第百十五話 シスターズバトル

「見つけたぞ、糞ババア……!」


 ヒルダはゴーレムスーツの両手を伸ばすと、一緒に落下していた瓦礫群に次々と触れた。

 すると岩の欠片たちは、見る見るうちに三叉槍トライデントへと変形していくではないか。

 そして空中を落下し続けているヒルダの周囲には、一瞬にして十数本の三叉槍トライデントが出現した。

 

 ヒルダはそのうちの一つを掴むと、渾身の力でロウマの背中に向かって投げつけた。

 闇の中を一直線に突き進む鉄色の三叉槍トライデント

 最下層から届く貯光石の光を受けて淡く輝く軌跡が、見事に左の翼を貫いた。

 そして僅かに遅れて、二投目が右の翼へ――


 そこで初めてヒルダの攻撃に気付いたロウマだったが、二つの翼に開いた穴のせいでバランスを崩して、空中でじたばたと犬掻きでもするみたいにもがいた。

 そこへ次々と追撃の三叉槍トライデントが、嵐のように降り注いだ。

 ロウマの手足が無残に捥ぎり取られる。

 更に容赦なく背中にドスドスッと音を立てて突き刺さっていく。

 そしてそのままロウマの体は力尽きたように落下していき、激しく奈落の底に打ち付けられた。


「やったか――!?」


 ヒルダのゴーレムスーツは、手首から足首に掛けた体の側面に鉄色の粒子が広がったかと思えば、まるで飛びネズミのような皮膜を形成して、暗闇の中を滑空して難なくロウマの眼前へと着地した。

 体感的には優に五千メルテメートルは落下した筈だったが、土の上に臥しているロウマがまだ原型を留めているのを知って、ヒルダは呆れたような薄笑いを浮かべた。


「あれだけの高さから落ちても、まだ生きているか……。やり切れないな……」


 しかし周囲に飛び散っている血液と肉片の量からして、落下の衝撃で内臓のほとんどは潰れているだろう。

 それに三叉槍トライデントの刺創も、かなりの深手を与えている筈。


「さすがにそこまでの傷を負ったら、神速治癒でも効かないか……」


 ヒルダはゴーレムスーツを解除して砂鉄に戻す。

 そしてボロボロの、ただの肉片になりつつあるロウマの前に立って、血を分けた四番目の姉をじっと見下ろした。

 その瞳には怒りも後悔も憐みもなく、ただ目の前で消え行く命の灯に照らされた弱々しい光だけがあった。


「何故、父様はお前みたいなクズのために……。あれほど賢明だった父様が、お前ごときが立てた計略に嵌められたなんてどうしても信じられない。でも、それが親と言うものなのか……。だったら、私はどうすればよかったんだろうか……」


 すると、ほとんど原型を留めていないロウマの顔らしい部分で、どうやら口らしい部分が何かを言いたそうに、パクパクと開いたり閉じたりしている事に気が付いた。

 ヒルダは片膝をついて、掠れた声を聞き取ろうと顔を近付けた。

 その次の瞬間――

 突然、傍らの地面が盛り上がったかと思えば、地中に身を潜めていたロウマが姿を現して、ヒルダの顔面に強烈な右拳を叩き込んだ。

 

 完全に虚を突かれたヒルダの体は、勢いよく地面を転がっていく。

 そして起き上がり様に両手を地面についてゴーレムスーツを形成しようと試みた。

 しかし後を追ってジャンプしてきたロウマに、僅かの差で馬乗りになられてしまう。

 しかもその体は既に五メルテメートル程に巨大化していて、逃げ出そうにもロウマの体はびくともしなかった。


「お、お前……まだ生きていたのか!? でも、どうして!? 確かにお前の体は私の目の前で地面に叩きつけられた筈――!? まさか、父様の……!?」


 ヒルダはそこまで言いかけて、何か心当たりがあったようで、激しく動揺しながらロウマを見上げた。

 ロウマは痩せ細った骸骨のような顔をニタニタとさせて、饒舌に語りだした。


「ぴひゃあ。そうだよぉ、父様の肉体変質系の分裂魔法さ。私は父様に可愛がられていたし、魔法の系統も同じだったから、幼い時はよく手ほどきを受けたものだ。勿論父様みたいに、何千もの分裂体を生み出してコントロールするなんて芸当は無理だったけどね。私は父様みたいにはなれなかった。本当に父様は偉大だったんだ……」


