Voyage.01-06-R/J ケープサンドの海戦

第019話 / ジャンヌの決断

 ―――翌日の朝一。

 ジャンヌはベルガに呼び出された。午後の軍議へ向けて意見を求められたのだ。

 ツィーロンの巨大な軍港、その一角に海軍の支部はあった。ここはツィーロン戦隊の拠点としてだけではなく、南岸戦隊そのものの拠点でもある。そのため建物も巨大で、外見は白石による武骨な五階建て。敷地の広さは首都にある皇帝の宮殿並みともいわれている。


「入るぞ」


 その一室、三階の長い廊下の中央あたりに位置する個室がベルガの部屋、ツィーロン戦隊司令長官の部屋だった。ちなみにジャンヌの部屋もその隣にあるのだが、入ったことは一度もない。

 司令室にいたベルガは一目で苛々しているのがわかった。ジャンヌの予想どおり、どうやら上からの覚えが多少なりとも悪くなったのだろう。

 だが、ジャンヌにはそんなことより気になることがあった。いつも横にいるはずのアイリーンの姿がなかったのだ。


「……アイルはどうした」

「お前に教える必要はねぇ」


 だが、ジャンヌは彼女の行方に予想がついていた。ベルガはなにか不始末を起こすと、決まって自分の奴隷たちを差し出して、取り成しを得ているのだ。おそらくアイリーンも、今回の一件で怒りを買った上層部へのとして、彼らのところへ行かされているのだろう。

 自分のせいでアイリーンが下衆な連中の掃き溜めのように扱われているのかと思うと、気が狂いそうなほどの怒りがこみ上げてきた。いますぐ目の前の男をぶっ殺して、細切れにしてやりたい。思わず拳を強く握りしめるほどに、そう思う。

 だが、ここでベルガに食ってかかったところで意味などない……自分にそう言い聴かせ、ジャンヌはなんとか心を落ち着ける。


「……それで、なんの用だ」

「言われなくてもわかってんだろ。上は早急に現状を打開しろってうっせぇんだよ。あのカスども……」

(お前もだろうが)

「で? 次はどうすんだ」


 当たり前のように訊いてくるベルガ。


「だから自分で考えればいいだろ。失敗した私の意見なんか聴かないでな」

「ごちゃごちゃ言ってねぇでさっさと答えやがれ!」


 怒りが一気に沸点を超えたベルガが、激情のまま目の前のテーブルを蹴り上げて轟音が響く。その様子から、どうやら自分の想像以上に彼の足元が崩れかけている事実を知り、ジャンヌは清々しさすら覚えた。

 ―――しかし同時に、この状況は良くないとも感じていた。


(……これだけ追いこまれているとなると、保身を優先して上に受けが良い方針しか聴き入れないだろうな)


 だが、リスクをとらない作戦に勝利の女神は微笑まない。


(ベストな戦略は、デニス海をさっさと制圧してインペリウムの南岸から陸軍を揚陸すること……陸軍もずっとそれを望んでいる。だが、ダンジェネス海峡はギルヴァンティ同様、防御に有利な海峡だから、いますぐ突破するのは難しい。私が行ければいいが、功績を独り占めしたい上層部は絶対に派遣してはくれない)


 嫌われ者に与えられる任務は大抵、出世につながる功の少ない防衛任務だ。


(それ以外にできることは、通商を脅かして少しずつ敵戦隊を削るか、中立国との同盟を模索して援軍を募るか、リディア海を取り戻すかだが……いずれにしても長期戦は必至だ)


 そこまで考えたジャンヌの脳裏を、言葉がよぎる。


(そうなると重要なのは物資だ。特にガネット石の補給が継続できなければ、海軍は確実に敗けて、イグニス陸軍はデニス海を経由してインペリウム陸軍に合同できるようになる。そう考えれば、イグニスはガネット石の補給線を断ち切ろうとする可能性が高い)


 例の男から耳にした直後はなにを馬鹿なと思ったが、あとで冷静に考えた結果、その可能性が高いという結論にジャンヌは達していた。


(……しかし、いまのこいつにケープサンドへ向かえと言っても無駄だろう。リディア海を押さえられた以上、長期戦じゃ勝ち目がないと思って短期決戦に出たがるだろうしな。そもそも上は海軍力を過信しているから、ダンジェネス海峡は突破できないなんて言ったら牢にぶちこまれかねない。それに、私たちがギルヴァンティを破られたから、逆にダンジェネス海峡も破れると思うだろう……。だが、現実的に考えて短期決戦は敗色濃厚。いまは耐え忍んで機を窺うべきだ。そして、そうである以上、ガネット石の供給を断たれるわけにはいかない……)

「おい。なにぶつぶつ言ってやがんだ」


 ベルガを無視して考えこんでいたからか、彼は苛々していた。

 どうするか……選択を迫られるジャンヌ。

 耳に良い無難な戦略を提言すればベルガは納得するだろうが、戦争にはおそらく敗北する。そして自分はその責任をこいつになすりつけられるだろう。だが、ケープサンドへの進軍を提言してもまず通らない。結果、短期決戦を選んだグランディア海軍は敗北し、自分はやはりその責を問われる。

