第七十九話 古代遺跡の主を撃破せよ!

 床はゆっくりと下降を続けていた。

 上を見上げれば、既に天井は遥か向こう。

 距離にすると、優に二百メートルほどは下降していることになる。

 しかしサッカーグラウンド四十面ほどの床が、そのままエレベーターになるという技術力の高さに、古代四種族文明時代の底力を垣間見せられた気分になって、妙に胸がざわついて落ち着かない。

 すると背中のエマリィが、低く張り詰めた声で俺の名を呼んだ。


「――タイガ、横穴が現れたよ……」


 その言葉の通り、縦坑の壁の一部に横に伸びるトンネルの上部が見えてきて、エレベーター床が下降していくにつれて少しずつその全貌が露になっていく。

 しかし横穴の中は、光もなく真っ暗で先までは見えない。

 いや、その暗闇の中で無数に蠢く影が――

 それを見た瞬間、俺の全身を悪寒が駆け抜けた。

 同時に思わず引きつった声を漏らしてしまう。


「ちょ……マジですかぁ……!」

    

 思わずトラウマが甦って、全身が恐怖と嫌悪感で小刻みに震え出した。

 エマリィを背負っている状況で、脱糞という最悪の事態だけは何としても回避したい。

 俺は挫けそうな心を何とか奮い立たせると、出来る限りの大声で叫んでいた。


「エマリィは八号とアルマスさんを連れて魔法防壁の檻の中に閉じこもって! ミナセは俺と迎撃を手伝ってくれ!」


 そしてエマリィを乗せたまま背負い子を下ろして、音声コマンドでビッグバンタンクへと換装。


「――迎撃……!?」


 まだ事態が呑み込めていないミナセは首を傾げている。

 一方でその後ろでは、エマリィが一切の疑問を口にすることなく、粛々と八号とアルマスさんを引き連れて動き出していた。

 そして適当な場所を見つけると、三人が閉じこもれる大きさの魔法防壁の避難所シェルターを構築して中に閉じ籠った。

 その甲斐甲斐しくも頼もしい姿に、思わず胸が熱くなる。

 絶対に守らなければ。俺の守護天使――


「――ミナセ、自殺ゴキブリだ。あいつらまた出やがった! おそらく長い年月の間に、この最下層の下の謎空間は奴らの巣になってたんだ! しかもエレベーターが下降したことで、巣の一部が壊されてあいつらパニックになってる筈だ! すぐに飛んで来るぞ! だから俺とお前の爆炎放射器で焼き尽くすんだ!」


「じ、自殺ゴキブリ……? なんだよ、その鳥肌ネーミングは……?」


 そう呟くミナセの表情はフェイスガードが下りているので見えないが、声は今にも、いや既に半べそを搔いていそうな程に震えていた。


「かーっ! お前魔物モンスターを見かけたら速攻で焼き殺してばっかいるから、敵の特徴や生態をまったく把握してないじゃん!」


「だ、だって、こんな地下で一人きりで魔物モンスターと出くわしたら怖いじゃんか……」


「たく、胸のトリプルケイト・エピデンドラムが泣いてるよ! とにかく相手は体長一メートル近いゴキブリで、パニくると闇雲に突進してくるから厄介な相手なんだよ!」


「た、体長一メートルのゴキブリ……」


 動揺しているからか、ミナセのビッグバンタンクからあの赤い光が漏れ出したかと思ったのも束の間、突然鈍い衝撃音と共に、左手から飛んできた黒い物体に吹き飛ばされて床を転がっていく。


