第5話 トラブル・シスター

 食堂のソファに崩れるように座って、まどかはジッポライターの炎を眺めていた。

 昨夜――と言っても数時間前のことだが、コンビニで見た驚愕の事実が、今も鮮明に頭に焼きついていて離れない。


 死体が生き返って、生きた人間に襲い掛かる。そんな映画みたいな信じられない出来事を実際にこの目で見てしまった。コンビニから慌てて戻ってくる時も、霧の中で何体かの歩く死人と遭遇したが、その度に銀椿は刺又で冷静に対処して活路を開いてくれて、その小さな背中はとても頼もしく、彼女が言うように自分がのん気だったことを思い知らされてやるせなかった。


 そしてこれからのことを考えると絶望しか見えず、どんよりとした倦怠感に全身が支配されて何もやる気が起きない。

 何をすればいいのかがわからない。


 それでも柔らかに揺らめくオレンジ色の炎を眺めていると、ささくれだった気持ちも少しずつ落ち着いてくるようだ。

 どんな時でも炎はまどかの精神安定剤であり、大切な心の拠り所だった。

 炎を見つめていると、やがて母と幼かったころの自分の笑顔がぼんやりと見えてきて、そして顔も覚えていない父親のシルエットが二人を見守る姿が見えてくる。


 それはかって自分が手にしていたはずの安らぎの園なのだろう。

 父親の形見であり、母親の長年の愛用品でもある純銀で作られた特別なジッポは、今は娘の手へと受け継がれて、もっぱら優しい妄想を灯す発火装置として機能していた。


「もしかして先輩は不良娘さんなのですか……?」


 気が付くと、いつの間にか銀椿がソファの横に立っていた。言葉とは裏腹に顔は大して驚いていない。相変わらずの無表情だ。いや、さすがに眠たいのか、目がとろんとしている。


「銀さんほどじゃないわよ。座る――?」


 まどかがライターをポケットに仕舞って自分の横を指差すと、銀椿は何も言わずにちょこんと腰掛けた。

 てっきり断られると思っていたので、その以外な結果がまどかは嬉しかった。やはり、こんな時だからこそ誰か話し相手が欲しい。

 もしかしてそれはこの変わり者の後輩も同じなのだろうか……


「という訳で、先輩にも昨夜の出来事を通じて世界の現状をわかってもらえたと思いますが、それをふまえてこれからこの世界でどう生きていくのか考えが決まりましたか?」


「どう生きていくって……、やっぱりここで誰かの救助を待つしかないでしょ? 銀さんはどうするつもりなの?」


「私は行くあてもありませんから、ここに残ります」


 と、きっぱりと即答する。そして、


「でも、救助なんてそんなものは当てにしたって無駄です。ていうか、救助なんて来なくていいです。迷惑です。大迷惑です。私はここで誰にも邪魔をされず、私だけの王国を作り自立したサバイバルライフを送るつもりですから」


 それを聞いて、まどかは苦笑するしかなかった。変わっていると言うかなんというか。所謂、中二病というやつだろうか。


「つきましては、寮長さまにこの地に王国を建立する許可と、いくつかのご協力をお願いしたいのですが?」


「許可? そんなの好きにやればいいよ、寮長と言ってもただの臨時なんだし。あとなんの協力かわからないけれど助け合いは必要よね、二人しか居ないんだもん。で、なにを手伝えばいいの?」


