第百二十四話 アンフィテアトルムの宴
ハティ達が、都市型魔法防壁が破壊されるのを目撃する少し前――
闘技場の中央に設置された処刑台の上に、ユリアナは居た。
両足は床から伸びた鎖に繋がれ、両手には鋼鉄の手枷が嵌められている。
そのどちらも
しかしユリアナがそれを実行に移さず、大人しく拘束されている理由は二つあった。
一つが胸に装着された
衛兵の話によればメイの首輪と同じ原理で、魔力を少しでも感知すれば雷魔法が発動して装着者を焼き殺すらしい。
そして二つ目の理由は客席にあった。
ヴォルティスはこの国の貴族や民の前で処刑を行うと言っていたが、今目の前で続々と客席を埋め始めている人影は見るからに異様だった。
貴族らしい整った身なりの者から、商人らしいヒト族に獣人族、そしてリザードマン族、その誰もが頭から二本の角を生やして、生気のない顔を浮かべていたのだ。
その異変は城からずっと見張り役をしていた兵士たちにも及んでいて、いつの間にか彼らも二本角を生やして焦点のあっていない視線で処刑台の周りに突っ立っていた。
――一体この異様な状況はどういうことなのか……。この国で何が起きていると言うのだ……
だからユリアナは動かなかった。
動くとすれば、処刑される寸前の一瞬。
救けが来ようが来まいが、その瞬間に動こうと覚悟を決めていた。
そして角を生やした異様な民衆が、徐々に客席を埋めていく様を複雑な思いで見ていると、ふと上空の異変に気が付いた。
「うん――?」
鳥にしては大きな影が魔法防壁の上を飛んでいるかと思えば、防壁の一部が丸く開いて――
バリバリバリッ!
と、激しい稲光と共に、人影が目の前に舞い降りた。
しかも両脇には見慣れた顔の老人と、始めて見るイヌミミの青年を抱えているではないか。
「――お父様!? どうして!? いや、そんなまさか……!」
ヨーグルの顔を見て絶句するユリアナ。
それだけでも混乱するのに十分な事実だったが、ヴォルティスが空を飛んできて雷と共に着地して見せたことが、より混乱に拍車を掛けていた。
そんな狼狽しきっているユリアナを見て、ヴォルティスはさも楽しそうに顔を歪めた。
そしてヨーグルとアルテオンの二人を乱暴に足元へ放ると、処刑台を上がってユリアナに歩み寄った。
「くく、随分と可愛らしい顔もできるではないか。ユリアナよ、お前を民の前で処刑するつもりだったが状況は変わった。最早そんな小細工など必要もない程に、俺は力を得た。もうこの国のあらゆる物が俺の意のままに動く。だから一つ提案をしよう」
「て、提案……?」
「ステラヘイム国王とアルテオンの二人は、お前の処刑の代わりとして余興のために連れて来た。しかしお前の心一つ次第で、ステラヘイム王は見逃してやってもいいぞ。どうだ、受け入れるか?」
そのヴォルティスの提案をすぐに察したユリアナは、露骨に眉根を寄せて侮蔑の瞳で睨んだ。
しかし余計にヴォルティスの嗜虐心は刺激されたようで、満足そうに高笑いをした。
