73話 悪魔の誘い

「どうだい、一枚噛んでみないか、少年」


 まるで契約を持ちかける悪魔のようだった。


 炎の悪魔。もしもこの場に詩人がいたら、彼女をそう例えたかもしれない。


「噛んでみないか、と言われてもねぇ。中身を教えてもらわないと、『ハイ』とは言えないかな。毒味をさせずに食べ物を口にする王なんていないよ」


「ごもっとも。何、簡単なことさ。弔い合戦をしようじゃぁないか」


 弔い合戦。きっとオルティラはチューネズ亭のことを言っているのであろう。喪失から一刻も経っていない。早すぎる誘いであった。


「キミがそんなに衝動的な人間だとは思わなかったよ」


「矜持の問題なのさ、ボク」


 ガツン、とオルティラの大剣が石畳を叩く。


「分かってくれるだろう、カーン殿。想像してみたまえよ。愛すべき主人が殺されたら、その名誉が穢されたら。復讐するなと言われて、黙って従えるか? 従順でいられるほど出来たタマじゃないだろ。それと同じさ」


 飄々とした雰囲気が一転し、剣呑とした眼光を湛える。


「大事なモン傷つけられて黙ってんのは、戦士の名がすたる」


 大切なもののため、己のコケンのため剣を握る。粗暴だと無骨だと、誰が彼女を笑えようか。彼女は紛れもなく、生粋の騎士であった。


 その真摯さに、思わず言葉を失う。


「話は分かった」


 切り出したのはカーンだった。


 彼とオルティラは似ている。守るために剣を握る、そういうところで同調したのかもしれない。しかしカーンとオルティラには決定的な差がある。


「だからこそ、俺はお前に協力しない。リオ様にも協力はさせない」


 そう、過保護である。想い慕うがあまりの過保護。どこぞの魚人族の青年風に言うならば“忠犬”だ。


 それが鬱陶しくもあり好ましくもあり、彼の象徴とも言える。


「俺は俺の命よりもリオ様を大切に思っている。何度も何度も窮地を救っていただいたからこそ、今度こそ、その生を守り抜く。他でもないリオ様に、そう誓ったのだ。……それに、今は厄介なのもいるしな」


 厄介なの、とは間違いなくニーナのことであろう。ちらりと彼女に目をやれば、ニーナはぽかんとした様子で赤い瞳を見上げていた。


「消えろ。お前の提案は飲まない」


 唸るカーン。オルティラはじっとその目を見つめていたが、やがて観念したように、あるいは安堵したように肩を竦めた。


「ま、そう言うと思ったよ。むしろそう言わなかったらすぐにでも脳天かち割るところだった。……変わりなさそうで安心したよ、カーン殿」


 二人には浅からぬ因縁がある。それが先に訪れた砂漠で結ばれたものなのか、それともそれ以前から続くものなのかは定かではないが、あのカーンが危険視するほどなのだ。多分、何かを察知したのだろう。


 戦士特有の、あるいは彼女特有の内に秘める毒牙か何かを。


 僕には別段悪いヒトのようには見えなかったけれど、と剣呑と目を輝かせる相棒を見上げ、次いでオルティラへ視線を戻す。


「ところで、どうしてオルティラはそんなことを? カーンの答えが分かってるなら、わざわざ問いかける必要なかったんじゃ……」


「イイ話を持って来たと、そう言っただろ?」


「それ、弔い合戦のことなんじゃないの?」


「まあ、それも一部ある。けど、それは私らが得するだけだろう。アンタらに参加する利点はない。断られて当然さ。だけど、この『落雷』と墓場泥棒が関係していたとしたら、流石に無視はできまい?」


「関係してる……だって?」


 それは確かに聞き捨てならない情報だ。


 僕たちは“人避けの森”、ひいては〈兵器〉の情報を得るために墓場泥棒を追っている。それと今回の『落雷』が関係しているとなると、至極厄介なことになるだろう。


 犯人の目的が定かではない以上、この産業祭という期間において多大なる損害を出す可能性がある。しかしオルティラの言葉は荒唐無稽にしか思えなかった。


「接点がなさすぎる。流石にそれは考えづらいよ。墓場泥棒と雷には関係がなさすぎる。目的が分からない。第一、雷を落とす魔術は――」


「かの英雄の血縁が、この街を訪れているんだって」


 雷が、落ちた。いや、それほどの衝撃であった。数多の言葉が浮かんでは消え、呻きとも喘ぎとも定まらない音がもれる。


「だ、だって……」


 ようやく口にした音は、ひどく頼りなかった。


「だって彼は……子供、いなかったはずだ……」


「血縁と、そう言っただろう? 詳しい話は私も分からないが、そういう噂が流れてる」


 落雷の魔術を用いた英雄。その英雄と同じ血を引く何者かの襲来。この二つを引き合いに出すこと、その意味は明らかだった。オルティラはこう言いたいのだ。


 と。


「魔術は血じゃない」


「否、血統さ。王の子はいずれ王になるし、魔術士の子は魔術士だ」


「血じゃないんだよ! キミは……キミも、彼を犯罪者だと言いたいのか!」


「落ち着きたまえよ、ボク。何も犯罪者の血縁は犯罪者だと言いたいわけじゃない。むしろその逆さ。世論は『落雷』に傾いている。しかし私にはそう見えなかった」


 たとえマスターがそれを先導していたとしても。そう口にするオルティラは、その目に寒々とした眼光を湛える。


「どうだい、ボクにとっても朗報だろう? かの英雄が用いた雷と血統、その汚名を濯げるのだから」


「リオ様、ご英断を。この女に飲まれてはなりません」


 そうだ、落ち着け。外套を握り締めて深呼吸をする。


 得体の知れぬ女戦士オルティラ。彼女が何を思って英雄の名前を出してきたのかは分からないが、やはり彼女は危険だ。僕が間違っていた。無害だなんてとんでもない。


 彼女は何かを知っている。何かを知って、明確に、目的を持って僕たちに接触してきている。


 気味が悪い。


 深まる懐疑が顔に出ていたのか、オルティラはその妖艶な唇を愉快そうに歪めた。


「改めて訊こう。弔い合戦――私に協力してくれないか、リオ」

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