第八十八話 エマリィと八号の災難・1

 タイガと別れてから二十分後。

 エマリィは、ようやくアルマスの容体が普通ではないことに気がついた。

 数分前にアルマスは一度目を覚ましたのだが、その後ですぐにまた昏睡状態に陥ってしまっていた。

 その為再度治癒魔法をかけたのだが、たった今目を覚まして今度こそは全快したと思ったのも束の間、またしても昏睡状態に陥ってしまったのだ。


「い、一体どうして……!?」


 治癒魔法の効果は相性によって左右されるので、病状の回復が遅いということは今までに何度も経験している。

 その経験からすれば、アルマスとの相性は最悪もいいところで、回復まで時間がかかる上に魔力消費も激しい。

 しかし一旦回復した症状がすぐにぶり返してしまう事例など、聞いたことも経験したこともなかった。


 この初めて経験する事例に、エマリィは軽くパニックになりかけていたが、何とか自分を落ち着かせるともう一度アルマスに治癒魔法を施すことにした。

 アルマスの症状はどう見ても毒が原因なので、治癒魔法を施さなければどんどん病状は悪化して、最悪死んでしまう可能性がある。

 もう一度再発しようがしまいが、エマリィには治癒魔法を施すという選択肢しか残されていなかったのだ。


――確か毒消し専用の魔法があると聞いたことがあるけど、もしかしたら、その魔法じゃないと効果がない毒が存在するのだろうか……? いいや、中級の治癒魔法であれば、魔力消費量の差と根治までの時間に差はあっても、治せない毒は無いと言うのが通説。確かお祖父ちゃんもそう言っていたし、図書館で銀貨一枚を払って読ませてもらった現代魔法書にもそう書いてあった……。それなのに何故……


 エマリィの額に大粒の汗が浮かんで頬を滴り落ちていく。

 少し離れた所では、八号が牽制射撃を繰り返して兵士たちの一団を寄せ付けないでいてくれているので、そういう意味での心配はなかったのだが、とにかくこのアルマスの謎の症状が治まってくれない限り、ただただ魔力を消費していくだけだ。


 タイガはいつ戻ってこられるかわからない。

 この閉鎖空間での極限状態では何が起こるかわからないので、魔力はできるだけ温存しておきたいのがエマリィの本音だ。

 しかし取り巻く状況が、それを許してくれない。

 まるで断崖絶壁から落ちそうになっているのに、目の前に垂れ下がっているのは油塗れの縄しかなくて、仕方なしにそれにしがみ付くしかないような、激しい徒労感と疲労だけが重く圧し掛かってくる。


 そんな泥の中に沈んでいくような現状に、思わず弱音が零れそうになった時、エマリィは背後から近付いてくる不穏な気配に弾かれたように振り向いた。

 そして、絶句した。

 下層へ伸びる通路の暗闇の中からゆらりと姿を現したのは、巨大なスライムだったからだ。


「まだこんな魔物モンスターが残っていたなんて……! 一体どこに潜んでいたの……!?」


 そのスライムは触手を何本も持っていて、器用に触手で丸い胴体を持ち上げていて、まるで海を漂うクラゲのようにゆらゆらと向かってくくるではないか。

 咄嗟にエマリィは防壁を張ろうとするが、魔力を温存したいという思いが脳裏を過ぎった結果、八号の名前を呼んだ。

 しかしその声は、唐突に響き渡った数発の銃声に掻き消された。

 直後、触手スライムの丸い胴体に連続して穴が穿たれた。


「――エマリィさん、大丈夫ですか!?」


 背後から八号が駆け寄ってくる。そのフレキシブルアームに装着されているアサルトライフルからは、一筋の煙が立ち上がっていた。

 どうやら八号は兵士たちに牽制射撃を加えながらも、きちんと背後のエマリィへの注意も怠っていなかったようだ。


「ありがとう、ボクは大丈夫。でも……!」


 エマリィは感謝しつつもその顔は晴れない。

 何故なら触手スライムはまだ生きていて、ゆらゆらとこちらに向かっていたからだ。

 アサルトライフルの弾丸は、スライムの体に穴を穿つことはできても、衝撃はそのゼリーのような肉体に吸収されて、致命傷を与えるまでには至っていないようだった。


「――くそ!」


 八号は今度はベビーギャングの引き金も引いた。


ヴバァン! ヴバァン! ヴバァン!

ズダダダダダダダダダダダダダ!


 アサルトライフルの射撃音に混ざって、一際野太い発砲音が通路に響き渡った。

 タイガの手によってパワーアップされたベビーギャングの威力は、タイガの見立てではシルバークラスの魔物モンスターと十分渡り合えるの破壊力を持つほどだ。

 そしてその見立て通りに、魔力で生成されたベビーギャングの弾丸は、触手スライムの体に巨大な穴を穿つと同時に抉り取っていった。


 ものの数秒で細切れにされたスライムの無数の肉片は、通路の床に散らばると急速に水分を失って塵となって消えていく。

 エマリィと八号は、ほっと息をついたのも束の間。

 今度は牽制射撃の邪魔がなくなった兵士たちの一団が、列の一番先頭で盾と魔法防壁を展開して一気に押し寄せてくるではないか。


「エマリィさん、一旦奥に下がって彼らを引き離します! しっかり掴まっててくださいよ!」


 八号は二本のフレキシブルアームでエマリィとアルマスを抱きかかえると、腰のアームを脚代わりにして一気に通路を下層に向かって駆け下りた。

 そうしてしばらく走って兵士たちと十分に距離を取ると、通路の真ん中に陣を構えることにした。


 古代遺跡の通路は、ピラミッド状の建物の壁に沿って設置されているので、下へ行けば行くほどに角から角までの距離は長くなる。

 エマリィと八号はだいぶ下まで降りてきたので、前と後ろに見える曲がり角は十分に距離が離れていて、兵士だろうが魔物モンスターだろうが角を曲がって姿を現しても十分に対応できる。