 そして、立て続けに失敗した自分は、上層部の意向通り左遷、最悪は海軍を追われるだろう。

 ―――そこまで考えてジャンヌは気づいた。

 どちらにしても我が身に降りかかる不遇は変わらないじゃないかと。


(……どうせ未来はない、か。なら……答えは一つだ)


 そして彼女は、自らの心に正直な結論を口にした。


「―――ケープサンドへ向かえ。連中はガネット石の供給を断つつもりだ」




     ⚓




 時は、一二月初旬。

 大和はレイナやティオとともに、ケープサンドへ向かっていた。

 そこはアフィーリカ大陸の最南端に位置する小さな交易都市だ。彼の世界でいえばケープタウンだろうか。同行するのは魔道戦艦が三隻、ほかにケープサンド駐屯用の陸軍を乗せた輸送船が六隻だ。

 すでにケープサンドの北西およそ五海里ほどのところまで来ていた。左舷側には垂直に切り立った断崖絶壁がどこまでも広がっている。アフィーリカ大陸の南端はこのような絶壁が延々と続いており、ケープサンドの港以外に船を止めることはまず無理だそうだ。


「このあたりもあったかいんですね」


 甲板から海の様子を眺めながら大和は尋ねた。少し前までは防寒着をいくら重ねても寒かったのだが、アフィーリカ大陸の西岸に差しかかってからは、温暖な気候がつづいている。


「……私もあまり来たことがないので、よく知らないのですが、アフィーリカ大陸はほぼ一年中、温かいらしいです。火のエレメントが結晶化するほど豊富なのも、そのあたりの影響ではないかと言われています……」

「なるほど……と、ところで大丈夫ですか? 汗だくですけど」

「え、ええ……暑いのが少し苦手なだけですので」


 その答えに欠片も説得力を感じないほど、レイナはひどく怠そうだった。

 どうやらマナの影響らしく、イグニス国民は暑さに弱い人が多いらしい。いまは横でティオが生み出した魔法の風を浴びて、なんとか暑さをしのいでいる。さながら人間扇風機だ。


「ところで、ヤマトさん」

「なんですか?」

「いまさらなんですが、ケープサンドで敵船は待っていると思いますか?」


 レイナの質問に、大和は「そうですね……」と少し考えてから、


「……あり得るとは思いますが、その可能性は低いとも思います。向こうはおそらく短期決戦に出るでしょうから、まずデニス海を押さえに動くはずです。長期戦になるとこっちがリディア海を押さえている以上、敗北は必至ですから」

「満足な交易が封じられて、戦争に必要な物資が手に入らないからですよね?」

「はい。いくら自給自足できると言っても、その生産力には限界があるはずです。だからグランディア海軍は、デニス海を最も重要な戦略海域と見るでしょう。こっちの動きはギルヴァンティを押さえられていることで見えにくいですから、そもそも僕らがケープサンドへ向かってると気づいてる可能性も低いと思いますし、万が一だれかが気づいても、ほかの海域の状況を考えれば割けるのはせいぜい数隻。さらにあのとき戦ったツィーロン戦隊のような主力はデニス海へ回されるでしょうから、やってこないと思います」

「ですが、あとで思ったのですが、そうなるとデニス海にツィーロン戦隊が向かうわけですよね? デニス海を制圧されてしまう危険性が高いと思うんですが……」

「はい。それはあると思います。ですが、その可能性も低いと思います」

「なぜですか?」

「あれだけ強力な戦隊があるのに、いまだにデニス海を制圧できていないのがその証拠です。おそらくなんらかの理由で上層部があの戦隊には功績を与えたくなくて、防衛任務や後方支援ばかりを回されているんだと思います。実際、僕らと戦ったとき、ギルヴァンティにいたように」

「なるほど……そうなりますと、問題はケープサンドのグランディア駐屯軍の排除ですね」


 そのときだった。


「―――レイナさん! 左舷一点、二海里に船影一隻! 哨戒艇らしき船がいる!」


 メインマストの見張りが叫んだ。

 大和とレイナ、そしてティオがそちらへ視線を向ける。

 大陸最南端を東へ回りこんだところで、小さな船影が遠くに視認できた。

 そして、見張りがすぐにその正体を告げた。


「船籍確認! グランディアの船だ!」




     ⚓




(……来たか)


 ケープサンドの正面に広がる針山のような岩礁地帯。そのなかの一つ、山のように巨大な岩の陰に隠れた一隻の戦艦があった。―――ジャンヌの魔道戦艦だ。

 船はいま、遠方の哨戒艇の信号旗で敵の襲来を知ったところだった。


「やっぱりジャンヌさんの言ったとおりでしたね」


 誇らしげに呟いたのは、傍らに控える副長の青年だ。

 だが、ジャンヌの表情はどこか冴えない。その理由は……、


「……いまならまだボートも出せるし、泳げばケープサンドの港まで辿り着ける距離だ。降りたいやつは早く降ろせ。私に脅されたと言えば、叱責くらいで済むだろう」

「まだそんなこと言ってるんですか? もうみんなジャンヌさんと一緒に行くって腹を括ってるんですよ。いちいちどうでもいいこと聴かないでください」


 笑顔で答える副長の青年。

 彼の決意に満ちた答えに、ジャンヌはただ黙りこむしかなかった。




 ……



 ―――ケープサンドへの進軍という提言は、案の定、却下された。

 そのためジャンヌは、短期決戦を狙ってのデニス海の制圧を無難に再提言。ベルガがこれを上層部と陸軍へ提出して承認され、ジャンヌたちはデニス海へと向かった。彼女の任務はダンジェネス海峡の攻略にあたる本隊の後方支援。イグニス海軍が攻め上がってきたときに、その背中を守ることだ。

