第021話 / レイナ v. ジャンヌ

 海が一気に凍りついていく。

 その侵食は止まるところを知らず、一帯の海面を氷づけにし、瞬く間にジャンヌの船まで達した。

 船体に張りついた氷が航行を封じ、速力が一気に削られていく。


(……やはりそう簡単にはいかないか。これで一帯に撒いたガネット石もすべて死んだ)

「ジャ、ジャンヌさん! 船が!」


 副長をはじめ、船上は一転して喧騒に包まれた。だが、無理もない。四方およそ五〇〇メドルほどの海面をほんの数秒で完全に凍らせるなど、いかな上級航戦魔道士でも異常な所業だ。

 しかし、ジャンヌに焦りはなかった。


「騒ぐな! 動けないのは向こうも同じだ! 総員、急いで船体に張りついた氷の排除にかかれ!」


 彼女の指示を受けて、航戦魔道士たちは船の周囲の氷を魔法で溶かしにかかる。そして自身は船から降りて、凍りついた海面に降り立った。


「ど、どこ行くんですか!?」

「こっちはいいから船をなんとかしろ! 動けるようになったらすぐ右舷の哨戒艇と合流して可能なら外の三隻を沈めるんだ! 急げ!」


 直後、ジャンヌの背中を悪寒が襲う。

 咄嗟にガネット石を砕いて右腕に炎をまとい、振り返ると同時に振り払った。

 目の前に迫っていたのは氷槍の壁。それが熱気にあてられて次々と蒸発。

 ジャンヌはさらにガネット石を砕き、右腕の炎を強める。そして晴れはじめた蒸気の奥に薄っすらと透ける一つの影を、じっと睨んだ。

 それは、船影ではなかった。

 やがて、影の主が、ゆっくりと姿を現す。

 そこに立っていたのは―――まるで妖精のように美しい、驚くほどに氷上が似合う可憐な少女だった。

 ジャンヌは、一目でその正体を察した。


「……《白鯨殺し》」




     ⚓




(……あの方が、例の航戦魔道士ですか)


 ゆっくりと相手に近づきながら、レイナは相手を見極めていた。


(先ほどの一撃といい、やはり只者ではありませんね。ですが、彼女を退けなければ、ここから船を撤退させることもできない……)


 レイナは船を降りる直前、ティオに岩礁地帯からの離脱を指示していた。彼女は先の爆炎の嵐を、この一帯に撒かれた大量のガネット石を誘爆させているからだと考えたのだ。

 もしそうなら、ここで戦うのは愚行の極み。一刻も早く離脱するのが賢明だ。

 その殿として、レイナは氷上に降り立った。

 ―――静かに、無言のまま、歩み寄る二人。

 やがて、その足が止まる。


「―――グランディア海軍、ツィーロン戦隊・第二分隊長、ジャンヌ・リーゼロッテ。あんたがあの船の艦長か?」


 対峙した少女が名乗り、尋ねてくる。褐色の肉体は精悍かつ蠱惑的。グランディア海軍の制服と提督用のジャケットを大胆に切り落とした身なりは、一見すると粗暴な印象だが、どこか扇情的ですらあった。

 だが、レイナの意識はその魅惑的な外見よりも彼女の右腕―――そこにまとわりつく大量のエレメントが集約された業火に注がれていた。そして、左腕と両足首にも大量のガネット石がはめこまれた金属輪ガントレットが確認できる。


「……イグニス海軍、第一一戦隊・提督、レイナ・シャルンホルストと申します」

「やっぱりか。まさかこんなところで噂の《白鯨殺し》に逢えるとはな。……いや、逢うのはギルヴァンティにつづいて二度目か」

「できれば、あなたとは二度と会いたくなかったですが……」

「私は逆だ。あのとき、私は初めて本気で戦って、その上で完敗を喫した。以来、いつか絶対に勝ってやると思い続けたもんだ。……まあそんなことはどうでもいい。あんたの氷も私の炎の前じゃそう長くは保たないだろ? お互い沈まないうちにさっさと始めようか」

