第九十四話 エマリィ&八号vsロウマ・1

 山小屋の応接室で、ロウマは苛立っていた。

 つい先ほどまでは、迷宮ダンジョンへ突入していく兵士たちの姿を眺めて、歯車が一つ一つ重なって大きな流れを形成していくような高揚感に酔いしれていたのだが、突然その至福の時間は打ち破られてしまった。

 何やら兵士たちが騒いでいると窓の外へ目を凝らしてみれば、タイガ・アオヤーマと言う稀人マレビトが一人で迷宮ダンジョンから飛び出してきたかと思えば、そのままどこかへと飛び去ってしまったのだ。


 その瞬間、ロウマは歯車に異物が食い込んで停止してしまったことを感じて舌打ちをした。

 しかし計画に予想外の出来事は付き物だ。

 今はまだ慌てる時間ではない。少し歯車を指で押してやれば、異物を砕いてまた回り始める筈。

 そうロウマは自分自身に言い聞かせて平常心を保とうと努めたが、その直後に歯を剥き出しにして激高していた。

 何故ならば稀人マレビトを追いかけるようにして、ヒルダまでもがどこかへ行ってしまったからだ。


「キイーッ、あの糞バカで出来損ないの妹は何をやってんだいっ! こんな簡単なお使いもこなせいとか、どれだけ無能なんだよ! ああっ、やっぱりあいつはぶっ殺しておくべきだった! ここまで無能ならぶっ殺しておくべきだった! というか、今すぐぶち殺したいっ!」


 ロウマは怒りのあまり自ら髪の毛をぶちぶちと毟り取った。そして部屋中の物に八つ当たりしながら、感情のままに悪態をついた。

 ヒルダからは地下に邪神魔導兵器ナイカトロッズが封印されていたことは、既に報告を受けていた。 

 そして隙を見て起動キーである古代魔法書ヘイムスクリングラを奪えと指示を出していたのだが、稀人マレビトとヒルダが消え去ってしまったということは、計画は上手く行っていないことを意味している。


 ロウマは即座に使役蟲を飛ばして、ヒルダに現状報告のために戻るよう指示を送ったのだが、あれから三十分以上経ってもヒルダは戻ってこなかった。

 それに合わせて兵士たちは、遺跡の中に残っているタイガの仲間たちの捕獲に手古摺っているので、いま古代魔法書ヘイムスクリングラが一体誰の手にあるのかわからなかったのだ。


 それがロウマをひどくイラつかせている原因だった。

 確率で考えれば、一番腕の立つタイガが起動キーを持っていて、ヒルダに奪われそうになったところを一人で逃げたと考えるべきだろう。

 ヒルダがなかなか戻ってこないのは、古代魔法書ヘイムスクリングラの奪取に失敗したどころか、タイガ自身にも逃亡されたので躍起になって追いかけていると考えれば、彼女がなかなか戻ってこないことに説明がつく。


――どうするかね……? タイガが古代魔法書ヘイムスクリングラを持って逃げているとしたら、さっさと私も追いかけるべきか……。ヒルダの場所は使役蟲が教えてくれる。二人でタイガに襲いかかれば……勝てるのか……? 父様すらも敵わなかった男に……私とヒルダの二人で……


 ロウマは親指の爪をガリガリと噛みながら部屋の中を歩き回り、噛み切った爪を所構わずに吐き捨てた。

 それでも考えが上手くまとまらないので、ヒステリックな呻き声を上げて髪を掻き毟った。

 ぶちぶちぶち。

 指に纏わりついた黒髪を、舌と歯を器用に使って掬い取ると、ぺっぺっぺっと吐き捨てていく。

 そして貧乏ゆすりをしながら、一心不乱にぶつぶつと口走りはじめた。


――ちょっと待て。何故タイガは一人で逃げたんだい……? 奴ほどの力を持ってすれば、仲間と一緒に逃げようと思えばできたはずだ……。しかし、それをしなかったという事は……陽動なのかい。一番戦闘力の高いタイガが囮となって、その隙に仲間たちが逃げる算段だとしたら……