 そして、その作戦途中。ジャンヌは命令違反を犯した。

 ある闇夜のこと、彼女は密かに一隻でダンジェネス海峡を突破し、デニス海へ入ったのだ。

 いかな戦時中とはいえ、狭くて走りにくい海峡を一寸先も見えない闇のなかで戦う戦隊はない。ジャンヌはその隙をついた。彼女の船は黒一色のため、闇夜では目立ちにくいという利点もあり、途中で気づかれたのは一隻だけ。もちろんそれを退けるのに苦労するジャンヌたちではない。

 そしてデニス海に入ると、そのまま南東にあるヴィオーレ水道へ向かった。ここはデニス海と大陸東側の海域を結ぶ狭い海路で、ここからアフィーリカ大陸の東側を南下することでケープサンドへ行くことができる。


(……私はこれから上層部の命令に背く。このままではこの戦争に勝てないからだ)


 その日の夕方。ジャンヌは停泊中の甲板にクルー全員を集めてそう切り出し、思うところをすべて語った。イグニスがおそらくケープサンドを狙っていること。そう考える理由。そして、同地を押さえられれば敗戦は必至であること。だから自分は、軍の命令に背いてでもケープサンドを守りに行くこと。

 そして、もしこのまま自分についてきたら……間違いなくとなってしまうこと。


(……だから、降りたいものはいますぐ言ってくれ。近くの港で降ろしてやる。ベルガのやつにはありのまま話してもらってかまわない。だが、もし協力してくれるものがいるなら、ついてきてほしい)


 そう言いつつも、ジャンヌは誰もついてはこないだろうと思っていた。

 クルーは皆、グランディアに家族や財産がある。ここで母国を裏切るなどできる選択ではない。

 ……だが、そんな彼女の予想は見事に外れた。

 クルーは誰一人として、降りなかったのだ。


(俺はジャンヌさんについていきます)


 最初にそう宣言したのは、副長の青年。即答だった。

 そして彼を皮切りに、クルーたちは次々とジャンヌへの同行を申し出た。

 こいつらはいったいなにを考えているのか? 止むことのない血気盛んな賛同に、切り出したはずのジャンヌが誰よりも驚いていた。


(俺たちはみんな、死にかけのところをジャンヌさんに拾ってもらったから、今日まで生きてこられたんですよ。だから、今度はこっちが恩を返す番です)


 副長のその言葉に、クルーの誰もが頷いた。


(そ、それは……)


 だが、そんな彼らの思いに、ジャンヌは戸惑いを隠せなかった。

 確かに副長の言うとおりではある。

 この船のクルーは、もとを辿れば、飢饉で潰れた農家の息子や仕事を失って路上で生活していた浮浪者だ。そんな彼らが、海軍に入ったことでまともな生活が送れるようになったのは、たしかにそのとおりではある。

 しかし、ジャンヌが彼らを船に乗せたのは、そうした境遇を憐れんでのことではなかった。単にほかに人がいなかったのだ。彼女が艦長に就任した際、当然だが奴隷身分の彼女のもとで働こうなどというものはいなかった。そのため、クルー集めに苦慮した彼女は、最終的にそうした人々に声をかけるしかなかったのだ。

 それは決して、恩義を感じてもらうような美談ではない。


(とにかく)


 その思いを口にしようとしたところで、副長の青年に先手を打たれた。おそらく後ろめたそうなジャンヌの表情から、その本心を察したのだろう。


(これは決定事項です。ジャンヌさんがなんと言おうと俺たちは最後までついていきます)


 賛同する大勢の喝采を前に、ジャンヌはもはや彼らを説き伏せるに足る言葉を持たなかった。




 ……




(―――船の仲間にだけは恵まれたな)


 自然と笑みを零すジャンヌ。

 しかし一転、彼女はその表情をすぐに引き締める。


(……こいつらはすべてを捨ててついてきてくれた。敗けるわけにはいかない)


 正規の戦艦は自船のみ。あとはケープサンドのグランディア特使に正規の作戦だと嘘をついて借り受けた哨戒艇が二隻だけ。あの《白鯨殺し》相手には、心許なさすぎる数だ。


「ジャンヌさん! 見えた! 右舷後方、距離一・五海里!」


 だが、手は打った。


「抜錨! 針路五〇度! 作戦は伝えたとおりだ! 岩礁に注意して走れ!」


 そして、クルーの士気はかつてないほどに最高だ。


(……今回は勝たせてもらうぞ。《白鯨殺し》!)

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