「――大丈夫かミナセ!?」


 俺は駆け寄ろうとしたが、背後から聞こえてきた無数の羽音に断念。

 反転すると、向かってくる無数の黒い影を目掛けて爆炎放射器の引き金を引いた。

 五つの銃身が最大百二十度に展開して、照射された五つの爆炎が巨大ゴキブリの群れを焼き尽くしていく。


 すると背後から「キャーッ」と、まるで少女の悲鳴のような声が聞こえてきた。

 思わず振り返ると、その声の主はパニックになりながら爆炎放射器を振り回しているミナセだった。

 しかも完全に我を失っているようで、少女のように泣き叫んでいる。

 その全身を包んでいる赤い光が強まっていく。


「あの様子じゃまずいぞ……」


 このままではフレンドリーファイアがいつ起きてもおかしくはない。

 俺は攻撃の手を緩めず細心の注意を払いながらミナセの背後から近付くと、背中合わせに体を密着させた。


「ミナセ、とにかく落ち着いてくれ! 爆炎の弾幕はしっかり効いてる。落ち着いて狙いを絞るんだ。このままじゃ俺やエマリィたちに誤爆する可能性がある!」


 と、俺はミナセに声を掛けながら背中を押して、少しでもエマリィたちの避難所シェルターから遠ざかるように誘導した。


「うわああああああん! こんなの落ち着いてられるかよ、ゴキブリだぞ!? ゴキブリチョー怖い! チョーきもい! こんなでっかいゴキブリなんか反則だ馬鹿ぁ……! ぐすっ……」


「な、泣くなよっ……! そりゃ俺だってゴキブリは嫌いで脱糞しそうになったけども……そこまで女みたいに泣くほどでは――て、あれ……!?」


 そこで俺の胸に、ある一つの疑念が浮かび上がった。

 ミナセは異世界転移してきた時に肉体と魂は分離された。

 その為にこちらの世界では新しい肉体として、ゲーム内のプレーヤーアバターが人造人間ホムンクルス化した肉体を宛がわれた。

 しかしそもそも「ジャスティス防衛隊」では、プレーヤーアバターは男性タイプの一種類しか用意されていない。

 それはあくまでもゲームの主役は、三種類のABCアーマードバトルコンバットスーツということで、キャラメイク機能はそちらに重点を置かれていたからだ。

 しかし、もしもプレーヤーが女性だったとしたならば……?

 そして、そのプレーヤーが異世界転移をしてしまったとしたならどうなる……?


「も、もしかして、ミナセって……!?」


 そこまで言いかけて、俺は言葉を無理やり飲み込んだ。

 目の前の自殺ゴキブリ軍団に変化が現れたからだ。

 今まで猪突猛進とばかりに、トンネルから一直線に突っ込んできていた巨大ゴキブリの群れたちは、まるで俺とミナセの爆炎攻撃から逃れようとでもするみたいに、無数の筋に枝分かれして空中を旋回しだしたのだ。


 その二列縦隊の一つが、まるで攻撃のタイミングを見計らっているがの如く、爆炎の隙をついて急降下してくる。

 その編隊を俺が処理している背後では、別の編隊がミナセに襲い掛かっていたが、幾分か落ち着きを取り戻していたようで難なく爆炎の餌食にしていた。


「タ、タイガ! こいつら一体なんなんだ!? 明らかに急に動きが変化したぞ!? このままで大丈夫なのか……っ!?」


 と、ミナセがぐいぐいと背中を押し付けて聞いてくる。

 まだ多少の怯えは残っているようだったが、明らかに緊急事態を前にして奮い立たせた闘志が声に滲み出ていた。

 どうやら目の前のゴキブリたちの動きの変化に、怯えている場合ではないと自力でメンタルを立て直したようだ。

 そういうところは、さすがソロで三兵種で全三百面をクリアした、トリプルケイト・エピデンドラム保持者ホルダーだけはあるということか。


「この死に急ぎのゴキブリ野郎どもが何を考えてるのか俺が知りたいよ! それよりもミナセ、もう落ち着いたみたいだから確認するが、背中を預けていいんだな!? いくらABCアーマードバトルコンバットスーツを着ていても、こんな何千匹もの体当たりを連続で食らったら一気にやられちまう! だから確認する。このまま俺は背中を預けて大丈夫なんだな――!?」


「はっ! このクリムゾンオース様も随分と見くびられたもんだ! 誰にそんな馬鹿げた質問をしてるのか教えてやるからよく見ておけ!」


 と、胸を叩くミナセ。

 声はまだ若干震えてはいたが、気迫は十分に籠っていた。


「じゃあ背中は預けたぞ、クリムゾンオース!」


「おう、任せておけ!」


 と、啖呵を切るミナセ。

 そしてビッグバンタンクから大音量で鳴り響く「真っ赤な魂」のギターサウンド。

 早弾きのギターリフとシャウトに近い激しいスキャットに合わせて、二機のビッグバンドはまるで示し合わせたかのように、ほぼ同時のタイミングで爆炎放射器を一丁持ちシングルハンドから二丁持ちトゥーハンドへと切り替えた。