「ぐははは! ユリアナよ、よく考えてみろ。ここでどれだけ拒もうが、これから先、お前を無理やりに抱く時間は幾らでもあるのだぞ。どれだけ意地を通してみても、どれだけ抗ってみせても、最終的にお前は俺に征服される道しか残されていないのだ。だからこそ、そんなお前の最後にして、眩しいまでの義強に免じて接吻だけで許してやろう。命乞いをしながら、お前が自ら俺に接吻してみせよ。さすれば父親の命は見逃してやる。たったそれだけの事をするだけで、お前たち父娘はこれからも俺の庇護の下で生きながらえる事が出来るのだぞ? さあ! さあさあさあさあっ!」
両手を広げて三白眼を血走らせて叫ぶヴォルティス。
その十指はもどかしそうに空を揉みしだいている。
「ユ、ユリアナよ、そのような下劣な男の言葉に耳を貸す必要などないっ。わしはお前の為なら命などいらぬのじゃ。だからユリアナよ、我が可愛い娘よ、どうか、どうか自分のことを一番に考えておくれ……!」
処刑台の下で地べたに這いつくばっているヨーグルが、沈痛な面持ちで哀訴嘆願した。
その横ではアルテオンがヨーグルを気遣いながら、「ユリアナ様、どうか冷静に――」と諭すように呼び掛けていた。
ユリアナはそんな二人から逃げるように視線を背けると、両目を閉じた。
そしてしばらくの逡巡の後で、ヴォルティスに向かってゆっくりと一歩踏み出した。
その瞬間、流石のヴォルティスも思わず口から粘り気のある吐息が漏れた。
「ぐぬぬ…こほぅ」
広げている両手が更に広がる。
空を激しく揉みしだいてる十指の動きが更に速ま。
その動きは最早、何か気味の悪い昆虫を連想させた。
そして眉間に深く皺が刻まれたまま、ユリアナの体はゆっくりとヴォルティスの胸元へ吸い込まれていく。
ユリアナは恥じらいと躊躇いが入り混じった顔で、ヴォルティスの胸板に両手を添えるとそっと見上げた。
その憂いと覚悟に染まった紅い双眸を見た瞬間、ヴォルティスは柄にもなく呼吸をするのも忘れて、腕の中の麗しき存在に魅入っていた。
「私はこのように殿方の胸に体を預けるのも初めてなのです。しかしこうすることでお父様の命が助かるのならば、喜んでこの身を捧げましょう……」
その言葉を聞いたヴォルティスは、今にも昇天してしまいそうな程の至福の表情を浮かべそうになりつつも、威厳を保つために必死に顔面に力を入れて堪えていた。
しかし、次の瞬間にはその表情が一瞬にして強張っていた。
突然何かの強い力によって体が固定されたからだ。
それはユリアナの
「ま、まさか、腰のそれは腕だったのか!?」
それまで折り畳まれて格納されていたアームを見て、装飾の類いか何かと思っていたのだろう。
自分の腰をがっつりと掴んで離さないフレキシブルアームに、ヴォルティスは激しく狼狽していた。
そして、
「このアームは私の意思で動きます。その動力源は魔力です。さすればこの胸の拘束具は厭でも反応するでしょう! 私にこの拘束具を付けたのが間違いでしたね。あなたにキスをする位なら、私は死を選びましょう――!」
その言葉通り、ユリアナの胸に見える
「ユリアナ、謀ったなっっっ――!」
怒り心頭に目を剥くヴォルティス。
しかしその顔は眩いほどの光に呑み込まれて見えなくなった。
魔法石が発する光は一瞬にして最高潮へ達すると、
バシュン!