 どうせ部屋に篭っていてもやることはない。適当に身体を動かしていたほうが気が紛れるはずだ。

 そんな軽い気持ちで答えたつもりだったが、まどかはすぐに後悔した

 銀椿の顔に珍しく笑みが浮かんだかと思うと、彼女は持っていた二冊のノートをローテーブルの上に広げて、興奮した口調で早口でまくし立てた。

 どうやら確実に何かのスイッチを押してしまったらしい。


「――このノートは、こっちの少し古くなっているほうが、兄と一緒に作った終末世界サバイバルノートでして、中は核戦争後、大地震、天変地異、ゾンビ発生、宇宙人侵略と様々な終末パターンごとに五つのカテゴリーに分かれていて、それぞれの事例にあった心構えから生活拠点となる基地の選び方や武器、食料の確保の仕方が書かれている私のバイブルです。で、こちらがバイブルを基に第一さくら寮を生活拠点に設定して制作したサバイバル計画書になります。まず私が悩んだのは、この生活環境壊滅的超広域視程障害と名付けられた霧と、ゾンビの発生が同時に起きた点です。バイブルではこの二点は別々に書かれていて、同時発生は想定していませんでしたから。これでは盆と正月が同時に来てしまったようなものです。先祖の霊を祀ればいいのか、新年を祝えばいいのか。でもそこは臨機応変に二つの対処法の中から、実際の状況と照らし合わせて有用と思えるものをチョイスして、それをもとに計画書を作成することで解決しました。ようは先祖の霊と一緒に新年を祝えばいいというわけです。まず可及的速やかに対処しなければならないのが食料の確保です。が、これはここ数日間、夜な夜な私がかき集めたものがありますので、先輩と合わせた二人分で計算してもゆうに二週間はもちます。在庫としては米が三十キロ、レトルトカレーが七袋、乾燥麺六袋、インスタントの味噌汁三食分、ツナ缶とサバ缶が二缶ずつに桃缶が一つ、その他スナック菓子類が五つです。あと寮敷地内の自転車置き場横に防災倉庫が設置されていて、当然施錠されているので中は確認できていませんが、恐らく災害用の非常食などが備蓄されていると思われます。先輩にはあとで寮長権限を行使してもらい、カギのかかった管理人室のドアを壊して備蓄倉庫のカギを探してもらいたいと思います。また調理場と塀の間には井戸があり、普段は使われていませんが災害時の飲料水確保のための細菌フィルター付きの手動ポンプが設置してあるのを確認済みなので、飲料水などの生活用水に関しても心配ありません。今のところ電気、水道のライフラインは生きていますが、恐らく数日内には機能しなくなると思いますが、以上の説明通り、ここに居る限り深刻な事態は回避できると思います。ただガスについては当施設はプロパンガスを使用しているので、炊く、焼く、煮る、沸かすについてはガス使用の制限を設けつつ、緩やかに他の方法へ移行していけば何も問題はありません。いまざっと説明したように、衣食住のうち食に関しては当面クリア。飲料水生活用水もクリア。次いで衣服についても寮という建物の性質上から、各寮生が残していったものを代用することでこれもクリア。最大の問題は住です。人気のない目立たない山の上に立ち、且つ周囲を高い塀に囲まれていることで対ゾンビに関してはベストな物件ですが、これが対人間となるとベストからベターへ格下げせざるをえません。一番憂慮すべきは防犯体制の脆弱性です。いくら門や塀があっても人間ならば梯子を使って簡単に乗り込まれてしまいます。本当ならば塀をあと二メートルは高くしたいところですがこの人数では無理なので、まずは敷地内にあるスクールバスを門の前へバリケード代わりに移動することと、侵入者を知らせる罠の設置、そして万が一敷地内に侵入されても建物内への侵入は阻止するために、一階のすべての窓へバリケードを設置しなくてはなりません。――というわけで、先輩もお手伝いお願いします!」


「は……マジでですか?」


「マジでです。先輩もさっき見ましたよね、あのゾンビたちを」


「見たことは見たけれど、でも……」


「先輩、一緒に私たちだけの王国を作っていきましょう。先輩は優しい人だから、先輩とならうまくやっていけると思います」




 三十分後――

 ジャージ姿のまどかは玄関にいた。

 昨日の銀椿同様に頭にタオルを巻き、エプロンに身を包んでいる。何故ならそれが彼女の注文だったからだ。ただゴーグルは用意できなかったので代わりに伊達メガネで済ませているが。

 下駄箱の横の姿見に写る自分の格好を見てため息をつく。


「私、なにやってんだろ? これがほんとにいますべきことなのか……?」


 ふと鏡に写りこんでいる校訓に目がいき、後ろの壁を振り返った。

 年期が入って薄汚れたフラスチックの板に書かれたさくら寮寮訓。


「常に誠実であれ。常に勤勉であれ。常に乙女であれ……か。はは、これが乙女かぁ?」


 そう自虐的に笑っていると、同じく完全防備した銀椿が現れた。


「お待たせしました」


「ねえ、ほんとにこんな格好する必要あるの? ちょっと大袈裟って言うか、変質者っぽくない?」


「大丈夫です。誰もそんな他人の格好を気にする余裕なんてありません。それにゾンビに襲われた人がゾンビ化するということは、未知のウイルスが直接感染や経口感染している可能性が高いですから。たとえゾンビに噛まれなくても、ゾンビを殺すときの返り血が目や口にかかるだけで感染するかもしれません」


「え? え? えええーっ、ゾンビを殺すなんて絶対無理無理無理無理無理っ。やっぱり私いかない!

「そりゃゾンビと言えど、ついさっきまで生きてた人ですから抵抗はありますけど、それでも生き延びるためにはいつかは通らなければならない道です――と、偉そうに言ってみても私も まだ経験はないんですけど。とにかく、夜な夜な外出していた私が、ゾンビを一体も殺すことなく無事でいられたんです。大丈夫ですよ先輩」


「ほ、ほんとに……?」


「はい。あとは慣れるだけです。それとゾンビは反射が鈍っているのか、刺又で一押ししてやるだけで以外と簡単に転びます。たぶん刺又を認識出来ていないのか、刺又を掴んで抵抗してくることもありませんから。あ、これ先輩のぶんです」


 そう差し出された刺又をまどかは渋々と受け取った。刺又は防犯用にもともと寮内に設置してあったものだ。


「それなら大丈夫かな……って気がしてきた……と思いたい」


「それにゾンビは動きも鈍いですから。全力で走れば振り切れるのは昨日のコンビニでも実証済みです」


 と、こけし人形のようなシルエットの中二病の中二の後輩は自身満々に言い切った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る