 そして四方八方から突進してくる自殺ゴキブリの編隊を、各々に消し炭へと変えていく。


「頼むからエマリィたちの避難所シェルターを誤射するのだけは勘弁してくれよ!」


「誰に言ってるんだ、このシングルエピデンドラム!」


 俺たちは憎まれ口を叩きながらも、背中合わせのままくるくると独楽のように回り続けた。

 そして、それぞれが的確に爆炎の弾幕を放って、数千に上る自殺ゴキブリどもの突進を一匹たりとも寄せ付けなかった。

 するとだいぶ余裕が出てきたのか、ミナセが挑発的な言葉を投げかけてきた。


「――なあ、タイガにこれが出来るか!?」


「なんだよ?」


「確かタイガは魔法が使えないんだったよな!? じゃあ見て驚くがいい! 伊達に何か月もこの地下遺跡で一人で生き延びてきたわけじゃないんだぜ!」


 そうミナセは自信満々に叫ぶと、二丁の爆炎放射器を操りながら、頭上に魔方陣を出現させて見せた。

 そしてその魔方陣から激しい雷光とともに数本の稲光が放出された。

 魔方陣から上空に向かって放出された数本の稲光は、途中で細かく何十本にも枝分かれしたかと思うと、一気に数百匹の自殺ゴキブリの体を貫いていく。

 恐らく以前ユリアナが見せた、「千本雷霆サウザンドサンダーストライク」という広範囲魔法のようだったが、威力は数倍違って見えたのは魔力量の差なのだろうか。


 しかもノーモーションの無詠唱で発動させている。

 しかし空想科学兵器群ウルトラガジェットと攻撃魔法の同時運用なんて、羨ましすぎるにも程があるので、俺はノーリアクションに徹することにした。

 特にあの魔方陣が空中に出現するところなんて、悔しい以外の何者でもない。

 ただノーリアクションでスルーするだけでは何だか腹の虫が収まらなかったので、俺は爆炎放射器を一つ投げ捨てると、その代わりにベルセルク・スクリームを装備した。


「うわはははは! 見たまえ、このヘルモード序盤で入手可能な高レベル武器の圧倒的な火力ファイアパワーを! 虫ケラどもがゴミのようじゃないか! ああ最高っす! 銃火器最高っす!」


 ワギャン! ワギャン! ワギャン! 


 と、名前の由来にもなった凶暴な獣の雄叫びのような、特徴的な射撃音が連続して地下空間にこだまする。

 ビッグバンタンクの「カノン/迫撃砲」の中で、最強部類に属するベルセルク・スクリームは三メートル近い砲身を持ち、ただでさえ構えた時の迫力が段違いだ。

 さらにその痺れる佇まいから発射されるのは、対巨大生物用ナノマテリアル特殊キャニスター弾だ。

 砲弾は発射直後に外装が飛散すると、内部に充填されていた約七センチの散弾を百三十発ぶちまける。

 空中でとぐろを巻くように飛行していた無数のゴキブリたちだったが、次々と特殊キャニスター弾の餌食となって、一面に広がっていた黒い影の輪郭が抉り取られていった。


「はっはー! どうよ!? 高レベルの空想科学兵器群ウルトラガジェットはやっぱ気持ちいいわー! この鼓膜を揺さぶる銃声と、体に突き刺さる暴力的な振動! まさにか・い・か・ん!」


「ぐぬぬ……! そりゃジャスティス防衛隊プレーヤーならば、誰もが本物の高レベル武器を一度は本当に撃ってみたいと思うさ……! 悔しいけど、それが真実……! しかし――! タイガ、この世界ではこういう魔法の使い方もあるんだぜ! 見せてやろうじゃないかっ。これが俺が編み出したオリジナルの必殺技――荒ぶる鬼火レイジング・ウィルオウィスプだ!」