 つまりヒルダが空中で見つけたロウマは、魔法で生み出された分裂体だったと言う事だ。

 それを囮にしてロウマは暗闇に紛れて易々と着地すると、地中に潜って神速治癒で傷の手当と体力回復に励んでいた訳だ。


「ふひひ、あと一つ、お前に言いことを教えてやろうじゃないか。父様の無断出撃に続いて、お前の身勝手な行動のせいで、我が一族の信用は完全に失墜してしまった。魔王様の怒りはお前の暗殺指令だけで収まるはずもなく、母様は投獄された挙句に、兄弟の何人かは重要な役目を外されてしまったよ。こうなったのも全部お前のせいだ、ヒルダァ。お前の安っぽい義憤と、いつまでも親離れできない甘っちょろさが、我が一族をここまで貶めたんだ。ねえねえ、今とんな気持ちぃ!?」


「う、嘘だ……! 母様が投獄されただなんて、嘘だっ……!」


「よく考えて見ればわかることだろう……? 度重なる一族の失態を魔王様が許してくれると思うのかい? でも、心配しなくていいんだよー。私が邪神魔導兵器ナイカトロッズを持ち帰りさえすれば、きっと母様の釈放くらいは許されるはず。出来損ないの可愛い妹の後始末は、ちゃんと私がしておくからね。だから安心してここで――死に晒せ、糞ボケビッチがあああああああああああ!」


 ロウマは拳を大きく振り上げて叫んだ。

 ヒルダも絶叫した。

 それは自身への怒りであり、ロウマに対する怒りでもあり、この絶望的な状況への怒りの叫びだった。


「ああ、悔しいかい!? 悔しいだろ!? 悔しいよなぁ! でも、それがお前の限界なんだよ! お前は私に立て付いた。あろうことか、姉の私に牙を剥いたんだ。それは死をもって償わなければならない重罪さ!」


 ロウマは高笑いしながら、岩のような拳を振り下ろした。

 ヒルダの顔と同じ大きさをした拳が、容赦なくヒルダの顔面を打ち抜いた。

 右、左、右、左と拳が顔面を激しく打ち抜く毎に、鮮血が飛び散り、ヒルダの顔が歪んでいき、頭が地中へめり込んでいく。


「そうさ! お前の読み通り、父様をこの大陸へ呼んだのは私だ! 威力偵察対象の稀人マレビトは化け物過ぎて、私一人では死ぬのは確実だった! だから手紙で父様に泣きついたら、すぐに飛んできてくれたよ! 父様はずっと要領も器量も悪い私を気にかけてくれていたからね。でも、私は稀人マレビトとの戦いには参加しなかったよ。何故だって!? そんなの割に合わないからに決まってるじゃん! 死んでしまったら元も子もないじゃん! だから、父様には私の駒として犠牲になってもらったんだよ。父様は散々いい思いをしてきたんだから、娘の為に犠牲になれて本望だったろうよ。でも、それがそんなに悪いことなのか!? お前に命を狙われるような悪いことなのかい!? この世界は弱肉強食なんだ。私みたいに才能もなくて醜い女は、こうでもしなきゃ生き残れないんだよ! それがそんなに悪いことなのか!? ええ、答えて見ろ、九十九番目の妹よ。私にだって、こんなに醜くて、兄弟から馬鹿にされて、周りから笑われ続けてきたこんな私にだって、がむしゃらに生き残る権利はあったっていいだろうがっ!」


