第九十三話 揺れる王都・2

 ユリアナは王城の応接間で軟禁されていた。

 部屋にはユリアナのほかに、見張りの衛兵が三人居るだけ。

 特にすることもなかったので、窓際でずっと夜の街を眺めていたのだが、その赤い瞳が王都上空に滞空していたスマグラーアルカトラズの姿を捉えていた。


 見張りの兵たちに気取られぬよう無表情を崩さずに眺めていると、突然スマグラーアルカトラズは下降したかと思いきや、すぐに上昇して南東の方角へと飛び去っていった。

 恐らく誰かを回収してグランドホーネットへ戻ったのだろう。

 自分が最も頼りにしている人物が、この夜空の下で、やはりいつもの様に破天荒に立ち回っているのだろうと思うと、ユリアナの口許からは自然と笑みが零れていた。


 そしてその笑みによって、自分が思っていた以上に緊張していたことを、改めて思い知らされた。

 山奥の別荘から城へ連行されて来た時に、ユリアナは一人だけ別行動にされた。

 テルマとイーロンとメイ、マリたち四人は、恐らく地下牢へと連れて行かれた筈で、この応接間にはユリアナ一人だけが連れてこられたのだ。

 応接間へ通されると、すぐに衛兵たちからRPGロイヤルプロテクションガードスーツを脱ぐように指示されたが従わなかった。

 すると兵たちは数人掛かりで無理やり引き剥がそうとしたが、ただ悪戦苦闘するだけで、結局彼らは諦めざるをえなかった。


 そして彼らはユリアナをこの応接室に閉じ込めて軟禁するだけで、激しく尋問や拷問をするのでもなく、ただ時間だけが無駄に過ぎていった。

 結局、昨晩この部屋へ連れてこられてから丸一日以上を、窓際に座って外の景色を眺めていたことになる。

 自分では平常心で居たつもりだったが、自分自身でも気付かないうちに焦りを感じていたらしい。

 その事にスマグラーアルカトラズの姿が気付かせてくれた。

 気付いたのならば、あとは落ち着くように努めればいいだけだ。


――タイガ殿が動いてくれている。そして本国で待つ父上の耳にも状況は伝わっているはず。ならば今の私に出来る最善の行動は、好機が訪れるまでただじっと待つのみ……


 ユリアナはそっと瞳を閉じると、ただ時間が過ぎていくのを待った。

 そしてしばらく経つと、ドアが開く音が聞こえてきたので、ユリアナはそっと瞳を開けてそちらに目を向けた。


「やあ、これは悪い悪い。随分と待たせて済まなかったな。なにせ、想定外の動きがこうも立て続けに起こると、こちらも色々と下準備ってやつに追われてな。何かと面倒くさいんだ」


 しゃがれた声でそう言いながら近寄ってきたのは、日に焼けた黒い顔に芝居じみた笑顔を貼り付けた男だった。

 後ろへ撫で付けた黒髪と、胸を張って両肩で風を切る姿からは自身が満ち溢れている。


「俺がバーソロミュー・ヴォルティスだ。まさか民から絶大なる人気を集めるステラヘイムのユリアナ姫王子に、こんなところでお目にかかれるとは大変光栄だ。しかも噂以上の美貌と良い乳をしておる! それだけ女として恵まれた容姿を持ちながら、男の格好をするとは面白い。その心に抱えた闇がどんなものなのか、是非頭の天辺からつま先までじっくりと調べてみたいと思わされる。くく、この俺にここまで興味を持たせるとは、さすがステラヘイムの姫王子だけのことはある!」


 そうニヤつきながらバーソロミュー王はユリアナの回りを歩いた。

 歩きながらねっとりとした三白眼で、細身だが出ているところは出ている肉感的な体のラインをじっくりと舐め回すように観察している。

 ユリアナは彼の粘り気のある視線に気が付きながらも、ただ無表情で空を見つめ続けた。


「どうだ、この無粋な鎧を脱ぐ気にはならぬか……? なんでも兵が数人掛かりで脱がそうにも無理だったとか? 何やらステラヘイムには面白い魔法を使う救国の英雄が現れたと聞くが、これもその者の魔法具ワイズマテリアなのだろう?」


