第18話 仕方ないと思わずに(「平泉 -仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺産群-」)

『千桜ちゃん、周くんとギター侍と、同じ会社だったの?

 早く言ってよ!』



 おはよう、も絵文字もなく、お姉ちゃんに怒られた朝。

 いつもより早起きして、冷凍保存していたハンバーグを解凍する。

 今日のお弁当は、ロコモコ風弁当。

 野菜も目玉焼きもしっかり火を通して、保冷剤をくっつけて、いざ出勤なのだ。



 お姉ちゃんの話していた“アマネくん”は、やはり八城周さんのことだった。

 大学は違うが、八城さんとも神田さんともマンドリン・ギターサークルで交流があり、顔見知りだったらしい。

 “ヤシロ”と読む苗字の男子が4人いたため、八城さんのことも下の名前で呼んでいたそうだ。

 “ギター侍”は、神田さんのこと。マンドリン担当だったが、愛称は“ギター侍”。

 確かに神田さんは、侍のかつらとコスプレが似合いそうである。



「千桜先輩、ロコモコ? すごい!」

 昼休憩。私のお弁当を見た藍奈ちゃんは、急にテンションが高くなった。

「目玉焼きも卵焼きもゆで卵も、苦手なんです。だから、お弁当はおにぎりか肉が中心になっちゃいます」

 そう言う藍奈ちゃんは、野菜の肉巻き弁当。おにぎりは今日も、手鞠みたいに小さい。

 私は決して卵料理が得意ではない。でも、半熟とか勘で加熱しても、狙った硬さにできているかもしれない。

 お弁当箱がからっぽになると、藍奈ちゃんは早速、世界遺産検定のテキストを出した。

「先輩、この『平泉』のところ、誤植でしょうか?」

 藍奈ちゃんが指で示すのは、「日本の暫定リスト登録物件」のページである。

 暫定リストとは、世界遺産の候補のようなものだ。

 世界遺産に推薦されるためには、その暫定リストに載る必要がある。

 暫定リスト登録物件の中に「平泉」も含まれている。気にしたことがなかったよ。

 思わず、テキストの奥付を見てしまった。最新の版になっている。

 確か、平泉は数年前に世界遺産に登録されていた。それなのに、まだ候補に名前が載っている。

 結局、昼休憩の間に解決できなかった。



 18時に仕事が終わると、急に甘いものが食べたくなってしまった。

 世田谷線の改札の近くには今川焼のお店がある。

 つぶあんとこしあんの今川焼を1個ずつ買って周囲を見回した。

 彼の姿はない。

 この前「旅の夜風」に来たときは、残業の後に疲れた顔をしていた。

 仕事が忙しいのかな。



『横田さん、こんばんは。

 今日、後輩と「平泉」の話題になったのですが、なぜ「平泉」が暫定リストに載っているのかわからなかったのです。

 何か知っていますか?』



 駅のホームで電車を待ちながら、無料通信アプリにメッセージを書いてみたが、送信するのはやめた。急にこんなことを訊かれたら「何こいつ」と思われるかもしれない。

 文字を消そうとしたが、人にぶつかったはずみで変なところをタップしてしまった。

 「送信」マークを押してしまったらしい。

 謝罪文を送ろうとしたが、電車が来てしまったので、スマートフォンをバッグにしまった。

 最寄駅の上町で下車して、スマートフォンを見ると、彼から返事が来ていた。



『登録拡大を目指しているのだと思います。

 あと1か月で試験ですね。お互い頑張りましょう!』



 おお、ありがたい。でも、申し訳ない。

 家に着くと、今川焼で夕食にしながらインターネットで調べてみた。

 彼の言った通り、「平泉」は登録範囲の拡大を目指している。

 範囲拡大のためには、再度暫定リストに登録し、推薦を受ける必要があるのだそうだ。

 「平泉」は世界遺産登録の際、いくつか構成資産をけずっていた。

 それを仕方ないと思わずに、登録範囲拡大という形で、当初の物件を構成資産に加えようとしている。

 世界遺産に登録されるだけでも大変なのに、諦めずに当初の形で登録しようとしている。

 そういうパワーを見習いたい、と思わせてくれる世界遺産だったのだ。



 朝が早かったから早寝をしようと薄い布団を敷いたとき、ふと彼のメッセージを思い出してしまった。



 ――あと1か月で試験ですね。



 ……そうでした。しかも8月中に帰省の予定もある。

 布団に寝転がってテキストを開いたら、ギターを奏でる彼の姿を思い出してしまった。

 私は駄目だな、集中できない。



     ◇   ◆   ◇



 「平泉 -仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺産群-」


 日本国(岩手県西磐井郡平泉町)

 文化遺産

 2011年登録


 中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山、から成る。

 この地で産出される金の力を背景に、11~12世紀の平泉が、東北地方の財政の中心地、さらには京都と比肩しうる街であったことを物語っている。

 遺跡群は、8~12世紀、日本に広まった浄土思想の宇宙観に基づいて構成されている。

 貴族政治から武家政治に転換してゆく時代に、藤原清衡の思いは代々受け継がれ、11世紀後半から12世紀前半までのおよそ100年間、軍事より文化隆盛に力を注ぐ平和政治を奥州の地に実現させた。

 日本独自の自然崇拝と仏教の融合は、庭園設計と造園により仏国土(浄土)を現世に創り上げるという、日本独自の方法を編み出した。

 奥州藤原氏の居館であった「柳之御所遺跡」、荘園跡「骨寺村荘園遺跡」、清水寺を模した毘沙門堂の残る「達谷窟」、の他、「白鳥館遺跡」、「長者ヶ原廃寺跡」の5資産の追加登録を目指している。

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