 ロウマは泣いていた。

 骸骨のような顔を更に醜く歪ませて、大粒の涙を流しながら汚い顔で拳を振い続けた。

 ヒルダはその拳を顔面に受けながら、朦朧とする意識の中で死を漠然と予感していた。

 そしてロウマの汚い泣き顔を見上げながら、虫けらのように矮小で醜い姉に殺されることに一抹の無念を感じていた。

 しかし顔面に広がる苦痛のせいで、思考も感情も暗い闇に落ちていくようにはっきりとしなかった。

 

――もう、どうでもいい……。このままゆっくりと眠りたいよ。父様、母様、私はもう疲れたよ……。私とロウマのどちらが正しいのか、私にはもうわからなくなってきた……。父様の真意はどうだったんだろう……。母様、最後まで私のせいで迷惑をかけたことを許して……


 ヒルダの全身から空気が抜けるように、一切の力が無くなりかけた時。

 ロウマの遥か頭上、竪穴の漆黒の暗闇の中に、薄らと朧げな影が見えた。

 それは一つだけではなく幾つも見え、次第に輪郭がはっきりと見えてくる。

 人のように見えたシルエットには尻尾と翼があり、一つと思った影が暗闇から次々と現れて、円を描きながら急降下してくる。

 その影は――


――リザードマン……? どうしてこんな所に……?