 バーソロミューは薄笑いを浮かべたまま、ユリアナの鼻先が引っ付くくらいに顔を近付けた。

 そしてユリアナの赤い瞳はなんの感情も見せず、ただじっとその三白眼を見据えるだけだ。


「はっ! 肝も随分と据わっておるときたか! いいぞ、本当に俺好みのいい女だユリアナよ。俺はお前を征服したい。この騒動が片付けば思う存分抱いてやろうではないか。それまで楽しみはお預けだ。ではユリアナよ、お前に是非会わせたい人物が居る」


 バーソロミュー王は大袈裟な身振り手振りでユリアナを褒め称えたかと思うと、一転して真顔になって衛兵に指示を出した。


「――時間だ。連れてまいれ」


 そうしてバーソロミュー王を先頭に、周囲を衛兵たちに囲まれたユリアナが連れいかれたのは謁見の間だった。

 玉座には年老いた獣人族のセドリック王が座っていて、壁際には二人の王の従者たちが十数人ほど並んでいる。

 部屋の中に居る全員が、玉座の前に姿を見せた異国の姫の姿を見て、驚きとも不安ともつかない息を漏らした。


「其方は、誠にステラヘイム王国のユリアナ姫王子なのか……?」


 と、震える声を投げかけてきたのは、玉座に座るセドリック王だ。

 しかしユリアナはその質問に答えなかった。

 いや、答える必要がなかった。

 何故ならば、バーソロミュー王が階段を駆け上がって玉座の横に並び立ったかと思うと、両手を広げて部屋中に向かって叫んだからだ。


「ああ、そうだ! この今目の前に立っている男装の小娘こそ、我が連合王国の隣ででかい糞のように聳え立つ目障りで目障りで仕方ない、あの仇敵ステラヘイムの正真正銘の姫君である!」


「ああ、なんという……」


「盟主セドリック王よ! いつまでそんな弱気でおられるのだ! こうして敵国の姫が、密かに我が国へ忍び込んでいたのだぞ! その目的はまだわからぬが、きっと国内の反乱分子を扇動し内乱を画策しておったに違いない! 今こそ我らはこの掲げた剣の下で一致団結して、この国を侵略者どもから守らねばならぬ! 違わぬか、王よ!?」


 バーソロミュー王は腰の剣を抜いて高らかに突き上げて、セドリック王へ詰め寄った。

 年老いたセドリック王は、玉座の上で小刻みに体を震わせて首を振っていた。


「は、早まってはならぬバーソロミュー王よ……。まだ和平への道は残されておる筈じゃ。先代の王たちが連座王制を作り上げた知恵と努力を無駄にしてはならぬ……。このまま突き進めば国は燃え、民は苦しむだけじゃぞ……」


「はっ! 最後にチャンスを与えたつもりだったが、ここまで筋金入りの臆病者だったとは……! 国内の反乱分子を率いるのは、何を隠そう貴様の息子アルテオンだ! よもやアルテオンの動きを父親である貴様が知らなかったとは言わせぬぞ!?」


「ア、アルテオンが……? まさか、あの子はリザードマン族の処遇に心を痛めているだけで、国家転覆などという大それたことができるような子では……」


「セドリック王よ……。老いとはこうも人を愚鈍にしてしまうのだな……。貴様の最大の罪は、玉座に長く居座り続けたことだ。もっと早くにアルテオンに王位を継承しておけば、俺もこのような野心は抱かなかったかもな……。貴様たち獣人族はヒト族と違って寿命が長い。そのことに胡坐を掻き、全ての問題を先送りしてきた結果がこの事態を招いたのだ! 貴様は父としても、王としても器ではないっ! 滅しろ、この老いぼれが!」