 八号はアルマスに治癒魔法を施しているエマリィを、ボディアーマーのスポットライトで照らしながら、前後の通路に視線を向けて警戒を怠らなかった。


「しかしまだ魔物モンスターが生き残っていたとは……。タイガ先輩とミナセさんの二人に絶滅させられたと思っていたのに……」


「一本道に見えるけど、案外ボクたちが気がつかなかった裏道や抜け道が存在するのかも」


「そうですね。とにかく油断は禁物ってことですね。ところでアルマスさんの容体はどうですか……?」


「正直に言って、なんで病状が何度も再発するのかわからない……。こんなケースはボクは初めてで……」


 その後にどんな言葉を続けるつもりだったのか。

 エマリィは口を真一文字に結ぶと、邪念を振り払うように頭を振った。

 そして疲労が滲んだ顔で、八号を見上げた。


「八号さんはポティオンの在庫、幾つ持っている……?」


「自分は青と赤がそれぞれ十本ずつですね」


「そうか。ボクも大体同じくらい。じゃあ悪いけど、アルマスさんにポティオンを飲ませてあげて。ボクも少し休憩を取りたいから……」


「お安い御用で」


 八号は自分の妖精袋フェアリー・パウチからポティオンの青を一本取り出すと、アルマスの口に流し込む。

 エマリィはその様子を横目で見ながら、自分の妖精袋フェアリー・パウチから取り出したポティオンの小瓶を口に運んだ。

 失った魔力の回復はしてくれないが、体力と疲労の回復はしてくれる。

 エマリィの顔に十分生気が戻り、少し屈伸運動をして気持ちをリフレッシュしてから、再びアルマスの傍らに戻ると、八号がエマリィの黒いローブに何かを見つけた。


「エマリィさん、さっきの吹き矢の矢が、こんなところにも……」


 そう言うと、八号はエマリィのローヴの脇腹に刺さっていた矢を抜き取った。


「うわ…いつの間にこんなところに……! それじゃあ、もしかしたらボクもアルマスさんみたいになっていた可能性があったんだ……」


 エマリィは八号から矢を受け取ると、手の平の上に転がして恐る恐ると見つめた。

 そして、ふと碧眼が矢の一点を見て激しく揺れた。


「――八号さん、ちょっと灯りをいい!?」


 エマリィは矢を摘まむと、サーチライトに思い切り近付けた。


「どうしたんですか……?」


「ここ見える? 針の先端……何か光ってない……?」


「うん? 確かによく見ると針の先端が四つにわかれていて、間に何かが挟まっていますね。それに微かに光を放っています……。エマリィさん、これってもしかして――!?」


「そう、魔法石……!」


 エマリィははっとして、アルマスの首筋を確認した。

 八号も慌ててサーチライトの光を当てる。

 その光の中に浮かび上がったのは、吹き矢が刺さってできた小さな傷だ。


「ボクは最初、矢の先端には毒が塗ってあるものだと思っていた……。だけど、もしこの魔法石が何かしらの魔法具ワイズマテリアで、体内で毒魔法をかけ続けているとしたら……? アルマスさんのこの症状にも説明がつく……!」


「で、でも…こんなに小さい魔法石の欠片なのに、そんなこと可能なんですか!?」


「精霊魔法の中には、毒を食らったのと同じ症状を引き起こす魔法が幾つかある。その魔法式をこの小さな魔法石の欠片に組み込ませることに成功していたなら十分可能だと思う。そしてこの欠片のサイズだと、本来なら魔法が作動するのはせいぜい一、二回が限度で、欠片に蓄えられていた魔力は使い切ってしまうと思う」


「そうか、確かこの古代遺跡の各階層に置かれていた魔法石は、魔力を地上から最下層へ運ぶ役目があると、ミナセさんが言っていましたね。だからこの遺跡内部には魔力が充満していると」


「そう。だからこのサイズだと魔力を使い切るのは早いけど、同時にすぐに魔力が満タンになるはず。それに加えてボクとアルマスさんの治癒魔法の相性が悪いから、治癒魔法が効くよりも欠片に魔力が溜まる方が早くて、何度も毒魔法が体内で発動しているんだ思う……。勿論そんな魔法具ワイズマテリアの存在はこれまで聞いたこともないけれど、連合王国は発掘した遺物ロストテクノロジーから密かに開発に成功していたのかもしれない……」


「それじゃあアルマスさんを助けるためには、一旦遺跡の外へ連れ出すしかないですね……」


「確かにそれも一つの手だけど、昏睡しているアルマスさんを連れた状態で、あれだけの数の兵士の中を突破するのは、八号さんとボクでもリスクが高くて無理がありすぎる。それにタイガもなるべく兵士を傷つけないように出て行ったのは、ステラヘイムと連合王国が戦争にならないように気を使ったからだと思う。だからボクたちも、なるべく兵士たちを傷付けないようにしなくちゃ……。それに外にあとどれくらいの兵士たちが居るのかわからない状況では、魔法防壁を張り続ける訳にもいかないし。だから……」


「だから?」


「――ここでどうやってもボクが治してみせる……!」


 と、エマリィは両手で頬をピシャリ。

 そして、あひる口でうーうー唸りながら両手の裾を捲りあげた。

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