「……ええ」


 レイナは静かに右腕を持ち上げた。その求めに応じるように、どこからともなく現れた無数の氷片が彼女の周囲を舞い踊る。

 それらは徐々に結集していき、やがて一振りの氷刃と化した。


「……《白鯨殺し》。相手にとって不足なし。最初から本気でいかせてもらう」


 瞬間、ジャンヌの左腕そして両脚が爆音を上げて盛大に火を噴いた。それぞれの金属輪のガネット石を砕いたのだ。

 宿主をも呑みこまんと猛る業火は瞬く間にその勢いを強め、天をも焦がさんとするが如く立ち上る。大気を灼く音さえもが恐ろしいほど鮮明に聴こえた。

 その猛威にも臆さず、輝ける氷刃を正眼に構えるレイナ。

 燃え盛る四肢で一歩、また一歩と彼女に歩み寄るジャンヌ。

 無音。

 緊迫。


 ―――そして、戦端は開かれた。


 先に動いたのはレイナだった。

 ジャンヌが自分の間合いに入ると、その距離を一足で瞬時に詰める。そして身を沈め相手の懐へ踏みこみ、その氷刃を振り上げた。

 弾ける炸裂音。

 だが、通らなかった。

 ジャンヌは両腕を交差し、右腕の金属輪で一撃を防いだのだ。

 途端に吹き上がる大量の蒸気。ジャンヌのまとう炎の熱で氷刃の表層が見る見る溶けていく。

 咄嗟に大きく後方へ飛び退き、距離を取るレイナ。

 それを見たジャンヌは、凍った海面を削り取るように右脚を豪快に振り上げた。地割れのような衝撃と破砕音が響き、空を舞ったのは巨大な氷塊。それがレイナめがけて猛烈な速度で飛来する。


「―――ッ!」


 反射的に氷刃を振り上げるレイナ。身の丈の三倍を超える分厚い氷塊が、一瞬にして八つ裂きにされる。

 だが、それは囮だった。

 砕けた氷塊の陰から人影が現れた。ジャンヌだ。蹴り飛ばした氷塊を目眩ましに、その距離を一気に詰めていたのだ。


「ふっ!」


 激しく燃え盛る右回し蹴りが迫る。レイナは咄嗟に氷刃へエレメントを集めて強度を高め、盾として構えた。

 だが、砕かれた。

 氷刃は真っ二つに叩き折られ、直後、一瞬で蒸気と化す。


「……う……ぐぅッッッ!」


 一撃を左脇腹に食らったレイナの体が吹き飛び、激しく海面を転げ回る。咄嗟に新たな氷刃を生成して海面に突き立て、なんとか踏ん張ったが、骨にまで響く激痛が上半身を襲い、立ち上がることを許さない。


「ほらどうした! その程度かぁッ!」


 その隙を逃さず一瞬でレイナの目の前に迫るジャンヌ。

 彼女が放った回し蹴りを反射的に後方へ飛び退いて躱すレイナ。だが、直撃せずとも身を焦がすほどの熱気を前に、彼女は堪らず顔をしかめた。

 遠距離から氷弾を間断なく放つ。

 だが、同時に放たれたジャンヌの炎弾が、そのすべてを撃墜。

 それでもレイナは氷弾を重ねながら、さらに距離を取る。

 しかし、ジャンヌはこれを撃墜しなかった。

 彼女は躊躇なく一歩を踏み出し、レイナめがけて駆け出したのだ。炎をまとったその両拳で、レイナの氷弾を次々と打ち砕きながら。

 距離を一気に詰めるジャンヌ。

 半端な魔法では止まらないと判断したレイナは、氷刃の強度を高めてさらに強靭な一振りと成す。

 本来なら自らの得意な距離である遠距離を保ちたい。だが、先に喰らった一撃の痛みが抜け切らず、万全の速度では動けない。

 故に残された選択肢は近接戦のみ。だが、これはおそらく相手の最も得意な距離。炎をまとった四肢で戦うというスタイルがなによりの証拠。

 レイナは覚悟を決めて、正面から打倒する道を選んだ。


「ふっ!」


 ジャンヌの右拳が振り抜かれる。

 半身に開いて躱すと同時にレイナは氷刃を横に薙いだ。狙いは相手の首筋。


「……ッ!?」


 だが、その一撃は彼女の予想を超えた方法で防がれた。

 ジャンヌは、あろうことかレイナの氷刃を左手で掴んだのだ。

 途端に大量の蒸気が刃から噴出し、両者の視界を塞ぐ。

 レイナは反射的に目を瞑ってしまった。

 途端、その刃を強引に引っ張られ、体が前につんのめる。

 直後、ジャンヌが目の前に現れた。


(まず……っ!)


