第6話 すみません、待ち伏せしていました(「パリのセーヌ河岸」)

 私の仕事に土日は関係ない。

 シフト制で出勤し、休日は月に9日。

 あの飲み会の翌日が休日だった。

 次の日は日勤、その次は遅番、今日は日勤。明日は休みだ。

 今日は、無料通信アプリのグループラインのトークに気になる話しが入ってきた。

 成城支店の同期からだった。

 この前の飲み会に参加しなかった人だ。



『この前、うちの店に本社の人が来たの。

 何かあったのかな?

 神田さんと八城さんが面談していたよ。』



 八城さんというのは、神田さんと同い年の八城やしろあまねさんだ。

 八城さんは、名前だけ見たら女の子だと間違えられることで有名だった。“アマネ”という響きが“天音”という字面を連想しやすいらしい。

 偶然なのか、お姉ちゃんの知り合いに“アマネ”という男の人がいる。大学時代の知り合いらしい。私は会ったことがないが、まれに“アマネ”さんの話を聞くことがあった。

 だから、“八城周”という名前を見ても、女だとは思わなかった。

 もしかして、お姉ちゃんと八城さんは知り合いなのかな。今度、お姉ちゃんに訊いてみよう。

 それは置いておいて。



 ――飲み会のこと、誰かが社長の直通メールで伝えたらしくて、飲み会に参加した人に面談が行われた。



 神田さんは嘘をつく人には見えないが、辞めたい気持ちから多少の誇張があるんじゃないかと思っていた。

 でも、本当に神田さん以外の人も聴き取りされたみたいだ。

 私はメッセージを読んだだけで、返信しなかった。


 定時で退勤し、職場を出る。

 久しぶりにキャロットタワーの雑貨屋さんをぶらぶらまわってみた。

 可愛い雑貨があれば買いたいが、には可愛過ぎるものばかりだった。

 目移りしてしまうけれど、買うには躊躇ためらってしまう。

 昔からそんな感じ。部屋には可愛いものを飾ったことがない。

 絵本のキャラクターが描かれた付箋だけ購入した。

 付箋の台紙にはキャラクターと、背景にエッフェル塔も描かれている。

 海外に行ったことがないが、きっと、実際のエッフェル塔は素敵なんだろうな。



 エッフェル塔は、世界遺産に登録されている電波塔だ。

 1889年のパリ万国博覧会のモニュメントとして建設された。

 当時は「醜く無様な建造物」との非難を浴びた。

 今でこそ、パリにも高層ビルが並び、ポンピドゥーセンターもあるが、昔からの石造りの建物やゴシック建築の教会で雰囲気が統一されていた当時は、武骨な鉄骨建築は受け入れがたいようだった。

 作家のモーパッサンはエッフェル塔反対派で、エッフェル塔を見なくて済むという理由でエッフェル塔内のレストランに足を運んでいた、という話もある。



 キャロットタワーを出て、スマートフォンで時間を確認する。

 18時40分。まだ明るいわけだ。

 グループラインには、新着メッセージがあった。



『社内情報でしょう。

 みだりに話したり聞いてまわるものではありません。』



 送信者は、蔵波さんだった。

 言葉は丁寧だが、内容は優しくない。

 でも、蔵波さんの言う通りだ。プライベートの場で仕事の話をするものではない。社外秘になりかねない内容なら、尚更だ。

 蔵波さんのことを、空気が読めないと非難する人もいるだろう。

 でも、同感する人もきっといる。

 私は蔵波さんに同感だが、メッセージを返すことはできなかった。

 蔵波さん、ごめんなさい。私のせいで、三軒茶屋支店にも本社の人が来るかもしれないです。

 心の中で謝り、スマートフォンをバッグにしまう。

 気象情報では、約10日後に梅雨が明けるだろうと言われている。

 梅雨が明ければ、暑さのあまり外を歩くのも億劫になるだろう。



「あっ……白河さん?」

 世田谷線の改札前で、低い声に呼び止められる。

 “英一くん”と呼びそうになるのを、喉の寸前で堪えた。

「……横田さん?」

 私がひそかに“同志”としている、横田英一氏だ。

「すみません、待ち伏せしていました。白河さん、これからお帰りですか?」

 この人は、自分から“待ち伏せ”と言ってしまうのか。

 今日はにこにこしていないが、なぜか警戒心もわかない。

「白河さんさえよければ、今夜一緒に飲みませんか?」

 私はすぐに返事ができなかった。嫌なのではない。単に驚いてしまっただけだ。

「『旅の夜風』というバルで、ちょっとしたリサイタルがあるんです。一緒に聴きたいなと思いまして。……こんな誘い方だと、気持ち悪いですよね。ごめんなさい。やっぱり聞かなかったことに……」

「気持ち悪くなんかありません! 私なんかで良いんですか?」

 彼のしぼみそうな声を遮ってしまった。

 でも彼は、おもむろに(急に、ではない)明るい表情になって、言ってくれる。

「白河さんが良いんです」



 「知らない人について行ってはいけません」と小さい頃からお姉ちゃんに言われている。

 彼も知り合ったばかりの“知らない人”なのに。

 もっと警戒しなくちゃいけないのに、私は彼についていってしまった。

 だって、会いたかったから。



     ◇   ◆   ◇



 「パリのセーヌ河岸」


 フランス共和国

 文化遺産

 1991年登録


 ノートルダム寺院、サント・シャペル、ルーヴル美術館、オルセー美術館、アンヴァリッド、シャイヨー宮、エッフェル塔、が登録されている。

 パリの歴史は、紀元前3世紀頃からシテ島に住みついたケルト系パリシイ人の集落から始まった。

 6世紀初頭にフランク王国の首都となり、カペー朝の10~14世紀に大きく発展した。

 19世紀後半にジョルジュ・オスマンの都市構造で、エトワール広場を起点としてシャンゼリゼ通りなどを放射状に延びる12本の道路も設けられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます