第003話 / レイナ・シャルンホルスト

 しかし、そんな大和の不安は、どうやら杞憂に終わったようだった。

 しばらくすると外の喧騒が収まった。部屋の窓からは結果が分からないが、少し前に勝鬨かちどきが聴こえたので、ティオたちが勝利したのだろう。

 実際にその光景を目にしなかったからか、争いと無縁の人生を送ってきたがゆえの平和ぼけ体質のおかげか、船内にいた大和はあまり恐怖心を抱かずに済んだ。

 あるいは、いま置かれた現実をまだ現実として受け止め切れていないからかもしれない。彼の心は、現状に対する不安だけでいっぱいだった。


(これから、どうなるんだろう……ってか、どうすればいいんだ……)


 だが、先々の不安について考える時間は、扉のノックで中断された。

 大和が「はい?」と返事をすると、きぃと扉が開く。入ってきたのはティオだ。


「……レイナさまが呼んでる。荷物もって、ついてきて……」


 大和は言われた通り、ティオについていく。

 案内されたのは、船体後部の方にある艦長室だった。


「……失礼します」「し、失礼します……」


 ティオにつづいてなかへ入る大和。

 そこは質素な部屋だった。床や壁は全面木張りで広さは四〇平米ほど。家具は執務用と思しき大きな机と、その正面に置いてある二つのソファーだけ。ほかにはなにもない。

 その執務机では、先ほど対面した蒼い瞳の少女が羽ペンを手になにやら書き物をしていた。二人の入室に気づいて、その手がぴたりと止まる。


「お待ちしておりました。どうぞお入りください」

「は、はい。……その、さっきはありがとうございました。助けてくれて」

「いえ、気になさらないでください。からだの方は大丈夫ですか?」

「た、たぶん」

「そうですか、よかったです。―――そう言えば、自己紹介がまだでしたね。私はレイナ。レイナ・シャルンホルストと申します。ティオから聴いているかもしれませんが、イグニス海軍の第一一戦隊の提督、司令官を務めています」

「し、司令官?」


 その清楚な見た目からは想像もできない肩書きだった。テレビを賑わすアイドルやタレントなど霞むほどに綺麗な彼女がいち戦隊の司令官と言われても、まるで現実感がない。


「……それにしても」


 すると、レイナは席を立ち、すたすたと大和に近づいてきて彼の目の前に立ち止まった。そしてなんの前触れもなく彼のポロシャツの裾を手に取り、検分するように触り出す。


「え……あ、あの? レイ、ナ、さん?」


 彼女の突然の接近に、思わずどぎまぎ動揺する大和。


「ずいぶんと珍しい服装ですね。綿や絹ではなさそうですし……それに、こんなに明るく染まった空色の生地は初めて見ました。履き物も……なんでしょう、まるで干し肉みたいに固いですね。どちらの国のものですか?」

「い、いや、その……」


 大和の困惑などお構いなしに、彼の衣服を触り続けるレイナ。上着を確認し終えると今度はしゃがんで、ジーパンを引っ張ったり擦ったりしはじめる。興味津々なのか、裾からはじまった観察はジーパン全体にくまなく行き渡り、やがて際どい部分に達そうとしていた。


「ちょ!? ストップ! ストーップ!!」


 たじたじになっていた大和は、堪らずに声を荒げて静止を求める。


「……あ。し、失礼しました……あまりに珍しかったので、つい……」


 大和の狼狽ぶりに気づいたレイナは、慌てて作業を止める。そして気不味そうに立ち上がると、おずおずとソファーを示して「ど、どうぞお座りください」と大和に促す。自身も執務机の前にある奥のソファーに腰を下ろした。

 大和は彼女の向かいに座る。ティオはレイナの後ろに控えた。


「……では早速ですが、本題に入らせていただきます」


 レイナは小さく咳払いをしてから話を切り出す。


「お呼びしたのは、あなたについて色々と教えていただきたいからです。溺れていたので救助はしましたが、素性の知れない方を船に乗せつづけるわけにはいきませんので。最悪、敵国の間者という可能性もありますから」

「は、はぁ……」

「そういうわけで、まずあなたのお名前と国を教えていただけますか?」

「……な、名前と国?」


 レイナの質問を前に、大和は思わずたじろいだ。だが、仕方ない反応だろう。彼の手元には彼女が怪しむであろう答え以外ないのだから。


(……この世界は、たぶん僕がいた世界とはまるで違う異世界だ。ってことは『日本から来ました』なんて言っても通じないよな……。それ以前に聴いたこともない国名だろうから怪しまれそうだし……)


 それだけはなんとか避けたい。大和はそう思った。

 だが、嘘を吐くと墓穴を掘りそうだ。

 考えこんだ大和は、レイナが質問してから十数秒後―――意を決して恐る恐る口を開いた。


「……名前は、加賀大和。出身は、その……正直、覚えてないんです」

「カガ・ヤマト? 珍しいお名前ですね……どこの国にも、そのような音の名前は聴いたことがありませんが……国を覚えていないというのは?」

「……すみません。自分でもよく分からなくて……」


 レイナが重ねた質問にも、分からないの一点張りを貫く大和。

 これが彼の選択だった。本当のことを教えるのはもちろんだが、下手に話を造るのも得策ではないと判断して、知らぬ存ぜぬを決め込むのだ。

 だが、やはり無理があったのか、レイナは口元に指を当てたまま黙りこんでしまった。

 重苦しい空気が、部屋に張り詰める。大和も思わず喉を鳴らした。


「……溺れた影響で、記憶が飛んでしまっているのかもしれませんね。……分かりました。では、その点については思い出したら教えていただければと思います」

「は、はい」


 完全に信用されたわけではなさそうだが、どうやらこの場は切り抜けられたようだ。


「あと、もう一つお尋ねしたいのは、その革袋のようなものの中身ですね。怪しいものを船内に持ちこまれては困りますので。拝見してもよろしいですか?」

「わ、分かりました」


 大和は席を立ち、試乗イベントに背負っていったリュックの中身を一つずつテーブルに並べていった。入っているのは財布にタオルにスマートフォン、そしてタブレットなどだ。どれもなぜかまったく濡れていなかったのだが、もはやそんなことでは大和は驚かなかった。


「これはなんですか? やけに固いですね……鋼鉄製ですか?」


 荷物を順番に確認していたレイナがタブレットを手に取る。まるで正体が想像できないからか最初は怪訝けげんそうに睨み、それから恐る恐る、回したりひっくり返したり叩いたりした。

 ―――と。


「ひゃあぁっ!」

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