と、ユリアナとヴォルティスの間で激しい
衝撃で二人の体は処刑台の下まで吹き飛ばされる。
ヨーグルとアルテオンは血相を変えて、仰向けで横たわっているユリアナの元へ駆け寄った。
「ユ、ユリアナ! ああ、わしの為にこんな無謀なことを……ユリアナよ、目を覚ましておくれ。わしが助かっても、お前が死んでしまっては元も子もないだろうに……!」
ヨーグルは倒れたままでいるユリアナの体を何度も揺すって声を掛け続けた。
すると、ユリアナが突然「ぶはっ」と呼吸を再開させて飛び起きた。
しかし気が動転しているらしく、ヨーグルとアルテオンの顔を見て訝しそうな表情を浮かべている。
「――ユリアナ、わしじゃ。わしのことがわかるか!? お前はわしを助けようとヴォルティスの目の前で、胸の
「こ、これは……」
ヨーグルの説明を聞いているうちに記憶が少しずつ戻って来たユリアナは、自分の胸元を見て目を丸くした。
何故ならば、
しかしそれだけ強烈な衝撃を受けつつも、中の衣類と肉体にこれと言った損傷も汚れも見られなかった。
強いて挙げるならば、爪の先ほどのスーツの小さな欠片が、幾つも衣服に突き刺さっている程度だ。
「さすが
「なんと!? それはタイガ殿の鎧であったか!? いやはやなんとも……。さすがじゃ。タイガ殿さすがじゃ……!」
と、ヨーグルは腰が抜けそうなくらいに感心と安心をしている。
しかしユリアナはふと周囲の気配を察して立ち上がった。
既に処刑台の周囲に居た衛兵たちが、三人を取り囲んでいたからだ。
そして客席に居た観客たちもブーイングのような不満そうな声を一斉に上げたかと思うと、続々と闘技場へ飛び降り始めていた。
「お父様、アルテオン殿下、私から離れないでください」
「いえ、私は自分の身は自分で守れます。どうか私めのことは気にせず、姫王子様は陛下を守る事だけに尽力ください」
と、アルテオンは懐から短剣を取り出した。
ユリアナは何かを言いかけたが、言葉を飲み込んで無言で頷いた。
――腰のフレキシブルアームはまだ動く。しかし衛兵を始め観客までもが様子がおかしいのは一体……。それにヴォルティスは――?
ヴォルティスの姿を探すと、まだ地べたに横たわっていた。
しかし
――ヴォルティスは不思議な魔法で空を飛んで来た。恐らくしばらくすれば、動けるようになる可能性が高い。それに様子のおかしい観客が約五千人。この群集に完全に包囲されてしまうと厄介だ。ならばヴォルティスが動けない今のうちに、この包囲網を突破せねば――
ユリアナは腹が決まると、即座に行動に移した。
疾風迅雷の動きで前方へ飛び出すと、最初の衛兵のボディにフレキシブルアームを叩き込んだ。
そして残ったもう一つのアームで後方へジャンプ。
着地と同時に二人目の脳天をアームが叩き割る。
と、同時に近くに居た三人目の腹に、ユリアナの蹴りが吸い込まれていた。
そして襲い掛かって来た四人目を、アームが掴んで投げ飛ばしているうちに、もう一つのアームが三人目に止めを刺し、同時に五人目をユリアナが足払いで倒す。
最後は手の空いたアーム二本が五人目に止めを刺すと、ユリアナは呆然としているヨーグルとアルテオンの元へと戻った。
時間にして僅か一分足らず。
「囲まれたら厄介です。今のうちに闘技場の外へ――」
と、ユリアナが二人を先導して出口へと向かった。
しかし群集の動きは思ったよりも早く、出口の前は先回りした集団によって塞がれてしまう。
――どうする!? どこかに突破口がある筈――!
あっという間に全方位三百六十度が群集の波に埋め尽くされている。
それでもユリアナは諦めず、ヨーグルとアルテオンに向かってフレキシブルアームを伸ばした。
二人の体を群集の頭越しに客席まで飛ばして、その後に自分が続く算段だった。
しかし、その時――
頭上に見える都市型魔法防壁の表面を、幾つもの爆発が同時に起きた。
何事かと見上げると、更に大きな二つの爆発が同時に起きたかと思えば、魔法防壁は粉微塵になって吹き飛ぶではないか。
そしてキラキラと上空を舞い散る魔法防壁の無数の破片に混ざって、力強い雄叫びが聞こえて来た。
その声が今この時、この状況でどれだけ心強いか。
「マイケルベーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイ!!!」
直後、空中に突然出現する黄金色に輝く巨大な防壁群。
防壁群はドスンドスンと、ユリアナたちの周囲を取り囲むように着地する。
そして、
BRYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!!!
BRYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!!!
と、最強にして最恐の銃弾のハリケーンが群集に降り注いだ――
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