「くく、十分ありえるねえ……。そしてその場合、古代魔法書ヘイムスクリングラは十中八九仲間が持っていると思って間違いない……! 出来の悪いクソ末っ子は馬鹿だから、まんまとその陽動に引っかかったのかもしれないねえ……。ならば、私は――」


 ロウマは一筋の光明を見つけたように、その病的に痩せこけた顔に笑みを浮かべて応接間を飛び出していく。

 しかし廊下を駆けている途中で、ふと糸が切れた人形のようにその場へしゃがみ込んでしまった。

 ロウマは自分の体を抱き締めると、もどかしそうに自分の腕を長い爪でガリガリと掻き毟った。


「ま、また、あそこへ……地下へ潜るのかい、私が……?」


 ロウマは深い深い絶望の息を吐いた。

 ミナセと戦った時、地下遺跡に追い込んだまではよかったが、実はそれは相手の策略で、地上で優位だった戦況は一気にひっくり返ってしまった。

 しかも来る日も来る日も決着をつけることが出来ず、その地下の暗闇の中で味わった屈辱と焦りの日々が、魔王に対して嘘をつく結果を招いてしまった。

 更には保身の為に、実の父親を保険として使わなければならないところまで追い込まれてしまった。


「ああ、父様……。私の身代わりとして命を捧げた可哀想で立派な父様……」


 その苦くて痛い記憶と、身を焦がしそうな程の罪悪感が、今も心の中にトラウマとして根深く残っていた。

 また地下へ戻ることを想像したたげで、胃にきゅーっと痛みが走って吐き気がこみ上げてくる。

 そしてついにロウマは嘔吐して吐しゃ物を撒き散らすと、ゼエゼエと肩で息をしながら宙を睨んだ。


――あと少しだ。あと少しで、私は千年大公の爵位を授かって、半永久的な命に手が届こうかというのに……。稀人マレビトの糞野郎と出来損ないの糞妹が手古摺らせるから……またあの地下へ……暗くてじめじめとした、気色の悪い穴倉へ戻らなければならない……


「ゾフィさん――? 一体どうしたのですか!? 大丈夫ですか!?」


 山小屋の中に入ってきた一人の兵士が、廊下で蹲っているロウマに気がつくと、血相を変えて駆け寄ってくる。そしてロウマの顔を覗き込んで短い悲鳴を漏らした。


「だ、誰だ……お前、ゾフィーさんじゃない。その額の角はまさか……!?」


「うっせえんだよ、糞ザコがあああああっ……!」


 ロウマは細長い腕で兵士の頭を掴んでいとも容易く握りつぶすと、そのまま死体を廊下の隅へ投げ飛ばした。


「誰にも邪魔はさせないよ……。ようやくここまで辿り着いたんだ……あと少しで私は栄光を掴めるんだ……。なのに、ここでヘマをしたら、私のために死んだ父様の死が犬死になってしまうじゃないか。何よりも、せっかく父様を犠牲にしてここまで辿り着いた私が、私の努力が無駄になって……可哀想じゃないか、この私が……!」


 ロウマは壁伝いに廊下をふらふらと歩いていくとドアを開けた。

 広場では兵士たちが催涙ガスが詰った樽を馬車から降ろして、次々と迷宮の中へと運び込んでいる最中だった。


「ヒルダの糞ガキぃ、戻ってきたらぶっ殺してやる……! まともに操り人形の役目もまっとう出来ない、あんな出来損ないの妹は始末してやるっっっ! この私に、またあの暗くてじめじめとした地下に潜らせるんだ……。その代償は高くつくよ。アルマスとその仲間もだ。虫けら風情の分際で、なにを抵抗しやがってるんだ! さっさと大人しく捕まっておけばいいものを! お前たちは私を怒らせたんだ! 全員虫けらのように踏み潰してやるから覚悟しな……! きゃはははははははははははははあーーーーーーーっ!!!」


