第14話 嫌なことを忘れられるんです(「ヴィルンガ国立公園」)

 電車に揺られながら、彼に訊いてみる。

「横田さんは何が好きですか?」

 さらりと“横田さん”て言えた!

 心の中でガッツポーズをする私。

 でも、私の訊き方が悪かったみたい。

「世界遺産ですか?」

「食べ物です!」

 これから三軒茶屋に戻ってランチなのに。

 これはデートではない。

 同志会にして勉強会。ランチミーティングのようなものである。

「私は特に嫌いな食べ物とかないですよ。甘いものもがっつり系もいけますから、横田さんに合わせます」

「白河さん、がっつり系もいけるんですか?」

「いけますよー」

「じゃあ、いっちゃいますか」

 彼は穏やかに微笑んだ。

 あ、やばい。

 自分の汗の臭いを気にしていなかった。

 彼に気づかれないことを祈る。



 三軒茶屋駅を出ると、彼がお好み焼き屋さんに案内してくれた。

 駅北の茶沢通りをまっすぐ進むと、3階建のビルの屋上に突如ゴリラが現れた。ゴリラは腕を下に伸ばし、手のひらに女の子を乗せている。もちろん、本物ではない。

 その“ゴリラビル”の向かいのビルの中に、お好み焼き屋さんはあった。

 窓際のテーブルに案内されると、ゴリラが近くに感じられる。

「ゴリラですね」

 私は思わず口に出してしまった。

 彼も乗ってくれる。

「めちゃくちゃゴリラですね」

 私は調子に乗って世界遺産の話を振ってしまう。

「ゴリラの公園がありましたよね」

「国立公園でしたっけ。マウンテンゴリラの公園」

 やはり、彼も知っていた。

「あのビルのゴリラは、疲れないんでしょうか」

「白河さんは優しいですね」

 ゴリラゴリラゴリラ連呼していたら、急に“白河さん”ときた。

 違います。私は優しくなんかないです。ついでに申し上げますと、可愛くもなく若くもないです。料理も上手くないです。

 ゴリラってネタにしやすいけど、イケメンもいるんです。実は温厚な性格で、絶滅危惧種です。虐殺の憂き目にも遭っている、守らなくちゃならない生き物なんです。私みたいな可愛げのない図太いやつとは比べ物にならないくらい、ゴリラは繊細な生き物なんです。

 ……って、申し上げられなかった。



「横田さん、大丈夫ですから。私だってお好み焼きくらいできますから」

「いいから、白河さんは休んでいて下さい」

 彼は、お好み焼きのたねを熱々の鉄板に落とす。早くもチーズがとろけて、おいしそうな匂いがただよい始めた。

「姉が白河さんのことを心配していました」

 彼はボウルをテーブルの端に置いた。

「正確には、“白河さん達”のこと、です。お仕事のお仲間と、落ち込んだようにお話されていたと聞きました」

「ごめんなさい。その日、お店が準備中だったのに無理を言って入らせてもらったんです」

 早退した蔵波さんを連れて「旅の夜風」で休ませてもらったときのことだ。

「白河さんのお仕事、大変なんですか?」

「大変ですけど、やりがいはありますよ。でも、よくわからないことになっていて、月末まで何とも言えないんです。……あの、今日は本当にありがとうございました。良い気分転換になりました」

「いえ、お礼を言いたいのは俺の方です。俺も、良い気分転換になりました」

 ぺこりぺこり、とふたりして頭を下げる。

「俺もちょっと悩みがあって、ひとりでいると鬱々としてしまうんです」

「悩み、ですか」

 穏やかに微笑む彼と悩み事とは、結びつかない。

 でも、人とはそんなものだ。

 外面は平気なふりをしても、心の中はわからない。

「私でよければ、愚痴とか聞きますよ」

「今は平気です」

 彼は首を横に振った。

「白河さんと一緒にいると、嫌なことを忘れられるんですよ」

 どうしよう。急に顔が熱くなった。鉄板の温度が上がったのかな。

 両手でヘラを使って、お好み焼きをひっくり返そうとするけれど、上手くゆかない。

 向かいのビルのゴリラと女の子が私を見て嘲笑あざわらっているよ。

「白河さんは可愛いですね」

 選手交代。彼がお好み焼きをひっくり返してくれた。

 “英一くん”も、にっこり笑わないで下さい。

 このままでは、お好み焼きの味がわからなくなってしまうから。



     ◇   ◆   ◇



 「ヴィルンガ国立公園」


 コンゴ民主共和国

 自然遺産

 1979年登録


 コンゴ民主共和国の北東部、赤道直下の熱帯雨林に広がるヴィルンガ国立公園は、1925年に設立されたコンゴ民主共和国最古の国立公園である。

 エドワード湖とヴィルンガ火山群を擁する総面積7,800㎢の公園内には、全世界のマウンテンゴリラのおよそ半数が生息している。

 「ジョンバ・サンクチュアリ」と呼ばれる地域はゴリラの聖域とされ、観光客にも公開されている。

 公園の中央に位置するエドワード湖の湖畔には、およそ2万頭ものカバが生息している。

 希少な野生動物の生息地として守られてきたヴィルンガ国立公園だったが、近年では隣国のルワンダ内戦の影響、横行する密猟によって多くのゴリラやカバが殺害され個体数が減少し、生態系に深刻なダメージが及んでいる。

 1994年に危機遺産に登録。

 1996年に公園内の800㎢がラムサール条約登録地となった。

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