7.夜を駆ける(1)


「ねぇ。なにしたいのよ、きみは……」


 踏切の真ん中でしゃがみ込んだ上に、さらに顔を傾けているライカを見ているうちに呆れた声色が瑠衣の口からこぼれた。しかし、その動作を見る限り、ふざけてやっているようでもなさそうだった。


「違うな……もっと下?」


「なにがよ」


 さらに歩み寄って、ライカのつむじを見下ろす。

 瑠衣のことなど一向に気にしていない様子で、彼は両手を地面に着いた。


「おーい、質問に答えたまえよ」


「んー。もうちょっと……」


 ふぅと息を吐いた瑠衣は、彼と同じようにしゃがみ込む。ライカの見ている線路の先と彼の顔とを交互に見るが、瑠衣には彼が何をしているのかさっぱり分からなかった。

 結局、瑠衣は頬杖をつきながら、彼の "線路を見るだけ" が終わるのを待つことにした。何かに納得がいかないらしいライカは、どんどん頭を低くして、ついには地面に腹ばいになった。


「あ。ここだ」


「……だからね、なにをしてるんですか?? って聞いてるじゃない」


「構図的にどんなか、知りたかった」


「……なに、それ?」


「好きな写真があって、それってどうやって撮ったのかな……って」


「……へぇ」


 瑠衣には全く理解出来なかった。好きな写真は飾るものであって、どう撮ったかを考えるものではないと思うからだ。


「まあ……わかってよかったじゃないの」


「うん」


 呟いて立ち上がろうとしたライカが、珍しく「うあっ?!」と大声を上げて、パンパンと自分の身体の前方を両手で叩く。瑠衣にはその姿が、何かの儀式をしているように見えた。


「今度はなに? なにかのおまじない?」


「取れなかった、落とした……」


「落とした?」


「落とした……」


 切れてしまったらしい革紐を首から外した彼は呟き肩を落とすが、諦めきれない様子で再び屈んで、砂利の間を覗き込み始める。


 そして、瑠衣はハッとした。


「え、あの首にかけてたやつ? 落としたの??」


 その存在は瑠衣も気付いていた。ライカは常に、首から何かをぶら下げていた。まるで小学生が大事にする家の鍵のように、いつでもそれを持っていた。肌身離さずとはああいうことをいうのだろう。

 どんなときでもライカは頑なにそれを離そうとしなかった。ジロジロ見るのにも罪悪感があったし、質問してもきっと彼は答えないことが分かっていた瑠衣は、今までそれについて触れて来なかったのだ。

 

「それ、どこら辺に落としたん?」


「わかんない」


「見当たんない?」


 ライカは返事もせず、レールの脇を覗き込んだり、一生懸命に目を凝らしていた。くすわけにはいかないもののようで、瑠衣の声などまるで聞いていないようだ。


「なんか、輪っかみたいな……やつよね?」


「……」


「ねぇってば。あれってどんなものなの?」


「指輪」


「指輪? ……指輪ね。どっち行った?」


「わかんないけど、多分この辺……」


 ふたりで地面を這いつくばることおよそ三十分ほどだろうか。

 ジリジリと鳴く蝉に笑われているような気分になって、瑠衣は身体を起こした。アスファルトはまだ昼間の熱を帯びていて、顔を近づけるだけで暑い。目の下をそっと拭うと、じっとりと汗ばんでいた。


「あー、くっそ……。ない」


 暑いのはライカも同じようで、髪をかき上げた彼は鬱陶しそうに額の汗を拭う。いつもの瑠衣ならば、「誰のせいよ」などと言ってしまいそうなのに、不思議とそんな気分にはならなかった。ライカが必死なのが伝わってきたからだった。普段の生活態度が "どうだっていい" の彼が、珍しく焦っているのは瑠衣にも分かった。


「……もう、気をつけなさいよ。なんでそんな切れやすい紐を使ってたの?」


「今まで落としたことなんて……なかったから」


「そうでしょうけど……。なんか他の持ち方なかったの?」


 呟きながら、念のために振り返った瑠衣の目に、レールの溝にきらりと光るものが映った。


「あ!!」


「あった??」


 それに近付いた瑠衣は、がっくりと肩を落とした。それは缶の蓋だった。そしてこんなにも大量のゴミが落ちていることに腹が立ってくる。確かに探しているものは小さいけれど、それにしたって余計なものが多すぎる。


「缶の蓋だった。……やっぱ、こっちかな?」


「……瑠衣、あのさ」


 彼を見ると、下唇を噛んで、伏し目がちに呟くところだった。「なに?」と聞き返しても、彼は動かない。


「どうした?」


「……もういいよ、探さなくて。ごめん」


 両膝を着いて、拳を握りしめるライカが、明らかに瑠衣を気遣っているのが分かった。その言葉が本意でないことは、聞くまでもない。手首につけていたヘアゴムで髪をまとめると、瑠衣は気合いを入れて鼻の頭の汗を指で払う。