 と、ロウマは血走った目で金切り声を上げると、迷宮に向かって突進した。

 全身を黒衣に包み、痩せ細った骸骨のような顔を歪ませて、広げた両手で暗闇を切り裂いて進む姿は、まさにこの世のものではなかった。

 迷宮前の兵士たちがその姿に気がついた時には、既に首はもぎ取られた後で、幾つもの胴体が鮮血を盛大に撒き散らしながら次々と地面へ倒れていった――




「――うん!? 背後の様子がおかしい……?」


 八号がその金切り声に気がついたのは、最下層へ続く最後の長い通路を駆け下りていた時だった。

 背後の通路から反響する甲高い叫び声。

 そして兵士たちの悲鳴や、何かが壁や床に打ち付けられる鈍い音が次々に沸き起こったのだ。

 明らかに背後の兵士たちに、何かトラブルが起きているらしい。

 フレキシブルアームに抱かれているエマリィもその異変に気がついて、八号の肩越しに暗闇に目を凝らした。


「エマリィさん、何か見えますか――!?」


「ううん、何も……。相変わらず催涙ガスが流れ込んでいるだけ……」


 と、答えたエマリィだったが、その直後、通路の下半分に充満して下層に向かって流れ込んでいる白い催涙ガスの層が、奇妙な揺れ方をしていることに気がついた。


「――いや、何か見える……!?」


 さらに目を凝らして、白いガスが揺れている地点を睨むエマリィ。

 ガスはまるで船が波を掻き分けるように、左右に引き裂かれている。

 その中央に何かが居るらしいが、暗闇でよく見えない。

 しかしそれが何にせよ、その接近するスピードは異常に速い。


「何かが急速に近付いて来てる……!」


魔物モンスターですか!?」


「暗くてそこまではわからないよ!」


「エマリィさん、これを使ってください」


 八号がボディアーマーからサーチライトを一つ取り外す。

 それを受け取ったエマリィは、白色光で背後の通路を照らし出した。

 照らした瞬間、喉に張り付いた短い悲鳴がエマリィの口から漏れた。

 サーチライトの光が当たった瞬間に、物凄い形相で駆けてくる老婆の姿を見たような気がしたからだ。


「な、何が見えたんですか!?」


「な、なんか骸骨みたいな顔をしたお婆さん……?」


「いや、意味わかんないですけど!」


「で、でも本当に見えたの……! それで光が当たった瞬間に消えてしまって……」


 と、エマリィはそこまで言いかけて思わず口を噤んだ。

 サーチライトの光軸の外側、光が届かない闇の中にある向かって右側の壁から、何か奇妙な音が聞こえたからだ。


 カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ。


 反射的に音が聞こえる方へサーチライトを向けるエマリィ。

 そして再び息を呑んだ。

 先ほど一瞬だけ見えた、老婆なのか骸骨なのかわからない黒装束の女が、今度ははっきりと白色光に照らし出されたからだ。

 しかも最初に見た時は、確かに二足歩行で走っていた筈なのに、今は四足歩行で当たり前のようにして壁を走っているではないか。

 しかも長い手足をあり得ない角度に折り曲げてカサカサと高速移動している様は、言葉では言い表せない気味悪さに溢れていた。


「きしゃあああああああああああ!!!」


 白色光に照らし出されたそれは黒髪を振り乱して、威嚇するように声を上げた。

 その異様に痩せこけた骸骨のような白い顔に二つの角を見つけた時に、エマリィの全身を激しい悪寒と絶望が駆け抜けた。


「ま、魔族――!? 魔族がどうしてこんなところに!? 八号さん、追いかけきてるのは魔族よ!」


「魔族ですって――!?」


 と、怪訝な顔を浮かべる八号。

 しかし次の瞬間には、何の躊躇もなくフレキシブルアームの上の二つが振り返って、アサルトライフルとグレネードランチャーが一斉に火を噴いていた。


ズダダダダダダダダダダダダ!!!

シュポン! シュポン! シュポン!