 ミナセが自身ありげに声高に叫ぶと、彼の前方の空中に赤い魔方陣が浮かび上がった。

 すると徐にその魔方陣を目掛けて、二つの爆炎放射器から爆炎が照射されたかと思うと、十本の炎の筋が見えない力に引き寄せられるようにして、魔方陣へと吸い込まれていくではないか。

 そして、その一瞬後。

 魔方陣の反対側から十本の爆炎が勢いよく吐き出されたかと思えば、それぞれがまるで真っ赤に燃える龍のように、空中を自在に駆け回って自殺ゴキブリの群れを焼き尽くしていくではないか。

 その予想外の威力と迫力に、思わず驚きの声を上げてしまう俺。


「はああああっ!? 一体どういうことだってばよ!? 魔方陣を通過した後に明らかに炎の勢いが増してるじゃないか!? それになんで爆炎がホーミングミサイルみたいな挙動をしてんだ!?」


「ふひゃあ! 驚いたか!? 驚いたろ!? 驚いたよな!? これが俺のオリジナル技だ! 中級の火魔法に爆炎放射器の火力をミックスした夢のコラボ技だ! どうだ!? 羨ましいんだろ!? 羨ましいっていえよ!」


「でも、それが出来ても白銀の守護者には歯が立たなかったんだろ?」


「NOOOOOOOOOOOOO!!!」


「あ、核心ついちゃいました?」


「あ、あれは、単に相性が悪かっただけだバカヤロー!」


 と、ミナセと吞気にじゃれ合っていられるのも、既に上空の自殺ゴキブリの群れは、今の攻撃で粗方片付いてしまっていたからだった。

 そして残っていたゴキブリたちは、俺たちに恐れをなしたようにそそくさとトンネルへと戻っていく。

 まったく自殺したいのか生き残りたいのか、よくわからない生態をしている。

 そんな風に呆れた顔を浮かべていたものの、次の瞬間には思わず血の気が引いてしまっていた。

 と、同時に隣のミナセは、またしても少女のような悲鳴を張り上げた。


 何故ならばゴキブリたちが消えたトンネルの暗闇から、ゆらりと巨大な影が現れたからだ。

 しかもそれは、体長が二十メートルはある超巨大ゴキブリだったのだ。

 そして尻の辺りから半透明の卵管らしきものを引き摺っているところを見ると、こいつがこの地下迷宮ダンジョンラスボスと見てよさそうだ。


「ミ、ミナセ、あいつがラスボスらしい! 仕留めるぞ……て、あれ?」


「もうやだぁ……ゴキブリ怖い…でかいゴキブリ、キモくて怖いよぉ……!」


 今までの威勢はどこへやら。

 地面にしゃがみ込んで頭を抱えて、完全に戦意喪失してしまっているミナセ。

 さすがに二十メートル級のゴキブリになると、厭でも細部まで詳細にくっきりとはっきりと見えてしまうので、完全に心が折れてしまったらしい。

 屈強なビッグバンタンクが怯えている姿は、なかなかシュールなものがあったが、吞気に笑っている暇はありそうもない。

 超巨大ゴキブリは、俺たちを目掛けてガッサガッサと突進してきたからだ。


「お前も突進好きかよ!? VCOボイスコマンドオーダー! 武器選択! ガトリングガン・ヘカトンケイル!」


 ワギャン! ワギャン! ワギャン!


 まずは右手のベルセルク・スクリームが火を噴き、途中から発射態勢が整ったヘカトンケイルの爆音が、凶戦士の咆哮を掻き消した。


 BRYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!!!


 特殊キャニスター弾と、約十五秒で総弾数五百発が撃ち尽くされる五十インチナノマテリアル弾の狂演乱舞によって、一瞬にして原型を留めない巨大な肉塊と化す超巨大ゴキブリ。


「うわっははー、これからは相手を見てから突っ込んでこいや!」


 と、名言を吐いてみるが、それは脱糞の恐怖から解放された喜びでハイになっていたことは内緒だ。

 その後でしゃがみ込んで頭を抱えたまま震えているミナセをそのままに、俺と八号は手分けして残りのゴキブリどもを焼却し、エマリィとアルマスさんは換金できそうな素材と魂の回収をする。

 その後で俺たちはようやく古代魔法書ヘイムスクリングラを手に、謎の横穴へ進むことが出来たのだった。

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