 雄叫びを上げ、掲げていた剣を力一杯に振り下ろすバーソロミュー王。

 一閃――

 血しぶきが吹き上がり、玉座が真っ赤に染め上げられた。

 刎ねられたセドリック王の首が宙を舞い、階段を転げ落ちてユリアナの足元まで転がっていく。

 それを見たユリアナは、囚われてから初めて感情を露にした。


「――な、なんということを……気でも狂ったか、バーソロミュー王……!?」


 すると壁際に立っていた従者たちからも悲鳴が上がったので、ユリアナが振り向くと、そこには数人の従者たちが血を流して倒れていた。

 倒れているのは皆獣人族の従者ばかりだったが、立っている者はヒト族全員と数人の獣人族だ。

 その光景を見て、ユリアナははっとして怒りの形相でバーソロミュー王を見上げた。


「さ、最初から仕組まれていたのか……。貴様、私を暗殺犯に仕立てる気なのか……!?」


「ふん、やっぱりお前は俺好みのいい女だ。物分りのいい女は話が早くて助かる。この国へ来てくれたことを心から歓迎しよう! ようこそヴォルティス国へ!」


 返り血を浴びて真っ赤に染まったバーソロミュー王は大声で叫んだ。


「セドリック王を暗殺したユリアナ姫王子を、明日の昼下がりに闘技場にて処刑を行う! この事を大々的に国中へ広めろ! そしてアルテオンども反乱分子を何としてでも押さえつけておけ! ユリアナの首さえあれば貴族や民は我らを支持する! 明日この国は生まれ変わるぞ! 俺がこの国の真の王となるのだ!」


 ユリアナは眩暈を感じながら、その狂気の蛮声を聞いていた。

 聞くしかできなかった。




 ヒルダは図書館の屋根の上で、遠くに飛び去って行ったスマグラーアルカトラズを複雑な表情で見送っていた。

 いま自分の胸に去来するこの思いは一体なんなのか。

 その答えを必死に探していた。


 ヒルダはロウマの言いつけで、タイガたちの地下遺跡探索の動向をずっと探っていた。

 自身の魔法を巧みに操り壁の中に潜り込むことで姿を隠して、付かず離れずの距離をずっと保っていた。

 その気になれば、タイガを仕留められたような気もするが、それは止めておいた。

 ロウマからはあくまでも動向を探るという指示しか出ていなかったからだが、大人しくその指示に従っていたのはロウマが怖かったからだ。


 絶好の機会を伺うという戦略的な判断ならばともかく、憎き父親の仇を前にしながら自分の保身のために行動できなかった事実は、ヒルダの心の深い所に棘となって残った。

 そんな自分の弱さを目の当たりにしたからだろうか。

 ヒルダの心境に、微かながらに変化が生まれていた。

 遺跡の地下深くで彼らを観察しているうちに、タイガとミナセという稀人マレビトが、魔族に仇なす強大な力を持った得体の知れない相手と言う認識から、彼らもまた自分と同じように運命に翻弄されながらも、必死に抗っている普通の隣人だと知ってしまったのだ。


 しかし、決してタイガ達に感情移入をして、完全に心を許したわけではない。

 父親の仇という絶対的事実は揺るがしようが無い。

 それでも彼らがこの世界へ召還された理由を求めているのと同じように、ヒルダもその理由を知りたいと思うようになっていた。

 だから彼らを追いかけて地下へ深く潜っていくほどに、ヒルダはタイガたちの動向にただ釘付けになっていった。

 

 最下層に封印されていたのが、伝説の邪神ウラノスの肉体の一部を利用した魔法兵器だったことには驚いたが、ミナセと言う稀人マレビトがその兵器を奪ったのを見た時には魂が震えた。

