18話 ただいま
昼を過ぎて、最後の探索に満足した僕たちは、ようやくプランダたちの家を叩いた。
返事はない。代わりに勢いよく扉が開かれ、血相を変えたディアナが出迎える。
彼女の目元は、今でも腫れぼったい。一晩中泣き明かしたと言わんばかりだ。気丈な彼女はどこへ行ってしまったのか。僕の胸がチクリと痛んだ。
「ただいま、ディアナ」
言い掛けたその時、突然僕の身体が温もりに包まれた。
「ディ、ディアナ!?」
膝を付いたディアナが、僕を抱き締めていた。
彼女の肩は震えていた。親とはぐれた子供のように、助けを求める幼子のように、少し荒れた手が、僕の服に縋っていた。
「……心配掛けたみたいだね。ごめんね」
僕と同じ位置にある頭。それは一向に持ち上がらない。
慰めてあげるべきなのだろう。しかし、がっしりとディアナに固定されてしまった両腕は、持ち上げることすら叶わなかった。
「ディアナ。リオ殿が困っていらっしゃるでしょう」
家の中から聞こえてくる老婆の声。それに面を上げた女性は、ようやく腕を緩めた。
「あ……ごめんなさい、リオ君。苦しかったでしょう」
「ううん、大丈夫だよ」
余程心配したのだろう。ゆるゆると首を振った彼女は、名残惜し気に僕の後頭部に指を這わせた。
よくよく思い返してみれば、ディアナには碌な説明をせずに出発してしまった。
彼女が寝入る頃に街を出たのだ。夢の世界を漂う間に仕事は済むと予想を付けて、僕たちが夜の砂漠へ出掛ける理由を、然程詳しく説明することはなかった。説明すれば、余計な気を揉ませる。そう思ったのだ。
それでも当時の彼女――幼馴染を失った彼女の心境を配慮すると、それは得策ではなかったのかもしれない。
申し訳ないことをしてしまった。棘の生えた罪悪感が、僕の痛めつける。
「おお、帰って来たのか、二人とも」
朗らかな声と共に、薄暗闇の中から男が出て来た。
彼は先日の、行方不明者捜索時に砂虫の毒に侵されたはずだが、もう良くなったのだろうか。心配する僕の一方ベンノは直立し、黄ばんだ歯を見せていた。
「ベンノ、元気そうでよかった。痺れは残ってない?」
「お蔭さまで。いやぁ、医者も驚いてたぞ。何でも、砂虫の毒を受けた人間は、俺が初めてなんだと。それに回復も早いしで、軽く引かれてた」
「初めてだったんだ。それなら、手を出さずに検体として提出した方がよかったかな?」
「医者は、その方が有り難かったかもな!」
元気な笑声を響かせるベンノ。それに釣られて、僕の口角も持ち上がる。
彼の体調は、言葉の通り、すっかり良くなったようだ。再び彼の笑顔を見ることができてよかった。僕の胸は湧き出る安堵に満たされる。
「ま、とりあえず入れよ。疲れただろう、ゆっくり休め」
ベンノに促されて、僕とカーンは、もはや見慣れたものとなった部屋に足を踏み入れた。
どこからともなく漂う甘い香りも、散らかる机も、今や違和感なく受け入れることができる。
それも明日で終わりなのか。そう考えると、どうしても名残惜しい。もう少しだけここにいたい。忌避すべき未練が、僕の中に芽生えた。
「おかえりなさいませ、リオ殿、カーン殿」
いつものように椅子の上に蹲るプランダは、のろのろと頭を下げた。小さな知識の山は、白髪の奥で密かに笑っていた。
「ただいま、プランダ。申し訳ないんだけど、あと一日だけ世話になってもいいかな?」
「ええ、ええ。勿論ですとも。お好きなだけ使ってください。代わりにリオ殿。また物語りをしていただけませぬか? カーン殿でも歓迎いたしますぞ」
物に埋もれた老婆は、ホホホと身体を揺らす。相変わらず貪欲な人だ。僕はもちろん、それを快諾した。
その夜、僕はなぜかディアナと同じ布団の中にいた。
事の発端は、先程にまで遡る。
食事を済ませて、身体の汗を拭き、荷物を纏め、いつものように「物語り」を終えた時、ディアナが声をかけてきたのである。
最後だから、一緒に寝てほしい、と。
もちろん僕は断った。ディアナは女性だし、夫や子供がいるとも聞いている。僕と同衾することは、不倫や浮気の類に当たるのではないか――そう気が気でなかった。
とはい言え、僕がそういう目で見られているとは想定の範囲外であり、ディアナにそのような趣味があるとも、到底考えられない。ただ、万が一がある。僕はそれが怖くて仕方なかった。
あれやこれやと思案する僕の一方、ディアナは非常に穏やかだった。フードを被ったままの頭の上を、優しい手が行き来している。それでも僕の緊張は鎮まらない。閉じた手の中は、じっとりと湿っていた。
「寝る時もこれ、被っているのね。邪魔じゃない?」
後頭部に優しい声が当たる。カラカラになった喉を唾液で潤して、僕はようやく応じた。
「お、お父さんとの、約束だから……」
「そう。お父さんの言いつけを守れて、偉いね」
「怒られるんだもん。ちゃんと守らないと」
「ふふ。リオ君、本当に大切にされているのね」
「……うん、知ってる」
僕は知っている。カーンは、世界中の誰よりも僕を大切にしていると。それは紛れもない事実だ。彼が抱く感情は友人や家族、君主、あるいは恋人へ向けた類であるかもしれない。
どんな形であれ、彼が――最も僕を知る男が傍にいてくれるならば、僕にとって、これ程嬉しく、また安心できることはない。
それを思い返して、僕の胸は恋しい気持ちでいっぱいになった。
僕の爪が手の平に食い込む。力の籠るそれに、ディアナの温もりが乗った。僕の肺が、鋭い息を取り込む。半ば抱き締められた身体は、この上ない緊張を訴えていた。
「私にもね、リオ君と同じくらいの年頃の子供がいたの。もう……十歳になるのかな。生きていれば、だけど」
沈んだ静かな声。僕は応えられない。すっかり乾いてしまった喉は、なかなか言葉を成さなかった。
「リオ君。これから先、いろいろな事が沢山あると思うけど、お父さんから離れないようにしてね。リオ君にもカーンさんにも、私みたいな思いはしてほしくない」
「……うん。気を付ける」
僕は頷く。ディアナの静かな息が笑う。僕を撫でつける母親は、子守歌の如く囁いた。
「いい子だね――」
全身を鳥肌が走った。それはきっと、僕を見守る視線に感付いたからではない。それが何を起因とするのか、僕には分からなかった。
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