらえれば、合格ラインである100点満点中60点を超えるだろう。



 ――本日の試験、おつかれさまでした。

 試験官の挨拶の後、受験者数達は吐き出されるように会場を後にする。

 9月上旬の日曜日、世界遺産検定の試験は無事に終了した。

 合否が通知されるのは約1か月後。ウェブではもう少し早く結果を見ることができる。

 うう、待っている間がじれったい。



 人の波の中で、彼の背中が見えた。

 受験番号が離れていたらしく同じ部屋ではなかったが、彼も途中退室せずに最後までねばっていたらしい。

「おつかれさまです」

 近づいて声をかけると、彼も「おつかれさまです」と返してくれた。

「白河さんも最後までいたんですね」

「そうなんです。マークシートを塗るのが苦手で」

「わかります、わかります。はみ出しちゃうんですよね」

 彼もそうなのか。マークシートに関しても“同志”だった。

「この後、予定あります?」

 訊かれ、私は「ないです」と答えた。

「打ち上げ、やりませんか? ふたりきりですけど」

「いいですねー、やりますか」

「やりますか」

 “同志”の打ち上げ。嬉しいけれど、少しもやもやする。

 彼は真面目で丁寧な人だ。

 でも、そろそろ敬語じゃなくてタメぐちでいいのに。



 試験問題は回収されてしまったため、自己採点ができない。

 帰りの電車での話題は、答え合わせだった。

 「沖ノ島」でましたね。

 「アオノリュウゼツラン」確認しておいて良かったです。

 蔵波さんから「ストラスブール」のことを聞いたのが役に立ちました。

 そんな話が一段落して、彼が一言。

「白河さんの後輩の子、建物にいませんでしたね」

「藍奈ちゃんですか? 埼玉に住んでいるので、大宮の会場で受けたみたいですよ」

 もやもや。なぜ今、藍奈ちゃんの話題なんだろう。

 どうせ私は可愛くないもん。



 私達が電車を降りたのは、世田谷線の松陰神社前駅。彼の最寄り駅だ。

「カフェがあるんです。入ったことはないけど」

 と、彼が教えてくれる。

 駅の周りは、昔からの商店街だ。よく見ると、「café」の看板を出している店があった。

 外観そのまま、内装だけを変えたようなお店だ。

 こういうの、リノベーションというんだっけ?

「その後、お姉様と神田さん、どうです?」

 カフェでアイスカフェオレを飲みながら、彼に訊かれた。

 隠すことではないので、正直に話す。

「この前、神田さんが檜原に行ったみたいですよ。九頭龍神社にふたりでお参りしたって、お姉ちゃんが話していました」

「九頭龍神社……まじですか」

 彼は苦笑する。

 8月に私達が檜原村に行った際、神田さんが彼に「ここ、どう?」とスマートフォンを見せて訊ねてきたのだそうだ。

 食堂でスマートフォンを見ながら喋っていた、あのときだ。

「そうだ! この前、テレビでストーンヘンジみたいなのが出たんです。群馬の天文台の敷地に、ストーンヘンジみたいなモニュメントがあるみたいなんです」

 私は急に思い出して話題を変えたが、彼は「何それ!」と食いついてくれた。

「知らなかった。見てみたいです」

 彼は悔しがっていた。世界遺産好きな彼なら、ストーンヘンジ“っぽいもの”であっても見ることができたら嬉しいと思うかもしれない。

「じゃあ、白河さんが知らないかもしれない話をひとつ。この辺にも、世界遺産“っぽいもの”があるんですよ」

 ちょっと考えてしまった。

 世界遺産“っぽいもの”がこの辺にもあるのか。



 カフェを出て商店街を北に進むと、神社の鳥居が見えた。

 最寄駅の名前にもなっている、松陰神社だ。

 この神社は、幕末の思想家・吉田松陰が祀られている。

 安政の大獄で連座して刑死した松陰は、門下生であった高杉晋作、伊藤博文らによってこの地に埋葬された。

 吉田松陰は長州のイメージだから、この辺には縁がないと思っていたから、ちょっと意外。

 吉田松陰といえば、忘れてはならないのが「松下村塾」だ。

 神社をお参りして裏手にまわると、再現された松下村塾の建物があった。建物というより、庵だ。

「ちっちゃいんですね」

 私は正直な感想をこぼしてしまった。

「ちっちゃいんですよ」

 彼も乗ってくれた。

 幕末の志士を輩出したというから、大きい塾かとばかり思っていた。

「世界遺産“っぽいもの”って、この松下村塾のことだったんですね」

 本物の「松下村塾」は、軍艦島等とまとめて世界遺産に登録されている。

  “っぽいもの”だけど、世界遺産の雰囲気を味わうことができて、満足だ。

 神社で願かけしたのは「検定に合格できますように」。事後のお参りだけど、学んだことは試験で出し切ったから、いいよね?

 それだけ。それ以外は断じて、お願いしていない。



     ◇   ◆   ◇



 「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」


 日本国(山口県・鹿児島県・静岡県・岩手県・佐賀県・長崎県・福岡県・熊本県)

 文化遺産

 2015年登録


 軍艦島や八幡製鉄所を含む全23資産で構成されている。

 1850年代から1910年まで急速な成長を遂げた産業に関わる遺産群。日本では初めて、稼働遺産を含む世界遺産となった。

 「シリアルノミネーション」という、広範囲に点在する複数の物件をまとめて1件の世界遺産とする考え方が体現されている。

 山口県萩市にある松下村塾は、幕末から明治維新にかけて日本の近代化・産業化に貢献する人材を輩出したことが評価されている。

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