 彼女のこの世界に対する怒りや悲しみが、痛いほどによくわかったからだ。

 そして仲間を討たなければならなかった、タイガの辛い決断とその覚悟も……


 ヒルダは運命に翻弄される彼らの姿を見ているうちに、自然と涙が流れていたことに驚いた。

 そして同時に、自分の中にしっかりとそういう感情が残っていたことに安堵もしていた。

 父を探してこの大陸へやって来たのに、その父が殺されたと知ってからは、怒りに突き動かされて自分を見失っていたように思う。


 おかげで魔王からは暗殺命令が出されて、顔も見たことのない姉のロウマにいい様に扱われる始末だ。

 坂道を転げ落ちていくように、自分が描いていた未来からは遠ざかり、明日自分がどこで何をしているのかさえ確証を得られない。


 自分と稀人マレビトは、生まれた世界は違っても似た境遇なのではないのか。

 一旦そう思ってしまうと、ただ彼らの行く末を見届けたいという、純粋な欲求しか沸き上がってこなかった。

 最後まで見届けたときに、一体自分の胸に何が残るのか。

 残ったものが一つの答えとなり、これから先の自分が進むべき道を、指し示す光になるのではないのか。

 そんな願望にも似た思いだけがあった。


 ミナセが死んだ後に、ヒルダは一旦地上へと戻ってロウマへ報告することにした。

 しかし、その報告を聞いた時の、ロウマの歪んだ笑いが心から気持ち悪く思えた。

 自分と同じ魔族で、姉妹でもある筈なのに、目の前のロウマが物凄く遠くの世界の住人に見えて仕方なかった。

 ロウマの心よりも、稀人マレビトの心の方が自分に近いのではないのか、と思わずにいられなかった。


 少なくとも同胞を自分の手で殺さなければならなかった、タイガの苦しみと悲しみは理解できる。

 目の前にいるこの血の繋がっているはずの姉に、果たしてその感情が理解できるのだろうか。

 そんな疑問を胸に抱えたまま、もう一度地下へ戻った。


 地下へ戻ってタイガ達が地上へ戻る姿を観察していると、この国の兵士たちが乗り込んできた。

 すぐにロウマの差し金だと気付いたが、一体ロウマが何を企んでいるのか全く知る由もなかった。

 ただタイガの行く先を邪魔するその企てに、無性に苛立ちを覚えた。

 だからタイガが一人で遺跡を飛び出した時は、迷わずその後を追いかけることにした。

 ロウマからは自分の元を離れるなと指示が飛んできたが、それを無視してタイガの後に続いた。

 

 ヒルダはどうしてもこの目で、タイガの、ミナセの行く末を見届けたかったのだ。

 図書館の書庫では、彼らは精霊魔法の上位魔法テウルギアの壁にぶつかった。

 その時は、思わずアドバイスをしてやろうかと姿を現しかけてしまい自制を言い聞かせた。

 しかし、どうやら彼らには当てがあったようだ。

 そしてタイガたちはたった今、スマグラーアルカトラズで夜の空へと飛び去っていった。


 タイガたちはミナセの魂が精霊化していると信じて疑っていなかったようだが、実際はあの状態は界霊と言う状態であり、あそこから魂は精霊と悪霊へと分かれていく。

 ミナセの魂が精霊として甦るのか、悪霊として甦るのか最後まで見届けたかったが、どうやらこれ以上は無理のようだ。

 だからヒルダは、スマグラーアルカトラズを複雑な顔で見送っていた。

 祈るような、期待するような顔で――


 そしてヒルダは、古代遺跡に向かって踵を返した。

 これからロウマの元へ戻って、どうしても確認しなければならないことがあった。

 地下でタイガたちを監視し、会話を盗み聞きしていた時に、胸に浮かび上がってきたある疑念。

 ミナセを仕留めきれなかったロウマと、突然ひっそりとトネリコール大陸へ旅立ち、タイガに敗れた父タリオン――

 この二つの結果の裏には、何か因果関係があるのではないだろうか。

 ヒルダはどうしてもそう思えて仕方がなかった。

 だからこそ、今一度ロウマの元へ戻って聞き出さなければならない。

 そして返答次第では――

 ヒルダは闇夜を切り裂き、屋根伝いに城壁を目指した。

 その背中からは、声なき殺気が静かに零れ落ちていて、王都に渦巻く不穏な空気の一部となって夜の街に漂った――

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