 突然の発砲に完全に虚を突かれた魔族は、アサルトライフルの銃弾の嵐を食らい、続いて炸裂したグレネード弾によって吹き飛ばされた。


「やっつけた!」


 と、エマリィが喜んだのも束の間。

 暗闇の中に先ほどよりも一層激しくなった金切り声が響き渡った。

 そして爆煙と催涙ガスが渦巻いている中を、黒髪を振り乱しながら二足歩行で猛追してくる骸骨顔の魔族。


「まだ生きてる!」


「わかってます!」


 アサルトライフルとグレネードランチャーが更に火を噴いた。

 しかし魔族の女は尋常では無い速さで、天井や壁を縦横無尽に飛び回って悉く弾幕を回避する。

 しかも飛び移る度に、器用に二足歩行と四足歩行とを切り替えるというトリッキーな動きをするではないか。

 そして確実にエマリィたちとの距離を詰めて来た。


「きひひひひいいいっ! 私は魔族のロウマ! 虫けらの分際で糞生意気に足掻きやがって! お前ら全員ギッタギタに引き裂いて、ボロ雑巾のようにくしゃくしゃにして殺してやるからねええええっ! 覚悟しな! 私に抵抗したことを後悔しながら死んでいくがいいっ!」


 耳障りな癇声と共に壁を蹴って弾幕をすり抜けると、一気に飛び掛ってくるロウマ。

 鋭い爪を持った細長い右腕が八号の背中を引き裂こうと迫るが、突如空中に出現した金色の半透明の壁がそれを阻止した。

 エマリィの魔法防壁だ。


 ロウマの体は弾き飛ばされて床を転げていき、それを追いかけるようにしてアサルトライフルとグレネードランチャーが襲い掛かった。

 しかしロウマはすぐに態勢を整えて、その弾幕を避けるように後方へ飛んで逃げる。

 その隙に八号は加速して、一気に距離を離していく。

 更にエマリィは、通路に魔法防壁を四重五重に張ってロウマの追走を遮断した。


「エマリィさん、ありがとうございます! あいつの動きが素早くて、今のは正直ヤバかったです……!」


「アルマスさんの治療はもう終わってるから気にしないで。でもボクの魔法石の予備はあと二つ……。それまでにボクたちだけであいつを倒さないと……」


「ああ、こんな時に無線が使えれば、先輩に助けを求められるのに……!」


「あ、あれ、一体私はなにを……?」


 ようやくアルマスが目を覚ましかと思えば、エマリィと一緒に八号のフレキシブルアームに抱かれている現状に目を丸くしている。

 その元気そうな様子を見て、エマリィは唇を噛み締めて無言のまま小さくガッツポーズをとった。


「そ、そう言えば、ヴォルティス兵たちはどうなりましたか? きっと何かの手違いの筈なのです。ここで皆さんを連れて遺跡探索することは、ゾフィー隊長にも許可を取っていることなので、きちんと説明をすれば誤解は解けるはずなんです」


 と、アルマス。

 エマリィはそのアルマスの言葉を受けて、神妙な顔で口を開いた。


「アルマスさん、詳しいことはまた地上に戻ってから。とにかく今ボクたちは魔族に追いかけられていてそれどころじゃないの……」


「魔族……? いやだな、エマリィさんからかわないでくださいよ。どうして魔族が連合王国の、それもこんな地下の遺跡に……」


「いや、信じてくださいアルマスさん。エマリィさんの話は本当です。あと兵士たちも自分達を捕らえようと躍起になっていました。恐らく地上でアルマスさんも知らない事態が起きているんだと思います」


「い、いやだな、八号さんまで……」


 と、まだ半信半疑だったアルマスだったが、エマリィと八号の思いつめた顔を見て唾を飲み込んだ。


「い、一体、なぜそんなことに……!?」


「それを知るためにはまずは無事に地上へ戻らないと。とにかく最下層でボクと八号さんが魔族と戦うから、アルマスさんは隙を見て逃げてください」


 と、エマリィ。


「エマリィさん、何か作戦があるんですか!?」


 と、八号。


「うー、とにかくアルマスさんにはどこかに隠れてもらって、ボクと八号さんは常に一緒にいて、攻撃と防御をそれぞれ担当するしか……」


 あひる口でうーうー唸りながら金髪を掻き毟るエマリィ。

 そうこうしているうちに視界は一気に開けて、エマリィたちは再度最下層の大広間へと辿り着くことになった――

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