「冗談でしょ? こんなに探したのに? こういうのは見つけるまで探すの!!」


「……いや」


「ほら!! さっさと探して!!」


「じゃあ、先に帰っててよ。おれ、瑠衣の家わかるから、多分」


「ふたりで探した方が早く見つかるでしょ? いいから地面見なさい!」


「……だけど」


「大切なものなんじゃないの?」


 顔を上げ、ライカを睨みつける。諦めるのは簡単だ。だが瑠衣は、必死で石を動かしていたライカを見てしまった。「じゃあ、帰ろう」と軽く言うことも、彼を置いて家に帰ることも、瑠衣には出来なかった。


「別に、なくても死なない」


「よく言うわ。現時点でも死にそうよ」


 言い返すと、ライカは困ったように眉を下げる。きっと、そんなつもりはないのだろう。そんな彼から目をそらすと、瑠衣は再びしゃがみ込んで敷石をにらみ付けた。


「謝らなくていいの。ここで落としたんだから、ここにあるはずでしょ。見つけてから色々やってもらうから、とりあえず探しなさいよね」


 ライカの視線を感じつつ、線路脇の草の間を覗き込む。正直、瑠衣はこういった根性が試される種類のものは得意だった。短距離走は大した結果は出せなかったが、マラソンでは表彰されるタイプだ。いつだって一位にはなれなかったけれど。

 そんなことを考えながら、砂利という砂利をひっくり返し、これまで見たこともなかった枕木を至近距離で眺めても、ライカの言う、指輪は見つからなかった。


「……瑠衣。ホントにもういいよ」


 疲労の色を浮かべながら、彼は空を見上げて言う。いつの間にか朝の空気が辺りを包み始めていた。


「……はぁ。さすがに疲れたわね。ねぇ、なんで指につけてなかったの? 指輪なんでしょ?」


 少し休憩しようと、カバンの中のペットボトルを掴むと、それは水滴だらけになっていた。お茶を三分の一ほど飲み、地面に座り込むと、ライカにペットボトルを差し出した。それを受け取ったライカは、一気に飲んでしまった。相当、喉が渇いているようだった。


「……どの指にも入らなかったし、入ってもつけてたら学校で怒られるだろうし……」


「なんで入らない指輪を持ってるわけ?」


「……」


 視線をふっと逸らし、ライカは遠くを見つめていたが、ため息と共にその瞳を閉じる。まるで世界中の不幸を背負っているかのような大袈裟な吐息だった。


「形見……っぽいから」


「……っぽい?」


「おれさ……。瑠衣に色々聞かれても答えないっしょ? 答えたくなくて答えてないときもあるけど、知らなくて言えないこともあるんだ」


「……知らなくて『っぽい』なの?」


 彼はあぐらをかくと、後ろ髪を掻き回した。毛量の少ないライカの髪は汗でびっしょりだ。


「渡されただけからさ、おばさんに。おじさんにバレないように」


「……バレる?」


「おれ、嫌われてたからね。あのおじさんに。まぁ、もう関係ないけど」


 薄い笑みが張り付いた唇が、静かに呟いた。その目はとても寂しそうで、悲しそうで、でもどこか他人のことを語っているかのように、虚ろだった。


「なんだか……よくわからないわね……。形見っておじいちゃんのとか?」


 彼は迷うことなく「ううん、母親」と即答した。何ということもなさげなその言い方につられて、ふぅん、と言いかけた瑠衣は「あっ」と声を上げてしまった。先週だったか、彼のお母さんの話をしたときのライカの顔を思い出した。彼が急にうつむいてしまった理由が分かったのだ。


「そうか、それであのとき……。ごめんね……。私、親御さんいると思ってて」


「はは。普通はいるよ。おれんちが普通じゃないだけ。それに別に……こんなのよくある話じゃん?」


 瑠衣の視線に気付いたのか、卑屈に笑ったライカの横顔を眺めながら、そういうことはよくある、のだろうか? と考えた。親が離婚した同級生などは何人も周りにいたような記憶がある。だが「よくあることよねー」と笑って言えるような話ではない、と思い直すと、彼女はうつむいた。普通ではないのによくある話だ、というライカの矛盾がある発言に、少しだけ胸が痛んだのだ。


「なんていうか……。謝られても困るんだよね。みんなそういう……顔するし」


「そういう顔……してる?」


「してる」


「じゃあ……どういう顔したらいいのかしら」


「普通にしててよ。瑠衣がこの世の終わりみたいな顔したって、死んだ人間は生き返らないから」


 確かにそうだ、と瑠衣は思う。下手な同情は要らないということなのだろう、と必死で話を変えようと彼女は悩んだ。頭の中が真っ白で何も浮かんでこず、意味もなく「ねぇ……あのさ……えっと」などと繰り返していた瑠衣は、さっき思ったことをそのまま問いかけてみることにした。


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