 暗闇の中から降って来たリザードマンたちの背中には大鷲のような翼が生えていて、ヒルダ達の周囲に華麗に着地した。

 突然現れた十数体のリザードマンの姿に、ロウマが驚きの声を上げた。


「な、なんだい、お前たちは――!?」


 しかし周囲を取り囲むリザードマン達から一斉に投げられた鎖が、ロウマの巨体に絡みついて自由を奪った。

 ロウマは巨体を活かして力任せに鎖を解こうと力むと、その頭の上に一つの影が着地した。

 それは一番最後に暗闇の中から降下してきたマキナだった。


「お前はヒルダと一緒に居たヒト族の――!?」


 ロウマはマキナを見上げた。

 その顔が激しく動揺している。

 何故ならば、初めて見た時と比べて見た目が明らかに少年から青年へと成長しており、そして何よりも背中から蝙蝠のような翼が生えていたからだ。


「そ、その背中の翼は――!? お前はヒト族じゃなかったのかい!? それじゃあ一体――!?」


「――黙れっ、ゲロガイコツ……!」


 マキナがそう一喝すると、足よりも長い彼の白髪が幾つかの束に分かれて、ロウマの全身に突き刺さった。

 無数の白髪の束は、まるで白蛇のように穿った穴の中へとぐいぐいと入り込んでいく。

 しかしロウマは激痛を感じるどころか、どこか恍惚とした表情を浮かべて全身に入り込む白髪を受け入れていて、やがて白目を剥くと泡を吹いて卒倒した。


「ママ、大丈夫ですか……? すみません、もう少し早くここへ来ていれば、こんな痛い思いをさせずに済んだのに……」


 マキナはロウマの全身から白髪を引き抜くと、ヒルダの元まで歩み寄った。

 ヒルダはリザードマンに抱き起されて、渡されたポティオンを飲んで怪我の回復をしているところだった。


「マキナなのか……? その体はいつの間に? それに周りのこいつらは一体なんなんだ……?」


 ヒルダは更に逞しい青年へ成長したマキナを、呆然と見上げていた。

 この街へ来た頃は背丈は一緒くらいだったのに、今はヒルダより頭三つ分程高い。

 しかも露になっている上半身は、まるで彫刻で削り出したような筋肉が程よく立体的に浮かび上がっていて、それは思わず息を呑んで見惚れてしまう程の美しさを伴っていた。

 いや、美しいと言うよりも神秘的と言うべきか。


「話すと長くなるので説明は追々。それよりも――」


 と、マキナは突然ヒルダを抱きかかえたので、柄にもなくヒルダはその腕の中で沸騰しそうな程に顔を真っ赤にさせた。


「な、なにするんだよ、いきなり――!?」


「ママ、見てください。なんと禍々しく、そして神々しいことか……」


 マキナに連れて行かれたのは、奈落の底で横たわっている邪神魔導兵器ナイカトロッズの前だった。

 胴体だけで軽く百メルテメートルを超え、脚まで含めば全長四百メルテメートルは優にありそうな巨体は、六本の足と二本の両腕を折り畳むようにして折り曲げて、仰向けの姿勢で横たわっていた。

 

 かって古代四種族の時代に、世界の果てよりやって来た邪神ウラノス――

 山脈よりも大きいウラノスによって世界は崩壊の危機を迎えたが、四種族は力を合わせることによって辛うじて討ち取ることに成功。

 肉体がバラバラになっても生きているウラノスを世界各地に封印することになったが、神族は秘密裏に肉体の一つを利用した兵器を開発していた。

 それが、今目の前に横たわっている邪神魔導兵器ナイカトロッズと名付けられた古代魔法兵器。

 稀人マレビトミナセによって一度は封印を解かれたものの、稀人マレビトタイガ・アオヤーマの手により、この奈落の底へ突き落された一部始終を、ヒルダはその目で見ていた。

 だからこそわかる。

 この悪魔の兵器に手を出しては駄目だと―― 


「ま、まさかお前はこれを……!? それは駄目だ! これは私たちが迂闊に手を出していい代物なんかじゃないんだぞ――ひいっ……」


 ヒルダが思わずくぐもった声を上げた。

 何故ならば、邪神魔導兵器ナイカトロッズの全身を覆っている太く分厚い鋼鉄製の拘束具の隙間から、赤く充血した単眼がこちらを覗いていることに気が付いたからだ。

 しかも最初は単眼が一つだけだったのが、瞬く間に隙間を埋め尽くすように無数の単眼が浮かび上がって、ヒルダとマキナを凝視しているではないか。

 しかし血の気の失せた顔をして怯えているヒルダと違って、マキナは感嘆の声を漏らした。


「おおっ、なんと素晴らしい生命力……! 四種族によって封印されて千年。常しえの昼と夜を繰り返しても尚、漲っている破壊への飽くなき衝動。拘束具を通してもひしひしと伝わって来る穢れた波動。まさに邪神の名に相応しいではありませんか……」


 マキナの白髪がぶわっと広がる。

 しかし広がっただけで、凍り付いたように一ミリも動かない。

 絶えず薄い笑みを浮かべていた顔には、初めて迷いの色が浮かんでいた。


「その力を是非この身に取り込んでみたいところですが、逆にこちらが取り込まれてしまいそうですね……。やはり、ここは素直に保険を使った方が無難みたいです。ゲロガイコツ、頼みましたよ」


 マキナがそう告げると、いつの間にか隣に立っていたロウマが、のそのそと邪神魔導兵器ナイカトロッズに向かって歩き出した。

 白目を剥いたままのロウマはうな垂れて「あーうー」と呻き声を発していて、まるで夢遊病のようだった。

 右手には起動キーである古代魔法書ヘイムスクリングラを持っていて、肉体変質系魔法を発動させているのか、みるみると巨大化していく。


 ヒルダはその光景を目の当たりにして、マキナの恐ろしい企みを察した。

 しかしロウマに対する復讐心と肉親の情と、これから起きるであろう悲劇への恐怖が入り混じり、せめぎ合い、制止の声を上げることも、追いかけることも出来なかった。

 そして何よりも、この光景を好奇心に溢れた無邪気な笑みで見守っているマキナを見た時に、とても言葉では言い表すことのできない嫌悪を噛み締めていた――

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