 だが、次の一手を打つ間はなかった。

 ジャンヌの燃え盛る右拳が、その腹部に突き刺さる。


「あ……ぐぅ……ッ!」


 悶絶して膝を屈するレイナ。その手から氷刃が転げ落ちる。

 だが、ジャンヌに容赦はない。続けざまレイナの顔面をめがけて前蹴りを放つ。

 レイナは反射的に海面へ干渉して氷壁を生み出した。

 だが、激痛に意識を占領された状態でまともな魔法など生成できるはずもない。ジャンヌの前では時間稼ぎにもならず、容赦なく蹴り砕かれた。続けざま慌てて氷甲をまとった両腕で防御を固めるが、それも一瞬で灰燼に帰す。

 直撃こそ避けたものの、瞬間的に意識を刈り取られるほどの蹴撃を受けたレイナ。その体が宙を舞う。そこへ間断なくジャンヌの右拳が三たび振り抜かれた。レイナは防御も叶わず、その一撃が再び腹部に突き刺さり、同時に爆発。ジャンヌがガネット石を砕いたのだ。

 ジャンヌが後方へ飛び退いて距離を取る。レイナのいる位置は、轟々と猛る爆炎が渦巻いていた。

 だが直後、炎は一瞬にして凍てつき、砕けて霧散。

 そして舞い散る数多の氷片のなかから、レイナの姿が現れた。

 ―――息も絶え絶え、いまにも崩折れそうに脚を震わせるレイナの姿が。

 たった数手を交えただけだが、その体はすでに満身創痍だ。表情は苦悶に歪み、もはやまともに立っていることもできない。その全身は先の爆炎のせいか、服は酷く焼け焦げ、随所に火傷と思しき痕もあった。もっとも、爆炎に呑まれる直前に全身を氷で覆ったおかげで、その程度の被害で済んだともいえるのだが。


(……近接戦でも時間くらいは稼げるかと思いましたが、甘かった……まさかここまで差があるなんて……)


 傷だらけの左腕をかばいながら、必死に息をつなぐレイナ。


「……あの《白鯨》を倒したっていうから、どんな化け物かと少しは期待していたんだが……まさかこの程度とはな。久しぶりに骨のある奴に出会えたと思っていたぶん残念だよ」


 相対するジャンヌが、少し残念そうな表情を浮かべながら、一歩また一歩と近づいてくる。


「……そう……ですか」

「……まぁいい。いまは一刻を争う事態だからな。楽に終わるに越したことはない。あんたが死ねばイグニスも少しは大人しくなるだろ」

「……さぁ……どう、でしょうか。これでも嫌われ者ですから……」

「へぇ、奇遇だな。嫌われ者同士がこんな辺境で巡り合うとは。……まぁ無駄話はこれくらいにしようか。楽しくはなかったけど会えて嬉しかったよ。《白鯨殺し》」


 ジャンヌがすべての炎を右腕に集める。いかなる防御も打ち砕き、一撃のもとに葬り去るつもりだろう。


(……お父様……弱い私を、お許し……ください……)


 自らの揺るぎない行く末を悟ったレイナ。もはや我が身を守り切ることも、逃げ切ることもできない。

 ここまでだ。


 ―――だが、最後の幕は引かれなかった。


「……なっ!?」


 突如、驚きの声とともにジャンヌが大きくレイナから距離をとる。

 直後、彼女の立っていた地点に大量の風弾と水弾が襲来。そして後退するジャンヌを目がけて立て続けに無数の魔弾が飛来する。


(……な、なにが) 


 朦朧とする意識のなか、なんとか片目を開いて沖合を確認するレイナ。


(あ、あれは……第一二戦隊? なんで……ここに……?)


 視線の先には、エルヴィン率いる第一二戦隊の旗を掲げた船団があった。その数、五隻。いままさにグランディアの哨戒艇を沈めんと総攻撃をしかけていた。


「援軍だと……くそっ!」


 ジャンヌはレイナに背を向け、自身の旗艦めざして駆け出した。その旗艦はいまようやく凍結した海域から抜け出して沖へ向かおうとしている。


「……レイナさま!」


 微かにティオの声が聴こえた。だが、その姿は見えない。

 そのとき、海面の氷が一斉に溶けた。


 レイナは意識を失い、その体は海へ沈んだ。

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